名前
「また来たか、狐面」
校門に背をあずけるようにして、由よりもわずかに背の高い少年が立っていた。
マスクと眼鏡で顔の大半は隠れているが、険しいまなざしは隠れてはいない。
眼鏡のブリッジを指で押し上げながら、こちらを睥睨してくる。
由は困ったように笑って、ちょっとだけ首をかしげた。
「そんなに、目の仇にしないでよ」
「フン。お前が目的をあかさないからだ」
「目的? あれ、言わなかったっけ。友達に、なりたいだけだよ」
「嘘をつけ!」
「嘘じゃないってば。もう、秋良ってば、ひどいなあ……」
由はにこにこと笑って見せたが、秋良の眉はぴくりとも動かない。
あからさまに、由を疑っている。
(本当に、秋良はしつこいなぁ)
内心で、由はため息をついたが、まあそれは無理もないのかもしれない。
いきなり、見ず知らずの人間が近づいてきて、目的も定かではないのなら、警戒心を起こさない方がめずらしいのだ。
だが、最初は思い切り胡散臭げなまなざしを向けてきていた、もうひとりの少年、椿は、今では案外普通に、割と気さくに、接してくれている。
しかし、秋良は違う。
懐かない猫のように、常に距離を置かれている。
友達になりたい、なんてのは、秋良にとっては目的のうちに入らないのだろう。
(まるっきりの、嘘じゃないんだけどな)
神社のある山で育ち、そこから降りたことがなかった由には、友達と呼べるような存在は、黒狐くらいしかいない。
同じ人間の、同じ年頃の友達は、皆無と言っていい。
だから由は、たとえこんな険しい視線を向けられていても、秋良としゃべるのは、結構、楽しかった。
いつも怒っているような、顔つきの悪い秋良だが、それでも、よーく見ると、表情がかすかに変化するのが、わかった。
あ、いま、照れてるんだな、とか。
ちょっと笑ってる? とか。
それを指摘すると、怒ったり、そんなことない、と言って誤魔化したりする。
そういうのもひっくるめて、由は秋良と会話を交わすのが、楽しかった。
友達って、もしかして、こんな感じなのかもしれない。
そんな風に思えるのだ。
「……だいたいさ。その、狐面、って呼ぶの、やめてくれない? オレ、ちゃんと、由、って名前があるんだから」
こうやって、一緒に話すようになって、それなりに日数が過ぎたのに、秋良はいまだに、由の名前をちゃんと呼んだことがない。
お祭りが過ぎても関係なく、常に頭に付けている、狐の面は、由のトレードマークではあるけれど。
「お前が、自分の目的をはっきりと告げたら、名前で呼んでやってもいい」
「だから、友達……」
「そんなごまかしは、オレには通用しないぞ、狐面」
「ほんと、しつこいよね、秋良は……」
「それは、褒め言葉として受け取っておこう」
腕を組んで、やたらとえらそうに返される。
秋良は、たまに時々、無駄に自信満々だ。
そういう態度を取られると、本当にそんな風に見えてくるから、不思議だった。
「秋良って、面白いよね」
「茶化すな。オレはいつだって、真剣なんだ」
「……うん、わかってるよ?」
(だってオレ、秋良のそういうとこ、結構、好きだからさ)
これは、口には出さなかった。
言ったら、何だか、秋良が、また怒りだしそうな気がしたから。
そんな反応も、ちょっと見たかった気もしたけど。
だから代わりに、違う事を口にした。
「ねえ、今日は、どこ行くの?」
「なんだ、予定もないのか、狐面」
「うん。あ、そうだ、椿は」
「もう、とっくに帰ったぞ。保育園の迎えじゃないのか、今頃」
「秋良は……」
(秋良は、なんで帰らなかったの?)
続きは、心の中で、問いかけた。
そんなの、尋ねるまでもなく、わかっている。
(オレを待ってたから、だよね)
秋良はきっと、答えてくれないだろうけど。
「何を笑っている? 狐面」
怪訝そうな顔で、秋良がこっちを見ている。
由は、こみあげる笑いを抑えて、ゆるく首を振った。
「ううん……なんでもない。じゃあ、いこっか。そうだオレ、アイス食べたい」
「この寒いのにか?」
「うん。寒いけどアイス食べたくなる時って、ない?」
先に歩きだして、振り返った。
ほんのちょっとだけ、秋良の眉間のしわが緩んでいる。
これは、同意の合図?
(わかりやすいのか、わかりにくいのか……わかんないな、秋良って)
だけどそれも、友達、って感じがする。
由の後ろを、秋良が黙ってついてくる。
沈む夕日に照らされて、由の影が長く伸びて、秋良の足元まで届いている。
秋良のつま先は、触れそうで触れない。
なんだかもどかしい距離感は、今の自分と秋良の関係に似ていなくもない。
追いつかれるのには、まだもうしばらく、かかりそうだ。
隣に並んだら、何味のアイスが食べたいか、聞いてみよう。
(もうちょっと。あとちょっとだけ、このままで……)
いつかは、きっと。
狐面、じゃなくて。
由の名前を、呼んでくれる時が、来るかもしれない。
だから、その日が来るまで、もう少し。
もう少し、だけ―――。
終。
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