ぶつからない。
視界がぼやけるくらいに顔が近づいて、柔らかな感触を残して、離れていく。
それを由は、じっと目を開けて、見ていた。
「おい、狐面……」
「ん? 何、秋良」
至近距離で、秋良の眉間がくっきりと寄せられる。
紙の一枚くらいは、挟まりそうな感じだ。
「何故、目を閉じないんだ」
「え。だって、ぶつかるんじゃないかな、と思って」
畳の感触を背中に感じながら、由は答えた。
ついでに、手を伸ばす。
「これ」
眼鏡に触れた。
絶対、顔にぶつかる、と思ったのだ。
なのに。
「意外と、ぶつからないもんだね」
「お前………」
へらっと笑った由に、秋良が、なんだかガックリとしている。
眼鏡のフレームに触れたまま、唯は続けた。
「でもホラ、変にぶつかって、眼鏡が壊れちゃったらいけないよね、って思って」
「そんなこと思うな。って言うか、どんな勢いでぶつかれば壊れるんだ……」
そこまでがっついてない、と言った、秋良の顔が、ほのかに赤い。
そういえば、マスクをしてない顔って、あんまり見たことないよな、と今さらのように気付く。
眼鏡とマスクは、もはや秋良の標準装備だ。
どちらか片方だけでも、外れたところを見るのは、めずらしい。
さすがの秋良も、キスをするのにマスクを外さないわけにはいかなかったようだ。
(だったら……)
由は、秋良の顔から、眼鏡を取った。
「あ、コラ……!」
秋良は慌てて、眼鏡を取り返そうとしたが、由は見越して、眼鏡を遠くに放り投げた。
畳の上だから、壊れてはいないだろう、たぶん。
「いいでしょ、別に。こんだけ近かったら、見えるよね?」
「そりゃ、見えはするが……」
見えるけど、落ち着かない。
そう言う事なのだろう。
眼鏡もマスクもない秋良なんて、レアものだ。
こんな機会はめったに訪れないかもしれない。
由は、まじまじと、秋良の顔を凝視した。
「おい、お前。そんなに、見るな。溶ける」
「ええー…………、んっ」
そんなわけないじゃない、と言おうとしたところを、再び口をふさがれた。
開いたままだった口の中に、ぬるりと何か、熱い感触が入ってくる。
「ん……は……っ」
「…………………」
いつの間にか、由の目は、閉じていた。
すがるものを求めて、しがみつくように、秋良の背中に手を回した。
くちゅり、というささやかな水音が、やけに耳につく。
蜘蛛の糸のような、細い糸を口元から引いて、それはやっと、離れていった。
「なんか、秋良って……」
乱れた息を、小さく呼吸を繰り返しながらおさめて、由はぽつりと呟いた。
「ねちっこい」
同じように息を乱していた秋良は、由の言葉に、再び眉間にしわを寄せる。
顔を、赤くして。
「お前な……」
「でも、キライじゃないよ? 秋良の、そういうとこも」
付け加えると、秋良は何とも言えない微妙な表情をした。
由のシャツの襟元に手を伸ばして、上から順番に、ボタンをはずしていく。
「もういい、何も言うな」
「あれ? 怒った、秋良」
「怒ってない」
(オレ、なんか変なこと、言ったかなあ?)
あくまで由は、自分の言ったことに対して、自覚がなかった。
思ったままのことを口にして、相手がどう思うのか、なんて、あやかしたちに囲まれて育った由にはぴんとこないのだ。
そんな由と、あまり口数の多い方ではない秋良が、『こういうこと』になるなんて、さすが下界は不思議に満ちている。
……と、言ったのが、誰なのかは、ここはひとまず置いといて。
案外、代わりモノ同士で気が合った、ということなのだろう。
秋良が聞いたら、思い切り全否定しそうだが。
「くすぐったいよ、秋良」
唇が、由の輪郭線をなぞるように、頬から首、鎖骨へとおりてゆく。
産毛をくすぐるように舐められて、由は堪え切れずに笑い声をあげた。
「いいから、黙って……」
胸までおりてきた唇が、普段ほとんど意識してない、ささやかな突起を舐めた。
かりっと、軽く噛まれる。
「……っ」
由の背中が、ぴくりと震えた。
くすぐったいのとも違う、不思議な感触。
「今の……」
何、と聞こうとしたら、秋良が顔をあげた。
目が合って、秋良が、ふっと笑った。
背中が、ぞくぞくする。
ぺろり、とまた舐められた。
今度は、押しつぶすみたいにして。
「気持ち、いい、か……?」
口に含まれたまま問われる。
「ん……っ」
頷きとも、吐息ともとれる答えが、由の口からこぼれた。
初めての感触は、もどかしくて、これが気持ちいいということなのかどうか、よく、わからなかった。
でも。
「あき……よ、し……っ」
空をさまよった手が、秋良の髪に触れる。
やめないでほしい、と思った。
「わかった」
まるで、由の内心の呟きが聞こえたかのように、秋良はこたえた。
秋良の手が、由のへそをぐるりと撫でるように伝って、ズボンへと伸びる。
(すーすー、する……)
下着ごと脱がされて、足が涼しい。
なんてことを、悠長に思っていられたのも、わずかな間だった。
自分でもあまり触れたことのない――もちろん、お手洗い時を除いて、だが――場所に触れられて、腰が揺れる。
「やっ、あの……っ」
「イヤ、か?」
「……イヤ、じゃ、ないけど………」
(落ち着かない………)
秋良が、やけに真面目な顔をしているのも。
いや、秋良はいつも通りなのだが、いつも通り過ぎて落ち着かない、って言うか。
こんな時、どういう顔をしてればいいのか、わからなくて、由は戸惑った。
「眼鏡」
「は……?」
「やっぱ、して、眼鏡。秋良」
「お前、今さら……」
「だって、やっぱ、眼鏡ないと、秋良って感じしないよ。落ち着かない」
「お前なあ……」
呆れたように顔をあげて、それでもそれ以上は何も言わずに、秋良は立ちあがった。
部屋の隅に転がっていた眼鏡を拾いに行って、顔にかける。
(いつもの、秋良だ)
畳に寝そべったまま、由は秋良を見上げる。
やっぱり、眼鏡が合った方が落ち着くなあ、とぼんやりと思った。
「あ」
「今度はなんだよ?」
立ったまま、どこか不機嫌な顔で見下ろされる。
「服。脱いでるの。オレだけなんて、ずるい」
「……わかった。脱げば、いいんだろう」
面倒くさそうに答えると、秋良はあっさりと服を脱いだ。
いっそ潔いくらいに。
「へえ……。秋良って、いい身体してるんだね」
「ふっ。鍛えてるからな」
なんだか、思いっきり自慢げだ。
それはそれでなんかムカつく、と由は思ったが、とりあえず今は、言わないでおく。
「もう、いいな。続き、しても」
「あ、えっと……、うん」
由は頷いたが、変なインターバルがあいてしまったせいか、正直言って、かなり、気まずい。
が、ここで、「やっぱヤメた」と言ってはいけない、というくらいの空気は、辛うじて読んだ。
秋良は由の傍らに跪くと、右足を手に取った。
足の指を、丹念に舐められて、驚いた。
(な、んで、そこから……?)
やっぱり秋良は、よくわからない、と由が思っている内に、舌が徐々におりてくる。
内股をたどってゆく舌が、気持ち良くて、もどかしい。
いつのまにか昂ぶっていたいた場所に、舌がたどりつく。
筋をなぞるように舐められて、思わず声がこぼれた。
「あ……っ」
じわりと、先端から滲みだすものがあるのに、由は自分でも気付いた。
そのまま口に含まれて、舌先で愛撫される。
噛みちぎられそうで怖い、と思ったのも最初だけで、すぐに快感で頭が真っ白になった。
キスと同じくらい、いやそれ以上に、ねちっこい。
(キライ、じゃ、ないけど……)
むしろ、すごく気持ちいいけど。
だけど、ここまでねちっこくしなくても、いいと思う。
もう、いけそうなのに、いけないのが、もどかしくてたまらない。
「あき、よ……、も……っ!」
「イくか?」
問われて、言葉もなく、こくこくと、うなずいた。
そこでようやく、ひときわ強い刺激が与えられて、あっけないくらい簡単に、由はいった。
秋良の、口の中に。
それを吐きだすことなく、秋良は飲み下した。
「の、飲んだんだ……?」
やや引き君に由が問いかけると、秋良は口の端にたれたものを、片手で軽くぬぐいながら、答えた。
「眼鏡に、かかる」
「あ、そう……」
(それは、ダメなんだ……)
秋良って、やっぱり、よくわからない。
わからないのに、ここまでやっていいのかなあ、などと、ものすごく今さら、なことを由が思っていると、今度は、自分でも触れたことがないような場所を、舐められた。
「ひゃっ……」
思わず、変な声が出る。
やるとしたら、そこしかないんだろうな、とうっすらわかってはいたけど、実際触れられると違和感は半端なかった。
「何か、用意しておけばよかったんだがな……。とりあえず、ちゃんとほぐしてやるから、今日のところは、これで我慢してくれ」
すまない、と詫びられて、由は何となく頷いたが、今のいい方だと、次もあるということなのだろうか。
ふと疑問に思ったが、やっぱり問いかけることはしないままに、行為はどんどん進んでいく。
舌でなめられ、指が入れられる。
柔らかくこねるように、少しずつ少しずつ、ほぐされていく。
おかげで、違和感はあっても、ほとんど痛くはなかった。
「……っ、ん……っ!」
びくんと、魚みたいに、身体がはねた。
秋良の指が押した場所が、何かのスイッチを押したように、快楽のさざ波を起こした。
「ここか……?」
「あっ、や……っ、は………っ」
執拗にそこばかり攻められて、声が止まらなくなった。
さっき一度出して、萎えたはずのものが、再び硬くなって、たちあがった。
「もう、いいだろう。いくぞ……?」
「え、あ……っ、んんっ……!!」
十分ほぐれていたとはいえ、最初はやはり、キツかった。
秋良の眉間も、きつく寄せられている。
「ん、狭いな……っ」
うっすらと、生理的な涙の滲んだ目で、由は言いかえした。
「あ……っ、ちがう、よ……っ。あき、よしの、が……っ、おっきいんだ、よ……っ、ん……」
中で、秋良のものが、さらに大きくなったのが、由にもわかった。
「も、お前は……っ、何も言うな……!」
「え…? あ、は、んんっ………」
唇を、唇で塞がれて、由はそれ以上、何も言えなくなった。
ようやく全部おさまったそれが、ゆるゆると動く。
本来使うべき場所でないそこは、狭くて、余裕がなくて、それでも、先程感じた場所を突かれれば、痛み以外のものも感じられた。
向き合うように抱き合って、足を抱えあげられるように掴まれて、腰が揺さぶられる。
痛くて、痛くて、でも、気持ちよかった。
唇が離れて、すぐ近くに、見なれた秋良の顔が映る。
表情の分かりにくいそれが、今はなんだか、切羽詰まっているように見えた。
(秋良も、感じてる……?)
だったら、嬉しいなあ、と由は快楽に霞む頭で、ぼんやりと思った。
手を伸ばして、眼鏡のフレームに触れた。
「やっぱり………」
「なんだ?」
「ぶつからない、んだね」
「そんなの……、当たり前、だろう」
「そっか」
キスしても、抱き合っても。
(秋良の眼鏡は、絶対領域なんだな……)
しだいに激しく、揺さぶられながら。
そんな益体もないことを、由は考えていた。
終。
|