あったかいね
「……っくち!」
鼻がむずむずするなあ、と思ってたら、くしゃみが出た。
由は、鼻の頭をこすって、小さく震えた。
秋良が、こっちを向いて、尋ねる。
「なんだ、狐面。お前、寒いのか」
「んー。どうだろ。寒い、かな?」
半袖シャツから伸びる、むき出しの腕を見て見れば、うっすらと鳥肌が立っている。
「やっぱ、寒いみたい」
「お前な……。だいたい、何でこんな時期にそんな薄着なんだ」
由が答えると、呆れたような声が返ってきた。
首に巻かれた赤いマフラーを、由はひっぱって見せた。
「マフラーはしてるよ?」
「マフラーしてるくせして、何故、上着を羽織ってこない」
「面倒だから?」
「疑問形で言うな! イライラする」
公園のベンチに腰かけていた秋良は、ただでさえ目付の悪い目を更に細めて言うと、立ちあがった。
滑り台に寄りかかるように立っていた、由に近づくと、上着の前を広げた。
「……ほら」
「何?」
秋良の意図が分からなくて、由が首をかしげていると、秋良はますます怒ったような顔をして、由を自分の上着ごとくるんで、抱えた。
「これで、少しは暖かいだろう」
耳元で問われて、由はちょっと考えてから、答えた。
「確かに、あったかいけど……。あのさあ、秋良」
「なんだ」
「こう言う時ってさ、フツー、自分の上着を脱いで、渡してくれるものなんじゃないの?」
「そしたら、オレが寒いだろう!」
きっぱりと断言されて、それはそうだけど、と由は思ったが。
(だからって、これじゃ、抱きしめられてるみたいなんだけど………)
すっぽりとくるまれれば、確かに暖かくて、腕に浮かんだ鳥肌も消えてなくなった。
上着の前を止めたら、由の上半身はほとんど隠れて、覗いているのは、顔だけだ。
(それに、なんかこれって……)
似たようなものを見たことがあるのを、由はふと思い出した。
「食べられてるみたいだよね、これじゃ」
「は? 何故だ。どうして、食べられてることになる」
怪訝そうな声が降ってきて、由は首をひねって、秋良の顔を見た。
「んー。ホラ、もみじが食べてるとこと、ちょっと似てるから」
「……なんだ、それは」
「あれ? 秋良、見たことないっけ。てるてる坊主みたいな……」
「ああ、思い出した。……って、おいこら、人をもののけと同じにするな!」
不本意そうに、ムッと眉をしかめられた。
だがおそらく、これを聞けば、もみじの方も、イッショニ サレル ナンテ 心外ダヨ、くらいは言いそうだ。
「オレは、お前を食べたりしないぞ、狐面」
そして、どこか方向違いの主張をされた。
別にそんなこと、ホントに思ってないんだけど……と、思いながら、由は違うことを口にした。
「でもオレ、秋良になら、食べられてもいいよ」
本当は、自分が、秋良を『食事』しなきゃいけないのだけど。
秋良になら、逆でもいいかな、と不意に思った。
秋良の上着の中が、思ったよりも、あったかくて、心地よかったからだろうか。
「なっ……! 何を言ってるんだ、お前は!?」
「あれ? どうして、そこで照れてんの、秋良?」
「照れてなどいない!!」
(いや、思いっきり、照れてるよね、秋良。なんでだろ……?)
これだけ、至近距離で身体を密着させていると、ちょっと覗きこんだだけで見えるからか、普段はわかりづらい秋良の表情の変化も、わかりやすかった。
目の下が、うっすらと赤くなっている。
(オレ、何か変なこと、言ったかなあ)
食べる、の意味が、そのものズバリなもの以外にも、色々取れるのだ、ということに、由は思いいたらない。
不思議そうな顔をしている由に気付いたのか、秋良は、やや気まずそうに、こほんと咳ばらいをした。
マスク越しなので、ほとんど聞こえなかったが。
「と、とにかくだ……! これに懲りたら、狐面、お前も、ちゃんと上着をだな……」
そこまで、秋良が口にした時。
公園の入口に、椿が姿を見せた。
こっちを見て、目を丸くしている。
「何やってんの? お前ら」
「あ、椿ー!」
由は手を振ろうとしたが、秋良の上着の中だったので諦めて、代わりに、にっこり笑って見せた。
「つ、椿……! こ、これはだな……っ!」
「椿も入る? 詰めれば、椿も入れるかも。あったかいよー、秋良のなか」
慌てて事情を説明しようとした秋良の言葉に、由の呑気な声が被る。
「いや、俺は遠慮する……。っていうか、秋良の中に入る、って言い方は微妙すぎるぞ」
「え、そう?」
呆れたような椿の声にも、由はまったく無頓着だ。
秋良は、今さら由を突き放すわけにも行かずに、その場で黙ってしまった。
椿は、そんなふたりを、上から下まで眺めると、ぽつりとつぶやいた。
「まあ、なんだ……。俺は、別に気にしないから」
気のせいか、椿のまなざしが、生温かかった。
その言葉に、今まで固まっていた秋良の口が、ようやく動いた。
「いや、だから……っ、これは、こいつが寒そうにしてて、それで……っ!」
「うん。わかったから。何も言わなくていいから」
本当のことを言っているのに、何故こうも言い訳がましく聞こえるのか。
椿に軽くあしらわれて、秋良は、ますます焦った。
そこに、ちょっと千年猫に会ってくる、と言って席をはずしていた黒狐が戻ってきた。
「よう、遅くなって悪かったな……って、何やってんだよ、由!?」
ふさふさのしっぽを振り立てて、黒狐が由の頭に飛び乗った。
「あ、黒狐。お帰りー。黒狐も、入る? あったかいよー、秋良のなか」
「誰が入るかー!! って言うか、由! その言い方ヤメロっ! なんか卑猥だぞ!?」
「ええー……?」
黒狐の登場で、一気に、辺りが賑やかになった。
頭の上で、黒狐が暴れるので、由は秋良の上着の中から出てしまった。
「あー、出ちゃった……」
あったかかった空気がなくなって、冷たい外気に肌がさらされる。
だが、実際の寒さよりも、すっぽりくるまれていた、腕がなくなったのが、何だか名残惜しかった。
これで一段落ついた、と思ったのか、椿が声をかける。
「あー、じゃあ、行くか?」
「あ、ああ……」
「うん」
そろって、ぞろぞろと公園を後にする。
黒狐は、定番の位置、由の肩の上だ。
「次からは、ちゃんと上着を着てこい、狐面」
渋面の秋良が、隣を歩く由に念を押す。
由は、笑って、秋良の上着の裾をひっぱった。
「えー、いいよ。めんどくさい。寒かったら、また秋良のなかにいれてもらうよ」
上着の端から、ほっこりと、秋良の匂いがする、あったかい空気がこぼれた気がした。
黒狐が、由の肩の上で、天を見上げて毛を逆立てた。
「だから由! その言い方はヤメロー!!」
「過剰に反応するのも、どうかと思うけどな……」
椿の呟きは、どうやら黒狐の耳には届かなかったらしい。
まだ何か、きゃんきゃんと叫んでいるが、由は楽しそうに笑うばかりだ。
その隣で、秋良は相変わらずの仏頂面だ。
そうやって、騒々しく賑やかで、奇妙な一行は、夕日に照らされ暮れなずむ街を、そぞろ歩いて行ったのだった。
終。
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