食べられたい―秋良×由―


食べられたい


 すぐ傍に秋良の顔があって、由は驚いて、目を瞬いた。
 布団代わりに、一枚の着物をふたりの身体にかけていたので、身を寄せ合うようにくっつきあっていて、あったかい。。
 由の頬に、秋良の健やかな寝息がかかって、なんだかくすぐったかった。

(ああ、そっか。そうだった……)

 目が覚め、ゆっくりと脳が覚醒していくに従って、由は眠る前の出来事を、思い出した。
 もつれ合うように、ここで、秋良と肌を重ねたのだ。
 いつ眠ったのか、由は覚えていないから、布団代わりのこれも秋良がかけてくれたのだろう。
 まだ服は着ていなかったけど、身体は、さらりと乾いている。
 眠りに落ちる前は、汗と、それ以外のもので、べたべたしていたのに。

(秋良が、拭いてくれたのかな? 意外と、マメだよね、秋良って……)

 秋良が聞いたら、意外とはなんだ、意外とは、とか言って、怒りだしそうなことを、由はこっそり思った。
 くすりと笑ったが、秋良はまだ起きる気配はなかった。
 だから、由は、ちょっとないくらいの近い距離で、秋良の顔をまじまじと、眺めた。
 見なれたその顔には、見なれた眼鏡と、マスクがない。
 普段は、ちょっとキツイ目にばかり意識がいってしまうが、よく見ると秋良は、結構、整った顔をしている。
 常日頃はマスクで隠れている鼻筋も通っているし、口も大きすぎず小さすぎず、形よく涼やかだ。
 そして、鋭い目が閉じられてしまえば、案外、その表情は、幼くも見えた。
 気持ち良さそうに、眠っているからだろうか。

(まつ毛も、長いよね)

 そっと、手を伸ばして、触れてみる。

「ん……」

 秋良が、わずかに顔をしかめた。
 ぱっと手を離すと、すぐに元のように穏やかな寝息を立て始めた。

(びっくりした……)

 起こしてしまうかと、思った。
 別にそれでも構わなかったが、今はまだ、もう少しこのまま、秋良の寝顔を見ていたかった。
 こんな機会はそうそうないだろうから、じっくりと観察してみたい。
 今度は、そうっと、頬に指先を伸ばす。
 うすい頬は、なめらかで、なぞるように手をすべらすと、少しざらついていた。
 触ってみないと、わらかないくらいのそれは、たぶん髭のそりあとなんだろう。
 いつもマスクで隠されているもの。
 確かめるように、由は何度も、秋良の顔の輪郭をたどった。

(秋良って、こんな顔、してたんだ)

 それは、不思議な感触だった。
 やけに感慨深い、というか。
 たぶん、こういう関係にでもならないと、知ることはなかったんだろうな、と思ったから。

「狐、面……?」

 うっすらと、秋良が目を開いた。

「なに、してるんだ、お前……」
「あ、ごめん。起こしちゃった?」

 由が慌てて手を離そうとすると、逆にその手をつかまれた。
 そのまま抱き寄せられて、胸に抱え込まれた。

「秋良……?」

 驚いて、その名を口にすると、不意に柔らかく、口をふさがれた。
 目の前にあった、秋良の、口で。

「…………」
「………っ、あき、よし……っ?」

 その腕に、がっちりと抱え込まれていては、避ける事も出来ない。
 由は、口の中に入りこんでくる、秋良の舌を、なすすべもなく、受け入れた。
 眠りに落ちる前に、何度も交わした口づけ。
 別の生き物のように動く舌が、由の舌をからみとって、貪欲に吸いつく。 

(なんか、これって……)

 しがみつくように、秋良の背中に腕を回す。
 背中にかけていた着物がずれて、むき出しの肩があらわになった。

(秋良に、『食事』されてる、みたい……?)

 以前、秋良の上着の中に入れてもらった時も思ったけど、今度はもっと、そう思った。
 あまく吸いつかれて、飲み込まれている。
 このままぺろりと食べられてしまっても、ちっとも不思議じゃないかも、と由は、恍惚としながら思った。
 秋良に、『食事』されるんだ、と思えば、ぞくぞくした。

(いいな、それ。ミコ様には、怒られるだろうけど)

 秋良は、大事な、友達で。
 たぶん今は、それ以上の存在になってる。
 だけど、『食事』してしまえば、もう、話すことも出来ない。
 こんな風に、触れ合うことも。

(だったら、オレは……)

 秋良の、一部になりたい。
 オレが、秋良を『食事』して、秋良をオレの一部にするんじゃなくて。
 秋良に食べられて、秋良の中に入ったら。
 話せなくても、触れ合えなくても、秋良の思いを感じることが、出来るのかもしれない。
 秋良の中で。
 秋良の、一部になって……。

「ふ……っ、あ、え? 狐面……!?」
「ん……」

 目を見開いた秋良が、驚いたように、由を凝視している。
 そして、な、なんでお前が!? と、今さらのように慌てている。
 由は、その様子を見て、気付いた。

「秋良……。もしかして、寝ぼけてた?」
「あ……いや、その……っ!」

 ようやく起きた、という顔をしている秋良を見て、由は確信した。
 秋良は、思いっきり、寝ぼけていたのだ。
 由は、そんな秋良の様子がおかしくて、くすくすと笑った。

「寝起きに、急に襲ってくるんだもん。びっくりしちゃったよ……?」
「す、すまない……」

 本気でしゅんとしている秋良が、可愛かった。
 こんな顔が見られるのなら、いきなりキスされるのも、悪くないな、と由は思った。

「謝らないでよ。オレ、イヤじゃ、なかったんだから」
「そうか……」

 気まずいのと、照れくさいのが、ごっちゃになったような表情で、秋良が目を伏せる。
 目元が、うっすらと赤く染まっている。
 それを見ていると、なんだかたまらなくなってきて、由は、秋良の首筋に、顔をこすりつけた。

「狐面……?」

 戸惑うような秋良の声が、耳元で聞こえる。
 由は、秋良の肩に顔をうずめたままで、ささやいた。

「オレ、秋良のこと、好きだよ」
「はっ? いきなり、何を……!?」

 秋良はかすかに身じろいで、声からだけじゃなく、動揺が伝わってきた。
 そんな秋良に、由は甘えるように、ますます身体をすりよせて、尋ねた。

「ね、秋良は……?」
「オレは……って、聞くな、そんなこと!」
「えー、聞きたい。秋良は、オレのこと、好きじゃないの……?」
「う……」

 咎めるような声で問われると、秋良は小さくうなった。
 そして、由の耳に唇を寄せた。

「……………、だ」

 由にだけ、聞こえるくらいの声で、秋良はささやく。
 顔を見なくても、今、秋良がどんな顔をしているのかが、わかる。
 だから、顔はあげなかった。

「……うん。ありがとう、秋良」

 由がそう言うと、どこか、怒ったような、不機嫌そうな声が降ってくる。

「………別に、礼を言われるようなことじゃない」
「でも、オレは、嬉しかった、から」

 秋良の背中に回した腕に、ぎゅっと力を込めた。
 同じくらいの強さが、由の背中に返ってきて。
 身体があつくなって、胸の中が、いっぱいになった。

(秋良に、『食事』されても、いいって、思ったけど―――)

 それよりも、やっぱり。
 出来れば、ずっと、こうしていたい。
 身体の熱を分かち合うように、抱き合って、身を寄せ合って。
 好きだって、言いたい。
 好きだって、言われたい。

「秋良………」

 その名前を、呼んでいたい。

「なんだ……?」

 穏やかに問い返されて、由はゆるく首を振った。

「なんでもない」
「おかしなヤツだな」
「秋良に言われたくないよ……」
「なんだと? まったくお前と言うヤツは……」

 呆れたように言う、秋良の声が、どこか優しくて。
 覚えていよう、と由は思った。
 いつか、『食事』をする日が、来ても――――。


終。


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