味見してね
「秋良〜っ、ハイ、これ、あげる!」
いきなり家までやって来たかと思うと、満面の笑みで何やらプレゼントらしき箱を、由から手渡された。
秋良はいぶかりながらもとりあえず、礼を言った。
「ああ……、ありがとう」
受け取った箱は綺麗に……と言うよりも、不器用にラッピングされている。
結ばれたリボンが、たて結びになっている。
いつまでも玄関口にいるのもなんなので、由を自分の部屋に通した。
由がこうやって、秋良の家にやってくるようになってから、どれくらいだろうか。
携帯電話、などという文明の利器を持ち合わせていない由の訪れは、いつも唐突だが、それにもすっかり慣れた。
今では秋良が留守にしていても、すでに家の者に顔パスで通されている。
「ね、早く、開けて、開けて!」
部屋に入るなり、由にせかされて、秋良はたて結びのリボンをほどいた。
(これはもしかして、こいつが自分で包装したのか……?)
何度もやり直したような、あとが見えた。
そんな少し皺になった包装紙を、丁寧に開いていって、出てきたものは。
「これは………」
秋良は、ゴクリ、と唾を飲み込んだ。
由が、期待に満ちた目で自分を見ている。
何もなかったことにして、そっと元のように包み直してしまいたいところだったが、秋良は覚悟を決めて、尋ねた。
「これは……もしかして、その、チョコレート……なのか?」
秋良の問いに、由は笑顔のままうなずいた。
「そうだよ。チョコレート。オレが、作ったんだ」
由の、手作り。
どうりで……と、言いたくなったのを、秋良は何とか飲み込んだ。
そうだ、今日はバレンタインデー、なのだった。
箱に並んでいるのは、不揃いな、丸い形状の、チョコレート……らしき、もの。
(確かに、チョコレートの匂いはするな、匂いは……)
色も、ちゃんとチョコレート色だ。
だが、明らかにチョコレートではない匂いや、チョコレートではないモノがのぞいているのは、気のせいだろうか。
「バレンタインのチョコレートは手作りで決まり! って、黒狐と見てたテレビで言ってたから、オレ、がんばったんだよ!」
どうしてそんな余計な事を言ったのだろうか、そのテレビ番組は……。
テキトーな事を言うだけ言って、責任は取らない。
それがマスコミの常とは言え、許しがたい……。
「秋良?」
反応のない秋良を、由が首をかしげて見ている。
それに気付いた秋良は、誤魔化すように眼鏡のフレームを指で押し上げて、更に尋ねた。
「狐面……お前は、今までに料理……いや、菓子作りを、したことはあるのか?」
その問いに、由はあっさりと答えた。
「ないよ。でも、手作りチョコなんて、溶かして固めるだけだって嵐昼が言ってたから」
「溶かして、固めただけ……」
本当にそれだけで、この物体が!?
秋良は、手元のチョコ――と、思われる物体――を凝視した。
「でもそれだけじゃ、つまらないかなって思って、色々工夫してみたんだ」
原因はそれかー!
と言う叫びを、秋良はすんでのところで、飲み込んだ。
何故そんな余計な事を……と思う反面、それだけ色々、自分の事を……その、想ってくれた結果がこれなのだ、と思えば、嬉しくない、こともない。
「秋良、遠慮しないで食べて」
もうお前のその気持ちだけで十分だ、という手は通用しないだろうし、させてはいけないだろう。
秋良は覚悟を決めて、マスクを取った。
直に、チョコレートと、どう考えてもチョコレートとはかけ離れた匂いが迫ってくる。
ごくり、と再び唾を飲み込んでから、秋良は由の手作りチョコレート……らしきモノを、手に取った。
勢いをつけて、口に放り込む。
「秋良、美味しい?」
由が、秋良に尋ねる。
その顔は、いっそ憎らしいほどに、邪気がない。
だが、チョコレート……らしきモノの方は、残念ながらそうではなかった。
「狐面……お前、これ、味見したか………?」
「味見? ううん、してないよ。一番最初に、秋良に口にして欲しかったから」
言葉だけ聞くと、うっかりときめいてしまうようなものだ。
思わず、由をぎゅっと抱きしめたくなるような。
だが、しかし……。
「次からは、一口だけでも、味見をしてくれ。頼むから」
それはもう、切実に。
口の中に、何とも言えないえぐみが残る。
これはもはや、断じて、チョコレートの味ではない。
「えー、どうして?」
言いながら、由も自分の作ったチョコレートを食べた。
そして……。
「うわっ、マズー!!」
思いっきり、顔をしかめた。
どうやら、由の味覚は正常らしい。
これで、美味しいよ! 等と言われたら、本気でどうしようかと思った……。
「秋良……ごめんね………」
自分の作ったチョコレートの味がショックだったのか、由はしゅんとうなだれている。
それを見ていると、さすがに可哀そうになってくる。
秋良は、チョコレートの残りを、一気に口の中に入れた。
「秋良!? 無理に食べなくていいんだよ!」
驚いて由が言うのに、秋良は首を振った。
何とか食べ終えてから、言った。
「せっかく作ってくれたものを、残すわけにはいかない」
「秋良ってば……!」
由が、嬉しそうに秋良に抱きついてくる。
それを抱きしめ返して、背中をぽんぽんと叩いてやった。
味は正直、凶器以外のなにものでもない。
だが、バレンタインにチョコレートを、と思ってくれたその気持ちは、やっぱり嬉しかった。
「秋良、大好きだよ」
秋良の胸に頬を猫のようにすりよせて、由はささやく。
それに対して、秋良も小さく、俺もだ、と返した。
たったこれだけの事で、胸が甘く高鳴る。
「そうだ……ちょっと待ってろ」
秋良は由を離すと、机の前まで行って、引き出しを開けた。
実は秋良も、用意していたのだ。
「ほら」
突きだすように、由にワインレッドのリボンが綺麗に結ばれた箱を差し出した。
「オレに!? ありがとう、秋良! 開けて、いい?」
「ああ」
嬉々として、由は急いで箱を開けた。
甘い香りが、ふわりと漂う。
中に入っているのは、もちろん、チョコレートだ。
一粒取って、由は口に入れる。
「いただきまーす……わあ、甘くて、美味しい!」
子供のように、にこにこと笑いながら、由が自分のやったチョコレートを食べている。
それを見ているだけで、じんわりと心がなごみ、愛しさが募る。
「そうだ、秋良も食べる? 口直し」
チョコレートを一粒摘まんで、由が尋ねた。
いいよ、と秋良は言ったのだが、由はチョコを持った手をこっちに向けたまま、おろさない。
仕方なく手を差し出すと、由は首を振った。
「そうじゃなくて。あーん」
「あーんって……」
にっこり笑顔でうながされ、秋良は照れて、マスクの代わりに手のひらで顔を覆った。
だがやはり、由は諦めない。
あーん、と言って、秋良に向かってチョコを構えたままだ。
「あー……」
由の手作りチョコを食べた時よりも覚悟を決めて、秋良は口を開けた。
一瞬、由の細い指が秋良の唇に触れたかと思うと、すぐに離れていった。
後に残るのは、甘い、甘い、チョコレート。
「秋良、美味しい?」
「あ、ああ……」
うなずくと、由は嬉しそうに笑って、かすかにチョコレートのついた指を舐めた。
さっき秋良の唇に触れた、指を。
Happy Valentine Day