御裾分け―嵯峨野×由―


御裾分け


「痛っ!」

 コツン、と頭に何か軽いものが当たって、落ちた。
 頭を撫でながら由が視線をやると、それは小ぶりの箱だった。
 しゃがんで拾うと、後ろから声がした。

「やる」

 振り返るとそこには、嵯峨野がいた。
 ということは、これは、彼が由の頭に向かって投げたのだろう。

「もう。投げないで、フツーに渡してよ、さがのさん」

 ちょっと怒って由が言ってみても、嵯峨野はいつものように、皮肉気に口の端を歪めるだけだ。
 しょうがないなあ、と思いながら、由はそれ以上何も言わずに嵯峨野がこっちに来るのを待った。

「手元が、狂った」

 由の隣に来ると、嵯峨野はそう言って、由の頭を乱暴にかきまわした。
 これが彼なりの、『ごめん』の代わりなのだろう。
 最近、由はようやく、嵯峨野の不器用な言動の意味するところが少しずつだが、わかるようになってきた。

(ホント、素直に謝らないんだから……)

 心の中でそう呟きながらも、由はそんな嵯峨野がイヤじゃなかった。
 むしろ、ちょっと、嬉しい、かもしれない。

「……何、笑ってんだよ、容れ物」

 つい笑ってしまった由を、嵯峨野がうろんげに見ている。
 由は、何でもないよ、と言って、やっぱり笑った。

「ところで、これ、何?」

 眼下に川が広がる土手に、由はすとんと座って、尋ねた。
 箱の大きさと軽さから言って……お菓子、だろうか。

「チョコレート」

 単語で答えた嵯峨野に、由は、あ、と気付く。
 そうだ、今日は2月14日。

「バレンタインの、チョコレート?」

 驚いて、傍らに立つ嵯峨野を見上げると、表情を変えないまま、嵯峨野はうなずく。

「……らしいな」

 由の隣に、嵯峨野も長い脚を折り畳むようにして座りこむ。
 川面から吹く風が嵯峨野が被っているフードをあおって、頭から吹き飛ばす。
 いつもは長めの前髪に隠れがちな、嵯峨野の鋭い目が覗いて、由はドキリとした。

「らしい、って……」
「バイト先で、もらったんだよ。夜市の代わりに入ったとこで」
「ああ、そういうことね」

 もしかして、さがのさんが、オレに?
 ―――とか、言わなくて良かった、と由は心の内だけでこっそり呟く。
 そんな事を口にしてたら、いつも以上に冷ややかな目で見て、鼻で笑うに決まっている。
 それはやっぱり、ちょっとくやしい。

「甘いもん、好きだろ。ガキだからな」

 バカにしたような口調で、嵯峨野はつけたす。
 由はムッとして、嵯峨野を睨んだ。

「好きだけど……ガキじゃ、ないし。それに、さがのさんだって、甘いもの、嫌いじゃないくせに」
「まあな。だけど俺は大人だから、ガキに譲ってやるんだよ、容れ物」
「だから、ガキじゃないって……!」

 なおも反論を試みる由を、嵯峨野は面倒くさそうに見て、いいから食べろ、と言った。
 まだ言い足りない気分だったけど、チョコレートに罪は無いし、と思い直して由は箱を開けた。

「わ。美味しそう……」

 箱を開けると、ころころと丸いチョコレートがいくつも並んでいた。
 表面には、ココアパウダーらしきものがかかっている。

「いつも食べてるチョコとは、全然ちがう〜!」

 いかにも高級、って感じがする。
 由はさっそく、一粒つまんで、口にした。
 ふわりとした甘さが、口の中いっぱいに広がった。
 かすかに感じるこれは……お酒、だろうか。
 少し洋酒が入っているらしい。

「美味いか?」

 嵯峨野に尋ねられ、由は、うん、とうなずいた。
 自然と、顔に笑みが浮かぶ。
 さっきまで憤慨していた気持ちも、すっかりどこかに消えてなくなっていた。
 2個、3個と続けて食べながら、由はハタと気がついた。

「嵯峨野さんは、食べないの?」

 こんなに美味しいのに。
 それに、もらったのは嵯峨野なのだから、ひとつくらいは食べた方がいいのではないだろうか。

「俺は、別にいい」

 嵯峨野はあっさりと首をふった。

「でも、さがのさんがもらったんだし……。感想、聞かれるかもよ?」
「今、お前から聞いた」
「そうじゃなくって。それにホラ、お返しとかも、しなくちゃいけないんでしょう?」

 バレンタインデーに対して、ホワイトデー、なんてものがあったはずだ、確か。
 ずっと神社にいた由にはあまり関係のない行事だったから、よく知らないけど。
 黒狐と見てたテレビでは、ホワイトデーは3倍返しが常識だ、とか言ってたような気がする。
 それならなおのこと、嵯峨野は1つ食べて、お返しの基準? を決めておかないといけないのではないだろうか。
 そう思って尋ねると、嵯峨野はニヤリと笑って、こう答えた。

「だったら、お前が用意すればいい、容れ物。それを俺が渡しておく」
「ええーっ!? なんで!」
「お前が食べたんだから、お前が用意するのは当たり前だろう」
「それは、さがのさんがオレにくれたからで……」
「なら、問題ないだろう」

 そう言う事に……なるんだろうか?
 なんだか、都合よく言いくるめられてしまった気がするが。
 由は、ちょっと納得がいかないままだったが、素直にうなずいた。

「……わかった。オレがお返し、用意するよ。うーん、でも、何がいいかなあ……」

 首をひねって、由はさっそく、お返しについて悩み始めた。
 ホワイトデーのお返し、なんて今まで、やったことがない。
 チョコレートをまた1つ食べながら、嵯峨野に尋ねる。

「ね、さがのさん。何がいいと思う?」

 真剣に尋ねる由に、嵯峨野は素っ気なく答えた。

「さあな。お前の好きなものでいいんじゃないか」
「オレの好きなもの? うーん、迷うなあ……」

 由は指を折って、好きなものを数え始めた。

「オレの好きなもの……お揚げじゃまずいよね。やっぱり甘いものの方がいいよね。チョコのお返しなんだし。おまんじゅう、アメ……」

 小さく呟きながら、由は1カ月後のホワイトデーについて熟考しだした。
 その間に、チョコレートをつまみながら。
 嵯峨野はそれをどこか愉快そうに見ながら、突っ込む。

「考えながら食うと、チョコレートがまずくなるぞ」
「あ……そうだね。せっかくの、おいしいチョコレートなんだから、ちゃんと味わわなきゃだね」

 お返しの事は一旦脇に置いて、由は再び、幸せそうな顔でチョコレートを食べ始めた。
 風邪に飛ばされたフードを元のように被りなおしながら、嵯峨野は口の中だけで呟いた。

『………お前が好きなものだったら、なんだって、気に入るだろうさ』

 フードの陰に、嵯峨野の目が隠れる。
 由は、チョコレートをつまむ手を止めて、尋ねた。

「今、何か言った? さがのさん」

 嵯峨野は目を細めて、何も、と答えた。


終。


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