ラシエルの箱庭SS(鷹見×伶)

星に、願いを

 人を訪ねるのには、非常識な時間だったが、あいつのことだ、おそらく起きているだろう。
 そう思って、俺は館へと続く道を歩いていた。
 何か明かりをもってくるべきだったろうか。
 通いなれた道でも、夜は違う顔を見せる。
 だが、何故だろう。
 俺は、このぬばたまの闇を、照らしたく、なかった。



 館がようやく、見えてきた頃。
 人影が、すっと過った。
 気のせいか、暗闇でも、うっすらと明るく見える、人影。
 あれは―――

「伶……?」

 今夜、訪ねようとしていたその人が、ふいと、館から離れていくのを見て、俺は慌てて方向転換する。
 あいつ、こんな時間に、何処に行こうってんだ…?
 確かに、行動を規制するようなことは、言っていないが。
 こんな夜更けに、危ないだろ……!!

「伶、お前、何をしている……!?」

 駆け足で、追いかけて、声をかけると、伶はきょとんとした顔で、俺を見た。

「何って……。君こそ、どうしたんだい?そんなに慌てて」

 そこは館からそう離れてはいない、草原で、伶はただ、立っていた。

「俺の質問が先だ、伶。何をしている」

 語気を強めて、もう一度言うと、伶は軽く肩をすくめると、別に、と素っ気無く言った。

「何も。……星を、見にきただけだよ。君のご期待に沿えなくて、悪いけど?」

 静かな口調が、わざとらしいくらい、嫌味ったらしい。
 なんだって、こいつは、いつもこうなんだろう。
 いっそのこと、邪魔するな、と怒ってくれる方が、まだ可愛げがあるものを。

「わ、悪かったな、邪魔して……!」

 だから、気がつけば、いつも、俺のほうが怒鳴っている。
 本末転倒だよな、と思う。
 そう、思っては、いるのだが―――。

「………いや、そんなこと、ないよ。鷹見も、見てったら?ここまで来たんだ。今夜は、星がとても綺麗だよ」

 くすくす笑って、そんな風に言われたら、これ以上何か言うのも気まずくて、踵を返しかけていた俺は黙って伶の隣に立つと、夜空を見上げた。
 降るような星空、というのは、こういうのを言うのだろう。
 闇の中に、白く光る砂を、一面に、こぼしたかのようで、美しかった。

「……よく、来るのか、ここには」
「初めてだよ。ベランダよりもよく見える場所があると、真璃絵に聞いたものだから」
「そ、そうか……」

 思わず、息せき切って駆け付けてしまったものの、何も言わない――何を考えているのか、よくわからない、伶の隣りに黙って立っているのは、居心地が、悪くて。
 俺は、星を見上げているフリで、そっと、伶の様子を伺った。
 整った顔は、黙って立っていると、よく出来た人形のようで。
 口を開けば、ろくな事を言わないってのに。
 冷たい、夜の空気の中に立っている伶は、瞬きさえしなければ、まるで血の通っていない……いや、そうじゃない。 
 そうじゃなくて。
 天空に、瞬く星々を、一心に見上げる様は、あの時、俺が、初めて、こいつに会った、あの時の様で―――。



「僕の顔、何かついてるのかな。鷹見」
「あっ、いや……」

 気がつけば、伶を凝視していた俺は、その言葉に我に返って、口篭もった。
 みっともないくらい、うろたえる俺を、今度は伶が、じっと見ている。

「す、すまん、伶。俺は、お前が、その……」

 

 天使じゃないかと、思って―――。

 

 その言葉だけは、かろうじて、飲みこんだ。 
 だが、代わりに、上手く誤魔化す言葉が思いつかずに、ただ唸っていると、伶は呆れたように、言った。

「おかしなヤツだね。今更、めずらしい顔でもないだろうに。何を見惚れているんだい、鷹見?」
「う、うるさいなっ。気色の悪い事を言うなっ!」

 不覚だ。
 我ながら、嫌になる。
 もう、何年も、想ってきたこと。
 その度に、違うと、違っていたんだと、思い知らされて、いるのに。
 それなのに時々、考えてしまう。
 こいつが、あの時の、天使なのではないかと。
 幼い俺を助けてくれた、あの、天使なのではないかと。

「……そろそろ帰るぞっ。いくら初夏だからって、夜更けにそんな薄着で。風邪をひいても知らんからなっ!」
「はいはい。わかったよ」

 あしらうように、軽く言われて、ムッとしながらも、何も言えずに、俺は今度こそ、館へと向かう。
 伶が、後からついてきているのを、確認して。
 ちらりと見ると、いつものように、何を考えているのかよくわからない、澄ました顔で、歩いている。
 俺はそれを見て、何故だか安堵していた。

 

 明かりを持ってこなくてよかった、と思った。
 月明かりよりも微かな星明りの元で、射干玉の闇を照らしたら。
 もしかしたら、見えてしまうかもしれない。
 背中に生える、真っ白な、羽が。
 そうしたら、きっと、いなくなってしまう……また、俺の前から。
 だから―――。

 

「天使………なんかじゃ、ないんだ」

 

 呟きは、幸いにも後へ届く前に、闇の中に溶けていって。
 代わりに、館から零れる温かい灯火が、俺と伶を照らしていた。


Fin.