ラシエルの箱庭SS(鷹見×伶)
天使の午睡
他人の体温なんて、鬱陶しいだけだと思っていた。
心地よい、安らぎをさまたげるもの。
そんな風に、思っていた。
ずっと。
ゆうべの疲れが残って、まだだるいというのに、素肌をたどる不埒な気配で、伶は薄く目を開いた。
「………邪魔」
たった一言。
呟いて、虫か何かを払うように、無造作に振り払う。
振り払われた虫、じゃなくて、鷹見は拗ねたように、うなった。
「邪魔って、伶、お前なぁ……」
一応恋人なんじゃないか、とかぶつぶつ言う男を、ちらっと見て、わざと素っ気無く言う。
「疲れてるんだ。誰かさんが寝かせてくれなかったから。それともまだ、足りないっていうのかい?」
悪いけど僕は付き合えないから、と、とどめのように、付け加えると、鷹見は面白いくらいに赤くなって、口をぱくぱくさせている。
それを見ていたら、どうにもこらえきれなくなって、声をたてて笑うと、ようやく、からかわれたと悟った恋人は、ちょっと怒った顔をして、でもすぐに、諦めたような顔をして力なく笑った。
「……悪かったな」
そんな、情けない顔して笑う恋人が、伶は嫌いではない。
趣味が悪くなったな、とこっそり思う。
だが、それも、悪くない。
カーテンの隙間からさしこむ、すっかり高くなった日差しに目を細めて。
そう思うようになった自分が、伶は少し、不思議な気がした。
思えば、ずっと近くにいた、幼馴染みなのに、と。
「伶さま。起きてらっしゃいますか?」
伶の、物思いを破るように、控えめなノックの音がした。
意識を戻して、なじみのメイドに、すぐに返事をした。
「ああ、起きてるよ、真璃絵」
何でもないように返事をした伶に、隣りの男が慌てる。
「失礼します」
鷹見の慌てぶりとは裏腹に、伶は普段と変わらぬ様子で、部屋に入ってきたメイドに笑顔を向ける。
「おはようございます、伶さま、鷹見さま」
対するメイドも、部屋の主が服を着ていないとか、その隣りで館の持ち主である雇用主が慌てふためいていることとか、意も介さずに、爽やかな笑顔で挨拶をする。
「おはよう、真璃絵。今日もいい天気だね」
「ええ。本当に。気持ちのいい、お洗濯日和です!伶さま、鷹見さま。ご朝食は、いかがなされますか?」
「そうだね。もう、朝も遅いから……、昼食と一緒に、軽くいただこうかな。鷹見もそれでいいだろう?」
「あ……、ああ」
「じゃあ、そういうことで」
「ここでお召し上がりになりますか?」
「いや、下で食べるよ」
「そうですか。それでは、用意が出来ましたら、お呼びしますね」
「頼むよ」
それだけ、会話を済ますと、仕事熱心なメイドは小さくおじぎをして、戻っていった。
洗濯日和、と言っていたから、今も洗濯機を回しているのかもしれない。
こんなにいい天気なら、シャツもシーツも、気持ち良く乾くだろう。
楽しそうにシーツを干している真璃絵の姿が、すぐに想像できて、知らず、微笑がこぼれる。
ふっと、隣りを見たら、そんな伶とは対照的に、鷹見はむすっとした顔をしていた。
「どうしたの」
恋人が不機嫌なわけを想像できずに、伶が問いかけると、鷹見は明後日の方向を向いたまま、ぼそっと言った。
「……お前には、羞恥心、ってものが、ないのか」
「羞恥心?」
何それ、といった感じで伶が呟いたので、鷹見はがっくりと、肩を落とした。
「真璃絵は気にしないと思うよ?」
更にピントの外れた事をいう伶に、鷹見は無駄と知りつつも噛み付く。
「俺が気にするんだッ!」
「そうなんだ?意外と、繊細なんだねぇ、君」
自分のほうが100倍も繊細そうな顔をしているのに、感心したようにいわれて、詐欺だ、と言葉に出さずに鷹見は思う。
このツラに、一体どれくらいの人間が騙されているんだろう。
そして間違いなく、鷹見もその内の一人なのだ。
わかりすぎるくらいわかっているはずなのに、性懲りもなくこの(顔だけは、確実に)繊細な青年に、何度も騙されている。
今だって、白いシャツを纏う、男にしてはほっそりとした身体を見て、霞みだけを食べて生きているんだ、と言われても、鷹見は簡単に信じてしまいそうな気がする。
「服。着ないの、鷹見」
「着るよ。……おい、伶。ボタン。ひとつずつ、かけちがえてるぞ」
器用そうで、変なところでぬけている、綺麗な幼馴染み。
鷹見は手を伸ばして、ボタンを外して、上から順に、かけ直す。
「鷹見の手って、大きいよね」
それを上から眺めていた伶は、のんびりと呟く。
「普通だろ」
終わったぞ、と離れていく手を、伶は名残惜しそうに、目をやりながら。
「……でも、僕、好きだな。鷹見の、手」
いかにも、無防備に、口にされた言葉に、驚いて鷹見は顔を上げる。
そこでは、からかうでもない、それこそ、天使のような微笑が自分に向けられていた。
どういう顔をしていいかわからない、繊細な幼馴染みは、怒ったように顔を赤くして、黙って服を着始めた――――。
他人の体温なんて、鬱陶しいだけだと思っていた。
心地よい、安らぎをさまたげるもの。
そんな風に、思っていた。
ずっと。
先に下に行ってるね、といって伶が部屋を出ると、ああ、と僅かにくぐもったような返事が返ってきた。
階段を降りていくと、洗濯物を干しながら、楽しそうに歌っている、メイドの声が聴こえてくる。
その朗らかな声を聴きながら、思い出していた。
恋人の大きな手を。
他人の体温なんて、鬱陶しいだけだと思っていたけど。
見た目より繊細で、優しい手が、伝えてくる。
朝の光のような、楽しい歌声のような温かさが身体を満たしてゆく。
いつまでも、いつまでも、まどろんでいたい。
そんな気分になるんだ、鷹見―――。
「ほんとはずっと、さわっていて欲しいくらいなんだけど」
呟いて、けれど、恋人には伝えない。
繊細な恋人の反応が、伶には容易に、想像できたから。
Fin.