学園ヘヴン(丹羽&滝)

そばにいるよ

 凪に入ったんだろうか。
 さっきまで梢を揺らしていた風が、ぴたりと止んでいる。
「暑いぜ……」
 首を締め付けるネクタイはすでになく、シャツも、外せるボタンは全て外している。
 いっそ、潔く裸になろうか。
 そう思うくらいに、ベルリバティスクールの夏の日差しは強烈だった。
「あー、クソッ。風、吹かねーかなあ」
 木陰でだらしなく、動物園のクマのように寝そべっている青年が、そう呟いた瞬間。
「うわっ!」
 羽織っているだけのシャツが、突風で盛大にはためいた。
「……っ、この、クソザル!俺を轢き殺す気か!」
 違う意味で涼しくなった彼は、起き上がって、風を巻き起こしたサル……ではなく、少年を振り返った。
「誰にもの言うてはるんですか!世界選手権第三位のこの滝俊介様が、そんなヘマやらかすわけありませんって」
「だからって、俺をまたいでジャンプするヤツがあるか!」
「え?ここに、おりますやん」
「サル……」
 冬眠(夏眠?)を妨害されたクマに、不機嫌な目で睨まれたイタズラ好きな子ザル―――もとい、滝俊介は、あわててマウンテンバイクから降りた。
「いややなー。軽いボケやないですか。怒っちゃいやん。……や、ホンマすんませんって!俺もいちおーよけよう思うたんですよ?けど、ちょーっと気づくの遅れてもうて。こりゃ、避けるより、跳んだ方が早いな思うたんですわ」
「お前な……」
 トライアルの障害物扱いされて脱力するが、悪びれずに笑っている滝を見たら、これ以上怒るのもバカらしくなってくる。
「ま、いいけどよ。気ィつけろよ、これからは」
「わかってますって。以後、気をつけさせていただきます、ハイ」
 無駄に調子のいい滝に苦笑して、再び草の上に寝転がった。
「そやけどな、王様も王様でっせ。こないなとこで寝てはったら、そら轢かれそうにもなりますわ」
「ああ?んだよ、土手で寝てちゃ悪いってのか」
「ここ通ると、近道なんですわ」
「道を走れ、ちゃんとした道を」
「それ言うんやったら、王様こそちゃんとした室内で寝たらええやないですか」
「アホ。んなとこで昼寝なんかできっか。見つかっちまうだろ」
「なんや。また逃げてるんですか?」
「ったりめぇだろ。やってられっか。こんなあっちー日に仕事なんて」
「そやかて、学生会室の方が涼しいんやないですか。エアコンもついとるし」
「あー、ごちゃごちゃウルセーな、このサルは。つべこべいってねーで、お前もサボれ!」
 只今逃亡中の会長は、不毛な会話を打ち切って、滝の腕を乱暴に引っ張った。
「わわっ!何しはるんですか!」
「これで、お前も共犯だ」
「……ホンマ、ムチャクチャやな、王様は」
 呆れたように笑って、滝はそのままごろんと、隣に寝そべった。
 

「おーい、王様?」
 小声でささやく。
(なんや、すっかり寝てしもうたんか?)
 自分から誘ったくせに、丹羽はそれから何もしゃべらずに、目を閉じてしまった。
(ホンマ、うらやましなるくらい、マイペースなお人やなあ)
 仕方ないので、滝も目を閉じる。
 目を閉じていても、日差しはまぶしく、瞼裏が、赤い。
(静かやな……)
 聞こえてくる音と言えば、グラウンドからの、運動部員の掛け声くらいで。
「…………」
 三分ともたずに、滝は目を開けた。
 隣を見ると、ひっかけただけのシャツからのぞく胸が、呼吸で上下している。
(ええ若いもんが、ようこんなおてんとうさんの高いうちに寝てられるわ)
 しかも、暑い。
「…………」
 思わず、日に焼けた胸に、手を伸ばした。 
「何だよ」
 触れる寸前で、目を閉じたままの丹羽に、手を掴まれた。 
「えっ、やっ、その、ええ身体してはるな思うて!」
 寝てるとばかり思った相手に手を掴まれて、滝はイタズラを見つかった子供のように、赤くなった。
「当然だろ。鍛えてるからな。何なら、試してみるか?」
「じ、冗談、言わんといてくださいよ!」
「遠慮すんなって」
 にやりと笑って、丹羽はつかんだ滝の手をそのまま引っ張った。
「うわっ!ちょ、やめてくださいよ〜!ギブギブ!」
 片腕で身体を支え、何とか顔面衝突の事態は避ける。 
「はははっ。俺の寝込みを襲おうなんざ、十年早いんだよ、サル!」
「寝込みてなあ、王様……」
「おお?何赤くなってんだよ。ますますサルみてーになってっぞ」
「あ〜っ!さるさる言わんでくださいよ!失礼なやっちゃなあ」
 赤くなった顔を隠すように慌てて立ち上がるのを見て、丹羽はさらにげらげらと笑った。
「ホンマ、うらやましいわ。アンタみたいに強かったら、俺も………」
 食っても食っても、中々思うようには育てくれない、己の身体。
 デカけりゃいいってもんでもないが、正直なところ、あの上腕二頭筋はうらやましい。
 
(もっと、強かったら。そやったら、俺は……)



「無駄に遊ばしてるんなら、俺にもちっとばっかし分けてくださいよ、その筋肉」
 いつのまにか笑いを収めた丹羽が、自分を見ているのに気付くと、滝はへらっと笑った。
「ばーか。日々の鍛錬の賜物なんだぜ。わけられっかよ」
 そらそうですわな、とうなずいて、滝は服に付いた土ぼこりをぱぱっと払って、マウンテンバイクにまたがった。
「俺、もう行きますわ。えらい油売ってしもうた。王様も、いい加減、行ったほうがええんと……、」
「俊介」
 寝転がったまま、さえぎるように、けれど目線は空を見上げて、丹羽は言った。
「強ぇだろ、お前も」
「王様……?」
「強ぇよ、お前は。だから、あんま無茶、すんな」
 丹羽の声には、先ほどまでのからかう様な響きがなかった。
「何、言うてはるんですか、王様。俺、無茶なんかしてませんって。無茶してるゆうたら、王様の方やないですか」
「そうか?なら、いいんだけどよ」
「いきなり、変なこと言わんでくださいよ」
(びっくりした……)
 寝てると思ったら寝てなくて、見てないと思ったのに、ちゃんと見てる。
 悪いな、変な事言って、と笑いながらこっちを見る丹羽に、滝は内心焦った。
「王様みたいにアホみたく強い人に言われたって、嫌味にしか聞こえませんって」
「ははっ。それもそうだな。ま、この俺が強ぇのは当然だけどよ。なんつっても、俺は王様なんだからな。お前らの」
 豪快に笑う丹羽に、釣られて滝も笑った。
「……ホンマ、敵いませんわ、アンタには。ほな、今度こそ、俺行きますよって。王様も……ああ、お迎えがきはったようですよ。お〜い!こっちでっせー!」
「げ!バカ、呼ぶなっ!」
「ほな、さいなら〜」
 後ろで叫ぶ丹羽に手を振りながら、滝はさっそうとマウンテンバイクを走らせた。
 
 
 が。

「げっ。王様、やめて下さいよ。重量オーバーや」
「うるせえ。俺も運べ!」

 いつのまにかバイクの後ろに丹羽がちゃっかり、座っていた。
 そして、その後方には―――ー。

「しゃあない。チケット五枚」
「五枚だあ?テメっ、ボッってんじゃねえよ!」
「引き返しましょか・」
「……クソッ!わかったよ!五枚だな!五枚払うから、さっさと逃げろッ!」
「ラジャッ!しっかりつかまってや!」

 うだるように暑い、ベルリバティスクールの午後。
 規定外荷物を請け負ったBL学園の便利屋の疾走は、生徒からの声援を受けながら、日暮れまで続いたのだった。


Fin,