コイビト遊戯SS(諒×裕太)

  和服美人  

 紺色の和服をさらりと着こなして、お茶を点てている諒は、見慣れた幼馴染のはずなのに、どこか違って見えて、ドキドキする。
 細くて綺麗な指が、茶筅を器用に動かしている様を、裕太はだらしなく寝そべりながら眺めていた。
 こんな格好をしているのも、このお茶室にいるのが、裕太と諒の、二人きりだからだ。
 なんとなく、諒が、お茶を点てている姿を、見たくなって。
 でも、そうと口にするのは何となく恥ずかしかったので、お茶を飲みたい、ポットのお湯に急須じゃなくて、本格的なの、とワガママを言ったのだ。
 諒は、しょうがないなあ、といいながらも裕太のリクエストを聞いてくれた。
 着物姿なのも、リクエストだったりする。
 どうせなら、形もそれっぽい方がいい、とか言って。
 ホントはそっちが、メインだったりするんだけど。
 裕太自身は、いつものラフな普段着だ。
「さすが、ジキイエモト、って感じだな〜。すげー」
 下から、見上げるようにして言うと、諒は手を止めないまま、ちょっと苦笑した。
「何、言ってるんだよ、裕太」
「えー、だって、そうじゃん。カッコだけじゃない、って感じだし。すっごい、様になっててさあ。なんか、さ……」 
 褒め言葉は、だんだん、小さくなって、消えてゆく。
 ほんのわずか、下がったテンションに、諒はちゃんと気付いて、手を止めて、裕太に目をやった。
「なんか……って。それが、どうか、した?」
 すぐに気付いてくれる、幼馴染が嬉しくて、でも、こんな時は居心地が悪かったりする。
 どう、言葉にしていいのか分からない気持ちでさえも、すぐに察してくるから。
「ん〜。別に……。どう、ってことはないけど。ちょっと。ちょっと、だけ……」
 やっぱり、声は、どうしてもしぼみがちになる。
 こんな事をいうのは、子供っぽい、と裕太自身も、わかっているから、余計に。
「寂しい、かなって」
「えっ……」
 驚いた声を上げられて、裕太はがばりと起きあがって、ぶんぶんと首を振った。
「や、別に、ホント、大したことないんだって!ちょっとだけ、こう、思っただけなんだから!」
「俺……、裕太を、寂しく、させてるのか?」
 悲しそうな顔で言われて、言うんじゃなかった、とすぐに後悔したけど、もう遅い。
 一度口にした言葉は、戻ってこない。
「諒のせいじゃないんだよ?オレが……情けないって、だけで」
 それだけで、終わらせてしまいたかったんだけど、やっぱり、それだけでは納得してもらえそうにない。
 裕太は、胡坐をかいて座りなおすと、諒の方を見ないようにして、ぽつりぽつりと話し始めた。


「諒は、さ。すっげー、しっかりしてるし。いつでもジキイエモトになれそーなくらい、お茶のことだって、出来るだろ。それって、将来の先行きがちゃんと見えてるってことだろ?それに比べたら、オレって、とか、思っちゃって……」
「そんなの……。俺は、たまたま、家がお茶をやってるから、小さい頃からしてきただけってだけのことだし。俺たちの年代で、将来のことがハッキリしてないのなんて、フツーだろ。卒業後の進路だってまだ決めてないヤツだって、多いんだし」
「それは、わかってるよ。わかってるけど、諒は、違うじゃん。そー思ったら、ちょっと、ちょとだけ……」
 置いてきぼりにされてしまったような、そんな寂しさを感じてしまう。
 でも、そんなことを言われても、諒は困るだけだ。
 わかってるから、言うつもりはなかったのに……。
「裕太は、裕太だろ。時間はいくらでもあるんだ。これからゆっくり、考えていけばいいさ」
「うん……」
 諒は、優しい。
 自分が、言って欲しい、と思っている言葉を、先回りして、与えてくれる。
 だから、とても心地いい。
 でも、だからこそ、思うのだ。
 このままで、いいのかなって。
 諒に、甘えてばかりいる、この現状で……。
「また、余計な事、考えてるだろ、裕太」
「え……?」
「裕太は、素直だから、顔に出てるんだよ、全部」
 点て終わったお茶を、すっと差し出しながら、諒はいつもと変わらない、笑顔を見せた。
「言っとくけど。変に遠慮されるほうが、俺はよっぽど、傷つくんだってこと、覚えててよ。俺は、どんな小さなことだって、話して欲しいんだよ」
 掌に、おさまりそうなくらいの、雪のように真っ白な茶碗を、そうっと口に運んだ。
 ほのかな甘みが、口の中にゆっくりと広がる。
 心が、ほっとする、温かさだった。
 まるで、諒みたいに。
「うん、ありがと。諒なら、そう言ってくれるだろうなって、思ってた」
「……なんだよ。不満そうだな」
「そんなんじゃないよ。そんなんじゃない、けど……」
「けど?」
「いいのかなあって……」
「いいに、決まってるだろ。俺が、それでいいって、思ってるんだから」
「それはわかってるけど。ずっとこのままってわけにはいかないじゃん。諒は、この先、イエモトになるんだろー。そしたら、色々、あるだろ」
「色々って?」
「お嫁さんが来たり、とか……」
 口にしてすぐ、シマッタ、と思った。
 諒が、微笑みのまま、フリーズしてる。
 そして、その後、ゆらり、と何かが立ち上った。
 ……怒ってる。
 無言だけど、だから余計に、コワイ。
 普段口うるさい諒なので、何も言わないってのは、よっぽど、って事だ。
 静けさが、心臓に悪い。
 すうっと息を吸い込んだ諒が、何を言い出すのかわからなくて、裕太は小さく、身をすくめた。

 
「………俺って、そんなに、信用ないのか」
 しかし、出てきた言葉は、怒ってる、と言うよりも、凄く悲しそうな声だった。
 さっき、寂しくさせてるのか、って言った時よりも、もっと。
「裕太がいるのに、誰か、他の人と、結婚しちゃうって、思われるくらいに」
 痛いくらいに真っ直ぐに、見詰められて、裕太は目を反らす事ができない。
 こんな時に、不謹慎なのかもしれないけど、真剣な諒って、カッコいいなあ……とか、思ってみたりもして。
「だ、だって……オレは、上に優秀な兄ちゃんがいるし、よくわかんないけど。諒は、ひとりっこじゃん。で、行く行くは家業を継ぐだろ。そしたら、やっぱ、跡継ぎとか、いるんだろ。そんなん、オレには、出来ないし……」
 今は、見なかった事にする事ができる。
 でも、これからもずっと、ってわけにはいかないのは、諒だってわかってるはずだ。
 裕太は、諒だけじゃなく、諒のおじさんも、おばさんも、好きだ。
 好きだから、悲しませるような事は、したくない……。
「裕太。そんなこと、考えてたのか……」
 諒は、驚いたように、目を丸くしている。
 あんまりびっくりしてるので、裕太は思わずムッとした。
「考えるよ。考えないわけ、ないじゃん。だって、オレたち……」
 口にしなかった単語を、諒はさらりと言葉にした。
「コイビト、だから?」
「そうだよっ!」
 あんまりあっさり言われて、裕太はますます、ムッとする。
 男同士で恋人で。
 しかも、幼馴染で。
 お互いの、家の事とか、家族の事とか、わかりすぎるくらい、わかってて。
 それで、先のことをまったく考えないのは、嘘だろって、裕太は思う。
(諒だって、考えないわけ、ないんだ……)
 裕太は、諒がどう思っているのか、知るのが怖かった。
 だって、それなら、恋人同士を解消しようか、なんて言われたら、悲しすぎるから。
「まあ、ね……。俺だって、そういう事、考えないわけじゃないよ?でも、今すぐ、答えを出すことじゃない」
「でも……っ!」
 反論しようとした裕太を、諒が軽く手を振って、止める。
「聞けよ。有耶無耶にしようって言いたいんじゃないんだ。この先どうするのかは、その時々で、ちゃんと考えていくさ。俺の親にも、裕太のご両親にも、言わなきゃならなくなった時は、ちゃんと、言う。それに……」
 そこで、一端、言葉を切ってから、淡々と続けた。
「俺が、家元を継ぐとして。仮に――絶対ないけど――誰かと結婚したとして。その間にできた子供が、必ず、次の家元になるとは、限らないだろ。子供が、出来ない可能性だってある。全然違う職に就く可能性だってあるんだ。それを言うなら、俺だって、絶対、家元になるって保障はない。どっちみち、何年か経たないとわからないんだ。それを、今からぐちゃぐちゃ考えても、どうしようもないだろ」
「それは……そう、だけど」
 諒の言う事は、いちいち最もだ。
 頭では、わかってる。
 だが、先のことを考えて、どうしようもなく、不安になってしまう、心だけは、止められない。
「裕太が、俺の事を想って言ってくれてるんだってのは、わかるよ。それは、すごく、嬉しい。でも、もっと気楽に構えて欲しいんだ。似合わないよ、先のことを考えて、顔を顰めてる裕太なんて」
「なんだよ、それ!オレだって、色々考えて……まるで悩みがないみたいに、言うなよ!」
「ごめん。そんなつもりなくて。ただ……」
「ただ、何?」
 先を促すと、諒は、照れたように笑った。
「俺と一緒に居る時は、裕太には笑っていて欲しいって、思ってるから。まだわからない、先のことに思いめぐらして顔を曇らせてるんじゃなくて。今、ここに居る、俺の事を見て欲しいって、思ってるから……」
 照れくさそうに、でも、はっきりとそう告げた諒に、裕太は感じていた不安が、無くなりはしないけれど、少しだけ晴れる思いだった。
「うん、そうだよな……」
 裕太が一緒に居るのは、何年後かの、ジキイエモトの諒ではなく、ここにいる、幼馴染でコイビトの、諒なのだから。
「とりあえず、悩むの、止めた!ぐるぐる考えてて、今の諒を堪能しなかったら、もったいないよな!」
 ニカッと笑って言ったら、諒も、ホッとしたように、笑って頷いた。
「うん、そうしてくれ。……でも、今の俺を堪能、って何だよ?」
「何って、言葉通りだよ。諒の今、この瞬間を味わい尽くすの。だって、色っぽいじゃん」
「はあ?何言ってんの……」
 ニヤリ、と笑って見詰めたら、諒は微かに頬を赤らめた。
 ますます、色っぽい。
「お茶やってるからかな。背筋がぴんと伸びてて気持ちいいし。着物はすげー似合ってるし。何て言うの?襟元から色香が匂い立ってるって言うか。脱がしたくなる」
 悩みが軽くなったからか、調子に乗って続けたので、怒るかなと思ったら、諒は澄ました顔でとんでもないことをさらっと言った。
「……じゃあ、脱がしてみる?裕太に、出来るんだったら、ね」
「言ったな!それなら、やってやるからな!見てろよ!」
 膝をついて、這うようにして、じわじわと、諒に近づく。


 乗せられたのは、果たして、どちらが先なのか。
 着物の襟元に触れた裕太の指先を、掠めるように諒の手が伸びてゆく。
 庭の獅子脅しが高く響いて、茶室にまで微かに届いた。
 その後は、もう、何も聴こえなかった。
 互いの息遣い以外は、何も―――。
 

Fin.  
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