鬼畜眼鏡SS(本多×克哉)

日曜日のブランチにホットケーキを食べよう

 甘い匂いにつられて、目が覚めた。
 この懐かしい匂いは……、バターと卵とミルク、だろうか。
 本多は、もそもそとシーツから這い出て、顔を上げた。
 昨日、確かに一緒に眠りに付いたはずの恋人は、すでに隣には居なかった。

「克哉……?」

 起き抜けの、低くかすれた声で、恋人の名前を呼ぶ。
 昨夜、本多の部屋に泊まった、克哉の名前を。
 そう、大きな声ではなかったが、広い部屋ではないので、本多の呼ぶ声が届いたのだろう。
 小さなキッチンから、克哉がフライ返しを持ったまま、現れた。

「おはよ、本多。目、覚めた?」
「ああ。克哉、おはよう。……これ、何の匂いだ?俺、この匂いで起きた」
「そっか。それって結構、いい目覚ましだったんじゃない」

 俺はどうせなら隣で眠る、お前の顔を見ながら、目を覚ましたかったよ、と口に出そうとして、やめた。
 付き合い出してから、もうそれなりの月日が経ったはずなのに、克哉はこういうことを、言わせてくれない。
 ……照れ屋なのだ、凄く。
 まぁ、そういう恥ずかしがるところも可愛かったりするんだけど。
 だから、わざとそういうことを言ってみることも、ある。
 だが、克哉は照れ屋であると同時に、怒らせたら誰よりも恐ろしくもある。
 下手に怒らせでもしたら、今、恋人が作っているのであろう朝食、いやもう時間的には昼飯か?――が、食えなくなるかもしれない。
 なので、喉元まで出掛かった言葉を引っ込めて、あいまいに笑って誤魔化す。

「うん、まあ……そうだな。で、結局、何なんだ?」
「何だと思う?当ててみなよ」

 質問を、質問で返される。
 にっこり笑って言うのは、反則だと思う。
 今日の克哉の機嫌は、相当いいらしい。
 恋人が嬉しそうだと、本多まで何だか嬉しくなってくる。
 幸せが、ほのぼのと伝わってきて、ほんわり温かい。
 つられて、にっこりと笑い返し、まだ起きたばかりで、上手く働かない頭で考えた。

「うーん、何か卵と牛乳の匂いがするんだよなー。卵焼き?あ、でも、克哉って、卵焼き、甘くするほうだっけ」
「オレは、甘い卵焼きも割りと好きだけど、今作ってるのは違うよ。あ!いけない。のんびりしゃべってたら、焦げる!」

 克哉は、正解を言う前に、慌ててキッチンへ戻っていった。
 シンプルなエプロンの裾が、ひらりと翻る。

(……今度、もっと可愛いの、買ってこようかな)

 本多の大き目のシャツ(本多自身には大きくないのだが、克哉には大きい)と、チノパンという、休日らしいラフな格好をした克哉は、料理中だからかエプロンをしている。
 ちなみに、それは本多のものではない。
 一応、自炊もするが、本多は料理するのにわざわざエプロンなんかつけない。
 そういうところは、克哉の方がきっちりしているのだろう。
 本多も使っていいよ、と言ってエプロンを克哉が持ってきたのだ。
 水色のシンプルなエプロンは克哉によく似合っていたが、どうせなら、もっとこう、ひらひらしたのとか……。
 思わず、脳内でひらひらのエプロンを着た克哉を想像し、おお、イケる!……と、思った本多だったが、そんなものを克哉が着てくれるわけがない、という当然の事実に気付く。
 どうやら、まだ頭が寝ていたようだ。

「本多?何やってんの。早く着替えなよ。朝ごはん……じゃないかもう昼近いから、ブランチだね。食べるでしょ」
「あ、ああ、うん。悪い、すぐ、着替える」

(でもやっぱ、ちょっとだけ、見てみたよなー)

 往生際悪く、克哉に知られたら確実に殴られそうな事を思いながら、本多は手早く服を着替えたのだった。


「はい、どうぞ。召し上がれ」
「おっ。これは……」

 克哉が、テーブルに運んできたもの、それは、丸くて、黄色い……、

「ホットケーキか。懐かしいなー。前、いつ食ったのか覚えてねぇよ」
「だろ?スーパーでホットケーキミックス特売してるの見てさ。たまにはこういうのも食べたいよなあって思って買ってきたんだ」
「男ふたりでホットケーキ、ってのもちょっと妙な気分だけどな」
「いいだろ、たまには。誰が見てるわけでもないんだからさ」
「悪ィ。そんなつもりで言ったんじゃねぇって」
「文句があるなら、本多は食べなくてもいいよーっだ!」

 イーッと口を広げて、克哉は顔を顰めてみせる。
 そして、本多の前にあったホットケーキの皿を、自分のほうに引き寄せた。
 だから、二十五歳成人男子で、んな可愛いのは反則だって。
 と、本多は思ったが、やはり口には出さない。
 本気じゃないのはわかってるし、下手にこれ以上怒らせない方が得策だ。

「ごめんなさい、俺が悪かったです、克哉様。だからこのホットケーキを食べさせてください!」

 大げさなくらい謝って見せると、克哉はくすりと笑って、ホットケーキの皿を押し戻した。

「……いいよ。許してあげる」
「サンキュ、克哉。いただきます」

 一応ちゃんと本多の家にもあった、フォークとナイフでキツネ色のホットケーキをさっくりと切って、口に運ぶ。
 本多が食べるのを、克哉がじっと見ている。

「美味い!久しぶりに食べたけど、美味いな〜」
「そう?よかった。ま、ミックスで焼いたからまずくはなりようがないはずなんだけど。でも、安心した」

 それから、おもむろに克哉も、ホットケーキを食べ始めた。

「おいおい。俺は毒見かよ?」
「んー。そんなことないけど。ほら、久しぶりだから」
「それ、理由になってねーから」
「まあまあ。細かい事気にするなよ、本多。あ、メープルシロップも買ってきてあるんだよ。つける?」
「つける」

 なんだかはぐらかされたなーと思いつつ、メープルシロップを受け取る。
 とろりとしたシロップをホットケーキにかけると、一段と美味そうに見える。
 男二人でホットケーキなんて、などとさっきは言ってしまったが、たまにはこういうのも、悪くないかもしれない。
 遅い休日の朝に、恋人の作った、ホットケーキを食べる。

(うん、幸せだ……)

 日々の疲れも、気持ちよく癒されようと言うものだ。
 そんなささやかな幸せを、しみじみと本多がホットケーキと共に噛み締めている間も、恋人は特に思うところもなさそうな雰囲気で、ホットケーキをぱくついている。
 ふっと見ると、克哉の左腕にシロップが垂れていた。

「克哉、そこ……」
「ん?」
「シロップ」
「あ、ホントだ」

 本多が指を差して教えると、ようやく克哉も気付いたらしい。
 意外と、こういうところは抜けているのだ、本多の恋人は。
 しょうがねぇなあ、と思いつつ、近くにあったティッシュを取ってやろうとしたら、その前に、克哉は左手首から肘に向かって垂れていたシロップを、自分で舐め取ってしまった。
 その一部始終を、本多は思わず、じっくりと見てしまった。

「克哉、お前………」
「何?」
「エロい……」
「はぁ!?何言ってんの、本多」

 心底、呆れたような顔をされて、本多はムッとした。
 いやだって、今のはものすっごく、エロかった!
 誰かに、思いっきり力説したい気分だ。
 克哉は、自分で自分のことが見えてないから、そんな冷たい目で本多を見る事ができるのだ。

「自覚なくエロいってのは、犯罪だよな」

 つい、ぽろりと本音とも心配ともつかない、言葉が漏れる。
 それを聞いて、克哉の肩眉がひょいとつり上がった。

「本多?何が言いたいの」
「えっ、あ、いや……な、何でもない」
「あっそう。なら、いいけど」

 今、一瞬氷点下になった。
 先に惚れた弱み、なのかもしれないけど、克哉には敵わない。

(何だか、すげー、理不尽なんだけど……)

 今のは俺、間違ってないよなあ?
 と、言いたくても、残念ながらここには、その言い分を聞いてくれる人がいないのだった。

「あ、ほら。本多だって、ついてるよ、シロップ」
「え?どこだ?」
「えっと、ここ」

 言うなり、克哉は本多の手を取ると、右手の甲をぺろりと舐めた。

「………っ!!」

 不意打ちも、いいところだ。
 避けることも、止める事もできなかった。

「克哉、お前………」

 何だかすごーく、疲れた気がする……。

「ん?何、本多」

 何事も無かったように、恋人はホットケーキを食べるのを再開させていた。

「お前、もしかして、誰にでも、こうなのか……?」

 恐る恐る。
 もし、そうだったら、何が何でも、止めさせなくては。
 そう、本多が固く決意した目の前で、克哉はくすくすと笑った。

「馬鹿だな。……本多、だけだよ。当たり前だろ?」
「〜〜〜〜克哉っ!!」

 もはや、本多は喜んでいいのか怒っていいのか、それとも照れるべきなのか、わからない。
 ぐるぐるしてきた気持ちを落ち着けるために、本多はホットケーキを口に詰め込んだ。
 
「うっ!?……ゲホッ、ゲホッ!!」
「そんな慌てて食べなくても、まだちゃんとあるよ、ホットケーキ」
「ち、違っ……」
「牛乳、飲む?」
「の、飲む……っ」


 よく晴れた日曜の、遅いブランチ。
 バターと卵とミルクの、甘い匂いで満たされた室内では、しばらく、幸せにむせる本多の咳き込む声が響いたのだった。


Fin.