臨海合宿SS(霧原×真田)

教えてセンセイ

「失礼しまーす。何の用スか、せんせー」

 がらがら、と音を立てて教官室の扉を開く。
 職員室と違って、担当教科ごとの部屋なので、並んでいる机は少ない。
 それでも、数人はいるはずの教師は、今は誰も居なかった。
 中に居る一人は、生徒からは一応、『先生』と呼ばれる存在だが、正確にはまだ『先生』ではない。
 そう、彼は教育実習生だった。

「やあ、真田君。よく来たね」

 女生徒受けする爽やかな笑顔で、教育実習生が声を掛けるのに、真田直登は、ゲッ、と小さく呟いた。

「おやおや。第一声がゲッ、だなんて、ご挨拶だな。先生、傷ついちゃうなあ」
「……何で、お前がいるんだよ?」
「お前、じゃなくて、霧原セ・ン・セ・イだろ。もう。なんでって、そりゃあ、ボクが呼んだからに決まってるじゃないか」
「でもオレ、霧原、先生に呼ばれたって言われてな……」

 ここの教科の先生が呼んでるから教官室に行けって言われただけで。
 と、そこまで考えて、誰が呼んでたのかまでは聞いてない事を思いだした。

「わかった?」

 にこっと笑って言われて、だまされた、と思ったけれども、もう遅い。
 霧原が呼んでるとわかってたら、絶対、行かなかったと思うから。
 というかその前に、ここが霧原の担当する教科の教官室だってことを疑ってかかるべきだった。
 それもやっぱり、今更、だったが。
 教育実習生は教育実習生らしく、教生用の控え室に控えていろよっ。
 叫びたいのを何とか堪えて、努めて平静に言葉をひねり出す。

「〜〜〜っ!何の、御用、ですか、先生っ!?」
「やだなあ、何そんなに怒ってるの?」
「別に怒ってないっ……です」

 相変わらずにこにこ笑っている霧原の顔を見ると、問答無用で張り倒したくなった直登だったが、ぐっと我慢する。
 何も好き好んで問題を起こして、うっかり処罰を食らったりはしたくない。

「次の授業の準備、手伝って欲しいんだ。ちょっと持ってくものが多くって。そこのプリントの束。運ぶの手伝って欲しいんだ」
「これ?」

 霧原が指差した先には、大量のプリントが積み上げられていた。
 確かに、教科書その他諸々テキストプラス、プリントの束を運ぶのは大変そうだ。
 教生の控え室ではなく、教官室に居たのも、授業の準備に必要だったからなのだろう。
 直登は言われた通りに、プリントの束をよいしょ、と両手で抱え上げた。

「うん、そう。ありがとう、真田君……」

 つつ、と直登の傍まで近寄ってきた霧原は、礼を言いながら、すーっと直登の腰から下へのラインを撫でた。

「うひゃっ!ちょ、何するんだよ!」
「何って、お礼?」
「どこがだっ!」

 ここに真柴がいれば、確実に、セクハラセクハラ!と突っ込んでいるところだろう。
 だが、残念ながらここにそのクラスメイトはいない。
 文句は言っても、両手が塞がっているので、それ以上何も出来ないのをわかっててやっているのだから、性質が悪い。

「ん〜、だって、ねぇ?目の前に君の素敵な細腰があるんだよ。撫でるなっていうのが、無理な話じゃない?」
「開き直るなっ、このセクハラ男!」
「えー、ひどいなー。恋人に向かって、その台詞はないんじゃない?」
「こっ……!」
「あれ、否定するの?違うって言うなら、もっとすごいこと、ここでしちゃおっかなー」
「ばっ、馬鹿、よせ!何考えてんだお前!」
「だから、お前じゃないでしょ。霧原センセイ」
「……冗談は止めて下さい、霧原先生」
「はーい、よくできました。でも、ボクは冗談言わないよ?」
「……っ!」
「恋人、だよね?真田直登君」
「ハイ、そのとーりです、霧原先生……って、だからどこ触ってんだよっ!」

 プリントの束を下ろしてしまえば言いだけなのだが、すっかりパニクってしまった直登は、そのことに気付かない。
 不埒な手が、さわさわと背中のラインを辿ってゆくくすぐったさに、プリントを抱きしめるようにして、必死に堪える。

「ホントは素肌の方が断然いいんだけど、シャツ越しってのも、それはそれでそそるよね。癖になりそう」

 なんでこんなのが教育実習生なんだ!
 間違ってる!
 と、叫びそうになるのを何とかやり過ごして、キッと霧原を睨む。

「ごめん、怒った?」

 流石にいたずらが過ぎたと思ったのか、直登を窺うように、霧原が尋ねた。

「わかってんなら、んなこと、するなよ。こんなとこで」
「あ、それって、場所がここでなかったら、オッケーってこと?」
「………」
「ごめんごめん。もう言いません」

 無言の睨みが効いたのか、霧原は両手を挙げて、直登から離れた。
 直登がほっとしてプリントを抱えなおすと、霧原は傍らのテキスト諸々を手にして、ふう、と悩ましげにため息をついた。

「でもボク、そろそろ限界なんだよねぇ」
「何がだ……」

 あまり聞きたくなかったが、そういうわけにもいきそうになかったので、嫌々尋ねる。
「何って、決まってるじゃない。教生って、思ってた以上に忙しくって、暇がないし。それなのに、君は頻繁に目の前をチラチラするし。もうめんどくさいから、このままここで押し倒しちゃおうかなって思うんだけど、そういうわけにもいかないし。ねぇ?」

「同意を求めるな、同意をっ!」
「冷たいなあ。君を求める気持ちは、ボクの一方通行なのかな?切ないなあ」

 わざとらしいくらいに悲しげな顔をされ、直登はうっと詰まった。
 これは演技だ、わざとだ、と頭では分かっているのに、こういう顔をされると弱い。

「べ、別に……学校、以外では、その、会ってるんだし」
「そうだけど、足りないよ、全然。ボクは翌日の準備があるし、君を一晩中拘束するわけには行かないし」
「……っ、大人なんだから、我慢しろ!我慢!」
「大人だから我慢できないんだよ。わかるだろ?」
「うるさい!そんなの知るか!」


 これ以上話していても、埒が明かない。
 と、いうことにようやく気付いて、直登は、教官室のドアを、塞がった両手で苦労して開けた。

「ほら、次、授業なんだろ!早く行くぞ」
「はーい。わかりました。あーあ。つれないなあ、真田君は」
「どこがだっ。テメーがしつこいんだよ!」
「えー、でも、最近は真田君だって、結構……」
「何の話だ!?」

 本当に埒が明かない。
 この際、真柴じゃなくても、誰でもいいからこの男の口を止めて欲しい。
 切実な思いが、どこかに(?)届いたのだろうか。
 廊下の向こうから、よく見知ったクラスメイトが声を掛けながら近づいてきた。

「やあやあ、真田君!大荷物だね。ボクも手伝おうか?」
「ああ、太田。悪い、助かる。半分持ってくれ」
「お安い御用だとも!」

 たたっと駆け寄ってきた太田は、直登からプリントの束をきっちり半分受け取った。

「これは次の授業の分ですか、霧原先生」
「ああ、そうだよ。ありがとう、太田君」
「いえいえ!お気になさらずに!それにしても、霧原先生と真田君は、本当に仲がいいんですねえ」

 邪気のない太田の言葉に、直登は思わず意味もなく咳き込みたい衝動に駆られる。
 そんな直登の様子など気にした風もなく、霧原は笑顔で答えている。

「うん、仲が良いよ、とっても……ね?」

 意味ありげな目線で同意を促されて、直登はかなり本気で、この男を張り倒したくなってきた。
 何故、自分がこの男と、仮にも付き合っているのか、わからなくなってきそうだ。

「ふ、フツーだろ、フツー!」
「ははっ。真田君は、照れ屋さんだなあ!」
「ふふ、ホント、そうだよね」

 ははは、ふふふ、と笑いあう二人に、誰が照れ屋だ!と突っ込むのも、最早虚しい。
 誰でも良いから、とは思ったけど、やっぱ太田は却下だ、と直登は思った。
 そして、教育実習生なんかを恋人に持つものではない、と心底思った。

(まさかとは思うけど、こいつ、このままココの先生になったりしねぇだろうな……?)

 そんな、恐ろしい未来が一瞬頭を過ぎると、軽くなったはずのプリントが、ずしりと重みを増した気がしたのだった……。


Fin.