神学校(ジャック)
牛は世界で一番可愛い
澄み渡るように、高く、青い空が途切れることなく、俺の頭上に広がっている。
その下には緑の草原が、やっぱり同じように広がってて、思い思いの場所で牛が草を食んでいるのが見えた。
「よく来たな、ジャック」
麦わら帽子をかぶった叔父さんが、大きな手で、俺の頭をくしゃくしゃとかきまぜた。
あけっぴろげな笑顔に引き込まれるように、俺も笑い返した。
「ああ。これから……ええと、よろしく、お願いします」
「ははっ。ちゃんと挨拶も出来るようになったか。それにしても、ちょっと見ない間に、デカくなったなあ」
「叔父さんが、縮んだんじゃねえの?」
「何を!? ったく、せっかく感心してたのに、もうこれだ!」
そうは言っても言葉ほどには叔父さんは怒ってなくて、相変わらず笑っている。
こんなにいい天気で、風が気持ちのいい牧草地に立ってたら、どんなに怒っていたって、すぐに機嫌が良くなるってもんだろ?
俺は思いっきり、息を吸い込んだ。
暖かな日差しは暑いくらいで、でも、空気はカラっとしている。
どんなに晴れていても、どこか湿った空気をまとっていた、英国とは大違いだ。
空気ひとつとっても、ここは英国じゃないことを実感する。
俺は、アメリカに来たんだ。
「だけど、本当にいいのか? お前の父親はああ言ったが、こっちにだって、お前が通えるような学校くらい、あるんだぞ」
「いいんだよ、叔父さん。俺、兄貴みたいに頭、よくないしさ。もう勉強は十分やったさ」
「そうか、それなら、いいんだが……」
叔父さんは、あごに手をやって、まだしばらく考えているようなそぶりを見せたが、俺が気にしていない事を納得したのか、軽く頭を振って続けた。
「じゃあ、さっそく、今日から……、と言いたいところだが。お前も、着いたばかりで疲れているだろう。明日から、たっぷりこきつかうから、覚悟しろよ」
「ああ。俺、体力には結構、自信あるんだぜ? 頭の方はともかく、さ」
「そうか、そうか。それは頼もしいな!」
叔父さんはガハハハ、と肩をゆすって豪快に笑うと、俺の頭をまたくしゃくしゃにかきまぜた。
「叔父さん、俺、牛を見てきてもいいか?」
「うん? いいぞ。だが、明日からたっぷり世話させられるんだ。ゆっくり休んでいても……」
「へーきだって。挨拶しときたいんだよ。今日からよろしくな、って」
そんな俺の声が届いたわけではないだろうけど、遠くから応えるように、モーッ! と、牛の鳴き声が聞こえた。
叔父さんは、自分の被っていた麦わら帽子を俺に被せると、背中をポンと叩いた。
「そうだな。行ってこい。足を踏まれないよう、気をつけるんだぞ!」
「そんな間抜けなドジ、踏まないって!」
背中を押され、そう返すと、俺は駆けだした。
足の下で、草がさわさわと揺れる。
しっぽで虫を追い払っていた牛が、近づいてくる俺に気付いて、顔を向けた。
「モゥ……」
真っ黒で、つぶらな瞳が、俺をじっと見ている。
俺は脅かさないように距離を保って、声を掛けた。
「これから、よろしくな!」
そして、そっと近づいて、頭を撫でた。
「モウ〜!」
返事をするように、茶色の牛が鳴いた。
しっぽが、ゆらゆらと揺れている。
まるで笑っているようで、すごく可愛い。
いつかの、ラテン語の詩の授業を思い出した。
ついこの間まで通っていた神学校。
いい思い出ばかりじゃないし、ここに来るきっかけになった出来事だって、ろくなことじゃないけど。
「牛が可愛いって詩は、褒めてくれたもんな……」
あれは、ただ単に、預言を叶えるための嘘だったのかもしれないが。
きっとそれだけじゃないって、今は、思う。
根拠なんざ、ぜんぜん、ねえけどな。
だって、そうだろ?
「お前、可愛いな」
牛を見てたら、自然と笑いたくなってくる。
それをきっと、オーガスト神父は、知ってたんだ。
今度、あいつらに、手紙を書こう。
神学校を去る俺を見送ってくれた、ルームメイトたち。
ろくな場所じゃねえって、ずっと思ってたけど。あいつらは……まあ、悪くはなかったと思う。
とりあえず、俺が元気にしてるってくらいは、伝えてやってもいい。
そして……、
「牛は世界で一番可愛いって、教えてやらねえと、な!」
牧草地を渡る風が、麦わら帽子を吹き飛ばす。
慌てて追いかけ、なんとかつかまえて被りなおすと、俺は辺りを見渡した。
緑の海に可愛い牛たちが、ぽつんぽつんと漂っている。
思いのままに、のんびりと、楽しそうに。
気がつくと、やっぱり俺は笑っていた。
今なら、いくらだって、ラテン語の詩が書けそうだ。
Fin.