神学校(ニール×マイケル)
図書館の夜
点呼が終わったのを見計らって、マイケルはこっそりと部屋を抜け出した。
それは最近、毎晩のように繰り返されていた。
夜間にトイレ以外の理由で部屋を出ることは禁止だ。
少し前までは監督生だったことを思うと、信じられない行為だった。
マイケルは、辿り着いた場所で、こっそりと、名前を呼んだ。
「ニール……?」
向かう先は、毎晩おなじ。
誰もいないはずの、図書館。
「いないのか、ニール」
声をひそめて図書館の奥へ進むと、明かりが見えた。
なんだ、いるんじゃないかと、マイケルが書架の隙間からのぞいてみると……。
(寝てる……)
ランタンの明かりに照らされて、赤毛が燃えるように輝いて見える。
と言うよりも、今にも燃えそうに近い。
マイケルはニールが伏せている机の上のランタンを、慌てて遠ざけた。
「ったく、危ないな」
音をたてないように気をつけて椅子を引き、マイケルはニールの隣に座った。
腕を枕に眠っているニールの寝顔をそっとのぞきこむ。
意志の強い青い瞳がまぶたに隠されると、年よりずっと幼く見えた。
まるで『本当の』学生みたいに。
マイケルはニールの頬に手を伸ばしてたが、すんでで止めて、頬ではなく指先に触れた。
……ら、逆に手をつかまれた。
「起きてたのか!?」
決まり悪くて思わず咎めるような声でマイケルが言うと、ニールは伏せたままの恰好で目だけをぱちりと開け、にやりと笑う。
「いつお前さんが寝込みを襲ってくれるのかと、楽しみにしてたんだけどな。待ちきれなくて起きちまった」
そう言ってマイケルの手をつかんだまま、ニールは身体を起こす。
マイケルは急いで手を振りほどくと、ニールをにらんだ。
「悪趣味だぞ、ニール!」
「そうか?」
ひょうひょうと笑って、ニールはマイケルの髪をぐしゃぐしゃとかきまわした。
鬱陶しそうにその手から逃れて、マイケルは眉を寄せた。
「それにこんなとこで、ランタンつけっぱなしで寝るなんて。危ないだろ。火事になったらどうするんだ」
「俺が燃えちまう前に、マイケルが来るから平気だろ」
「僕が来なかったら、どうする気だよ!?」
「来るさ」
「…………」
あっさりと返されて、違うとも言えずにマイケルは口ごもった。
素直にうなずくのも、なんだかしゃくに障る。
「………いい気になるなよ、ニール」
口をついて出たのは、強がりなのか負け惜しみなのかわからない、微妙な台詞だった。
「愛されてるからな、俺は」
そしてさらに返ってきたのは、またも素直に認めるのは悔しい台詞で。
ふざけるなよ、と怒ろうとしたマイケルだったが、口からぽろりとこぼれた言葉はまったく違うものだった。
「だったら、心配させるようなこと、するなよ……」
語尾がかすれて、視線がうつむく。
ニールは自分に心配されずともちゃんとやっていけるのだとわかっている。
不良学生なのは、ただの見せかけにすぎない。
マイケルはそれをもう知っていて、知っているのに、でもまだ心のどこかで信じられないと、信じたくないと思っている。
見たとおりの不良学生でいてくれればよかったのにと、初めてニールと出会ったころには考えもしなかったことを、思っている。
「悪かったな。ちょっと調子に乗りすぎたな。謝るから……だから、泣くな」
ニールの手がうつむいたマイケルの頬に伸びて、包みこむように撫でた。
マイケルは顔をあげて、ニールを再び睨みつけた。
「誰が、泣いてるって?」
「泣きそうな声、出してたじゃねえか」
「ニール、耳、遠いんじゃないのか?」
「言ったな……!」
「いひゃい、ニール、はほ、ひっはるはよ!」
頬に添えられていた手がマイケルの頬を、むにゅっとつまんだ。
泣いてないのに、涙が出そうになる。
笑いながら、ニールはマイケルの頬から手を離した。
マイケルはひりひりする頬を撫でつつ、抗議した。
「顔の形が変わったら、どうしてくれるんだよ!」
ニールはちょっと顔を離してマイケルの顔を確認すると、大げさなくらいにうなずいた。
「心配することないぜ。相変わらず、男前だ」
そして今度は顔を近づけると、ちょっとだけ赤くなった頬に、ちゅっとキスをして、
「天使みたいに可愛い、俺のマイケルだ」
耳もとでささやいた。
不意打ちで、避ける暇もなかった。
いや、避ける必要はなかったのかもしれないが……。
「ほんとうに、調子よすぎなんだよ、ニールは……っ!」
どんなに怒って言ったとしても、顔が赤らむのを止められないのでは説得力は皆無だ。
気がついたらニールのペースに乗せられてしまうのが、悔しい。
そしてそれを嫌と思っていない、むしろ心地よいとさえ思ってしまう事が。
「………いなくなっちゃうクセに」
だから、こぼれたささやきは、どうしようもなく本音だった。
言ってしまってから、マイケルはハッとして口を手で押さえた。
「い、今のナシ。聞かなかった事にして」
急いで付け加えると、ニールは何も言わずにマイケルの髪に触れた。
さっきより優しく、指に絡めるようにして髪をかきまわす。
ぽつりとニールが呟く。
「マジで、ここの学生だったら、よかったのにな、俺」
「ニール……」
離れがたいと。
もっと一緒にいたいと思っているのは、ニールも同じなんだと。
その穏やかな声音からも、伝わってきた。
だから。
「まあ、ここの学生って言い張るには、ニールはちょっとどころじゃなく、とうが立ちすぎてるけどな」
「マーイーケール! お前さんはホント、可愛くて可愛くねえな!」
「なんだよそれ、どっちだよ」
乱暴に髪をかき回してくる手から、笑いながらマイケルは逃げる。
一緒にいられる時間が限られているのなら、いつまでも湿っぽくなんかしていたくない。
大体そんなのは、ニールといる自分らしくない。
「抱きしめたいくらい、可愛いってことだよ」
座ったままでは逃げ切れなくて、とうとうニールに頭をつかまれた。
そのまま引き寄せられて、マイケルは目を閉じる。
一緒にいられるのは、あと少し。
だけど……。
(だからって、これで終わりってわけじゃない)
この先幾夜、明かりの見えない図書館を訪れることになっても。
そこにあるはずの赤毛の青年を、探したりしなくていいのだ。
重なる唇の温もりに、胸に巣食う不安が、溶けるように消えていった。
Fin.