修業旅行SS(春木×南部)
名前を呼んで
白衣は着てるけど、相変わらず、養護教諭って感じが全然しない背中を、南部はじっと見詰めた。
保健室は、今日もガラガラだ。
きっとここの主が変わらない限り、例え、死にそうに具合悪くても保健室のドアを叩くヤツはいないのだろう。
自分、以外は。
それは、全く構わない。
むしろ好都合だ。
いきなりここが大繁盛されたら、今みたいに気軽に来られなくなるし。
それは、マジ、困るから。
「なあ、春木〜」
真っ白な清潔なシーツがかけられたベッドに、だらしなく腰掛けたまま、机に向かってなにやら書き物をしている、広くて大きな背中に声を掛けた。
「春木先生、だ。……なんだ?」
「ん〜……」
いざ、声を掛けてみたものの、続く言葉が出てこない。
あの、修業旅行の後。
こうやって、足繁く保健室に通うような日が来るなんて、思っても見なかった。
春木は、見た目はどこの組の人ですか、ってくらいな迫力があるけど、しゃべって……付き合ってみれば、別にそんなこと、全然なくて。
今は、単に、極端に、愛想というものが欠けているだけなんだ、ってのは、わかってる。
すっごく素っ気無いし、今だって、南部がいてもいなくても全く構わない、みたいな態度に見えるけど、ここに通っていること自体は、一度だって咎められたことがない。
だからやっぱり、少しは、気に入られてる……んだと、思う。
いや、そのはずだ。
じゃなきゃ、あんなこと……いやいや!
ベッドの上で考えることじゃないからそれ!
「お前、何を一人で百面相してるんだ」
「百面相って、俺は別にっ!」
誰のせいだと思ってるんだ!という言葉は、口から飛び出す前に、何とか思いとどまった。
それでもやっぱり、コノヤロウ、とは思う。
気持ちを切り替えるため、南部は、小さく息を吸い込んでから、何でもないように話題を変えた。
「あのさあ、今度、俺の従兄弟が転校してくるんだよね。下の学年なんだけど」
「ほう……」
「前、こっち住んでたんだ。ちっちぇ頃だけど。こないだ、久しぶりに会った」
「お前と、似てるのか?」
「んー。どうだろ。他人からは、結構似てるって言われるんだけど、自分ではわかんねぇや。でさあ……」
そこで、ちょっと言葉を切って、春木の顔を見上げた。
春木は、すっかり手を止めて、こっちを見ていた。
さり気なく目が合って、ドキッとする。
「あ…、で、でさ、そいつがさ。俺のこと、昔のまんまの呼び方で呼ぶんだよ。しょーちゃん、って。笑っちゃうよな。もうしょーちゃんなんて柄じゃねぇっての。でも、だからって、何て呼んで欲しいのかわかんねーし、めんどいから訂正しなかったんだけどさ」
昔と変わらない笑顔で、しょーちゃん、と呼ばれた時は、勘弁してくれよ、という気持ちと同時に、どこかくすぐったさがあった。
屈託なく呼ばれると、別にしょーちゃんでもいいか、と思ってしまった。
従兄弟のそういうところは、昔と変わってないな、と懐かしさと共に、嬉しくなった。
「……しょーちゃん」
「はぁ!?」
いきなり呼ばれて、南部は思い切り、面食らった。
「しょーちゃん。って、呼ばれたいか?お前」
表情も変えずに言われて、からかわれているのか、真面目なのか全く、読めない。
「んなわけあるか!春木にしょーちゃん呼ばわりなんて、寒すぎだろ!」
何もかも似合ってない。
何の嫌がらせだ。
「そんなんじゃなく、もっとフツーに……、ってかさあ」
「ん……?」
「あんた、俺の名前、ちゃんと知ってる?俺、『お前』じゃ、ねぇんだけど」
おい、とか。
お前、とか。
倦怠期の夫婦かっつうの。
ムッとして、春木を見たら、やっぱり表情を変えないまま、一言。
「章平」
さらりと、呼ばれて。
「………!!」
思わず、耳までカーッと赤くなってしまった。
「どうした?章平」
心なし、笑いながら言われて、南部はどういう顔をしていいのかわからないまま、口を尖らせた。
「ずりーよ、春木、それっ……」
「春木、先生、だ。章平」
今度は、はっきりと笑われて、春木は視線を机の書き物に戻してしまった。
何だか、釈然としない。
だけど、まあ、こういうのも悪くねぇか、と思い直す。
今度は、自分が呼んでみよう。
春木、じゃなくて。
(正嗣………)
心の中でだけ、そっと呼んでみる。
今日はちょっと無理だけど、近いうちに必ず。
その時、この強面の養護教諭がどんな顔をするのか。
実行したら、その時は、従兄弟にもこっそり教えてやろう。
もちろん、付き合ってる、なんてことは、まだ、秘密だけど。
Fin.