修業旅行SS(瀬永×南部)

除夜の鐘

 すぱーん!
 と、気持ちのよい音が、静かな部屋に響いた。
 直後、イテっ!と声が上がる。

「何すんだよ、いきなり!」
「目が覚めたか?南部」
「あ〜……覚めマシタ」


 年が明ければ、センターまで秒読み。
 そんな受験生となれば、暮れだからって、のんびり紅白を見ながら年越し蕎麦をすする……と、いうわけにもいなない。
 学校の補修に、予備校にと、忙しい。
 もちろん、家での勉強だって、かかせない。
 そういうワケで、南部は、瀬永の家にお泊り合宿に来ていた。
 そう、ムカつくことに、元生徒会長サマは、この時期に他人に勉強を教えられるくらい、余裕があるのだ。
 瀬永に言わせれば、常日頃の学習態度の差だろう、ということなのだが、いけしゃあしゃあとそんなことのたまえる受験生が、一体どれくらい居るって言うんだろう。
 はなはだ、疑問だ。

「……ったく、お前は、今が最後の追い込みだってことを、自覚しているのか?」
「わーってるよ。わーってるけど、眠いんだもんよ……」

 そろそろ、日付が変わろうかと言う時刻。
 日付だけじゃなく、年も変わる。
 こんな時に勉強なんてやってるのは、悲しい受験生だけだ。

「ほほう。そうか。眠気がくるってことは、まだまだオレの鍛え方が足りなかったようだな。ほら、そこ!間違えてる!そこは、thatじゃないだろう。文脈を考えろ」
「あ〜、うん……」

 全教科、オールマイティーにこなす瀬永は、願ってもない家庭教師だ。
 それを、タダで引き受けてもらっているんだから、感謝しなくてはいけないな、とは思っている。
 思っている、が……。

「なー、そろそろ、休憩、しようぜ?」

 恐る恐る、申し出てみる。
 眠いだけじゃなくて、そろそろ集中力も途切れてきた。
 瀬永の家で夕飯をご馳走になってからこっち、トイレに立つ以外では、ずっと、ずーっと勉強中なのだ。
 なんかもう、限界だ。

「お前は……しょうがないヤツだな」

 怒られるかな、と思ったが、意外にも、瀬永は苦笑して、鉛筆を置いた。
 手を伸ばしてきて、南部の髪を、ぐしゃぐしゃとかき回す。

「わっ。何するんだよ!?」
「十五分だけだぞ」
「やった!」

 お許しが出て、南部はその場にくたっと寝転がった。
 瀬永の部屋に、小さな折りたたみテーブルを置いて、向かい合わせに座って勉強していたのだ。
 別に、正座していたわけではなく、足は適当に崩していたのだが、座りっぱなしなのは、やっぱり疲れる。
 おまけに、その間、普段はあまり使わない頭をフル稼働させていたのだから。
 蛍光灯の白い光が眩しくて、南部は目を閉じた。

「おい、そのまま寝るなよ」

 瀬永の声が、頭の向こうから聞こえる。
 だけど気にせず、目を閉じていた。
 いっそこのまま眠ってしまえれば、どんなに幸せだろう……。
 そう、南部がぼんやりと、思っていた時。
 ふっと、気配を感じた。
 何だろう、と思う間もなく、それは近づいてきて………。

「………っ!?」

 がばっと、起き上がった。

「ちょ、おまっ、今……!?」
「ん?何だ、南部。どうした?」

 目の前の瀬永は、しれっと尋ね返す。
 酸欠の金魚みたいに口をぱくぱくさせて、南部は、言葉をひねりだした。

「今、キス……!!」
「人の前で、無防備に寝ているからだ」

 まるで、お前が悪い、みたいに言われて、絶句する。
 休憩時間に、ちょっと横になって目を閉じているのの、何が悪いんだよ!?
 そう、言いたかったけど、あまりにも堂々とした態度を見せ付けられて、それ以上、何もいえなくなる。

「〜〜〜〜っ」
「なんだ。足りなかったか?」
「ばっ!馬鹿、んなわけ、あるかッ!!」

 からかわれている、と分かっているのに、思いっきり反応してしまった。
 瀬永が、おかしくてたまらない、という風に笑っている。
 かなり、悔しい。
 けど、こんな風に、生真面目な元・生徒会長サマの瀬永が笑っているところは、めったに見られないので、まあいいかな、とも思ってしまう。
 こんなだから、うっかりキスなんかされちゃうのかもしれないけど。

(瀬永なら、いいや……)

 と、思っている、自分がいることも、確かで。
 なんだか、ほれた弱みっぽいよなあ、と口には出さずにこっそり思って、こっそり照れる。
 確実に赤くなっているだろう顔を、瀬永がやけに優しい表情で見ている。
 こんな顔を見られるのも、たぶん、自分だけ、だから。


「ああ、始まったな……」

 ふっと、窓の外に目をやった瀬永につられて、南部もそちらに視線を動かした。
 窓の外から、鐘の音が聴こえる。

「へえ。ここ、除夜の鐘が聴こえるんだな」
「ああ。ちゃんと、108つ、なってるぞ」
「もしかして、数えてるのか?」
「ああ、気になるだろう」
「そういうもんか?まあ、お前らしいけどな」

 そのまま黙って、鐘の響きに耳を澄ます。
 今年がゆっくりと、終わっていく、その音を。
 やがて、余韻を残して、静かに音は、消えていった。

「108つ、なってたか?」
「ああ、ちゃんと、あってた」
「そっか……」

 それからしばらく、二人とも黙り込む。
 だけどそれは、気まずい沈黙ではなかった。
 過ぎていった年に思いを馳せ、新しい年に希望を募らせる、そんな沈黙だった。
 思えば、去年の始まりには、こんな風に、瀬永と親しくなれるとは、思っていなかった。
 絶対、友だちになれるタイプじゃないと、思ってた。
 それなのに、今は、友だちというか、友だち以上と言うか……振り返れば、思わぬ一年間だった、それも予想以上に。

「今年もよろしくお願いします」
「あ、ああ、よろしく、お願いします」

 瀬永に、丁寧に頭を下げて新年の挨拶をされて、南部も慌てたように、新年の挨拶を返した。
 目が合って、微笑みかけられて、ちょっと、どきまぎする。
 だけど、それも、一瞬だった。

「……ということで、休憩、終わり。さあ、続きをやるぞ」
「えっ。もう終わり!?」
「当たり前だ、とっくに、十五分は過ぎたぞ。さ、次は数学だ」
「はーい……」


 観念して、鉛筆を手に取る。
 年が明けても、受験が終わるまでは、春はやってこない。
 その事実を、改めて噛み締める、南部だった。


Happy Nwe Year!!