オメルタ(瑠夏×JJ)

食べたいくらいに

 首筋に、ちくん、とした痛みを感じて、目が覚めた。

「ん……」

 昨夜、というか、ほとんど明け方近くまで、ずっと身体を酷使――仕事とは、違う用件で――していたので、まだ眠い。
 おかげで、どこもかしこもダルい。
 重い身体を持ち上げるのが面倒で、目だけを動かして確認すると、明るい金色が映る。

「なに……、してんだ、よ……、瑠夏………?」
「ああ、ごめんね。起こした?」

 俺の声に、すぐに金色の……瑠夏の、髪が動いて、その下からはじけるような笑顔が浮かぶ。
 楽しそうに開いた口からのぞく八重歯が、やんちゃな子供のようで可愛い。
 もっとも、可愛い、だけじゃすまないのは、よくわかっている。
 瑠夏がキングシーザー、マフィアのボスだから、というだけではなくて。

「また……噛んでただろ?」

 指で首筋を触って確認すると、ほんのわずか、少しだけ、凹んでいる気がする。
 瑠夏の、歯型だ。

「……ったく。吸血鬼かよ」
「ははは……。いいね、それも。きっと、キミの血は、甘いんだろうな」
「飲むなよ?」

 瑠夏の長い指が、俺の指をつかんだまま、噛みあとをなぞる。
 背中が思わずぞくりと震えそうになるのをこらえながら、俺は瑠夏にくぎを刺す。
 冗談だろう、とはわかっているが。
 一応、念のため、だ。

「ええ? ダメなのかい? 残念だなあ……」
「おい……」

 なまじ冗談、とも言えない口調に俺は呆れる。
 これだから、瑠夏は、油断ならない。
 涼しい顔して、とんでもない要求をさらりと口にするからな、このボスは……。

「しょうがないなあ……。じゃあ、噛むだけで、我慢しておく」

 そう言って、瑠夏は再び顔を寄せると、俺の首筋をかぷりと噛んだ。
 本当に血を吸おうというわけではなく、力加減もされているので、痛くはないが、くすぐったい。
 噛まれているところだけじゃなくて、瑠夏の柔らかい髪が首や顔に当たってくすぐったいのだ。

「こら……、やめろ、よ……」
「ん……」

 瑠夏の髪を手のひらでまさぐる。
 もうすでに嗅ぎ慣れた、トワレの香りにまざって、シャンプーの匂いが鼻をくすぐる。
 たぶんきっと、同じ匂いが、俺の身体からもしていることだろう……。

「赤くなった……JJ、痛い?」

 そう、聞いておきながら、瑠夏は甘噛みをやめない。
 甘く、弱く、繰り返し噛み続けている。

「あ……、も、瑠夏……っ」
「ふふっ……、ねえ、感じた?」

 顔をちょっとあげて、瑠夏は俺の顔を下から見上げてにっこり笑う。
 っとに、タチ、悪いな、このボスは……。

「……じて、ねぇ、よ……っ!」

 素直に、うん、と言うのも悔しくて、俺はあがりそうになる息をこらえて、瑠夏をにらんだ。
 瑠夏はそんな俺に、お見通し、とでも言いたげな目を向けて、くすくすと笑っている。
 本当に、ムカつくな……。

「JJは、意地っ張りだなあ……」

 そして、甘噛みしていたところを、ぺろりとなめた。
 敏感になった肌に、瑠夏の、ざらりとした舌の感触を覚えて、知らず身体がぴくりと震えた。

「や、それ……っ!」

 瑠夏の頭に手をやって、俺の首筋から離そうとするのだが、見た目以上に力がある瑠夏の身体は、悔しい事にぴくりとも動かない。
 さっき噛んでいたのと同じように、執拗に噛んだところをなめ続けている。

「ね、猫か、よ……! も、やめろって、瑠夏……!」
「そうだよ? 実は、ボク、Micio(ミーチョ)だったんだよ。にゃあ」

 思わず、ぶっと吹きそうになった。
 今のは反則だろ!
 ったく、どこまでタチ悪ィんだよ、このボスは……!

「ほんと、JJ、キミって、食べたいくらい可愛いよね。頭からバリバリ食べてしまいたい。すべてを、ボクの血肉にして……。でも、そうしたら、こうやって、キミとしゃべることも、抱き合う事もできなくなっちゃうしね……、悩ましいな」

 ようやく首筋から顔を離して、俺の顔を挟むように手をついた瑠夏は、微笑みながら恐ろしい事を言う。
 薄く開いた口からのぞいた八重歯が、今は獰猛な牙のように見える。
 ナンナレオーネ、眠れる獅子。
 揶揄含みで呼ばれるその名称を思い出した。
 金色の鬣をなびかせる、綺麗なライオン。
 そのライオンに、髪一筋さえも残さずに、頭から食べられてしまう……。
 どう考えても猟奇的なそれは、爽やかな(というには、もうすでに無理があるが)朝にはふさわしくないし、俺にもそんな趣味はない。
 だが、そうやって金色のライオン―――瑠夏の血肉になる、というのは、案外悪くないかもしれない……。
 こんな風に思ってしまうなんて、俺はきっと骨まで瑠夏に毒されてる。
 この一見、悪い所なんかどこにもないような、爽やかそのものな笑顔を見せるイタリアンマフィアのボスに。

「腹、壊すぞ。俺なんか、食ったら」

 手を伸ばして、瑠夏の八重歯に触れた。
 さっきまで、俺の首筋を噛んでいた、歯。

「平気だよ。だって、JJ、なんだから……」

 俺に、歯を触られたままで、瑠夏は言う。
 そして、柔らかく俺の指を噛んだ。

「なんだよ、それ。意味、わかんねえ……」

 瑠夏の舌が指に絡む。
 ちゅっと吸われて、指がじん……と痺れる。

「可愛い……、JJ」

 指を外されて、代わりに唇が降ってくる。

「ん……っ」
「ふ……う、ん……っ」

 口の中で舌が這いまわる。
 身体の中に熱がこもって、眠気はいつの間にかすっかりどこかへ行っている。
 ちくんと、舌が、尖ったものに触れる。
 それは、瑠夏の牙だ。
 普段は、口の中に隠されていて見えないそれは、瑠夏の本質そのものだ。
 眠れる獅子の、牙。

「は……っ」

 ため息のような声が、口の隙間から洩れる。
 どちらのものともしれない唾液が、首筋の赤い噛みあとを伝って、落ちた。


Fin.