オメルタ(藤堂×JJ)

居場所

 ――――私のところに、来ませんか?
 
 大きくて、温かそうな手を差し伸ばされ、告げられた言葉。
 嬉しかったのに、俺はうなずけなかった。
 その手を取れば、きっと、俺の欲しいものを与えてくれる。
 だから、だろうか?
 俺は、その手を取れなかった。
 優しい笑みも、温かな手も、俺にはふさわしくない。
 そう思えて、仕方なかったから………。


「すっかり、元通りになったな……」

 ドラゴンヘッドの手によって、一度は見る影もなく破壊しつくされた、エピローグ・バー。
 そこは、生まれ変わったかのようにぴかぴかになって、今、俺の目の前に、あった。

「はい。なるべく、以前のままにしたかったんですよ。ですが、変わったところもあるんですよ?」

 カウンターの向こうで、エピローグ・バーのマスター、藤堂がにっこりとほほ笑む。
 JJは、店内をぐるりと見渡して、首をかしげた。
 壁の色も、調度品も、依然とほぼ変わりない。
 一体、どこが変わったと言うのだろう……?

「今度は、手榴弾を投げ込まれても、ちょっとやそっとでは、こわれないくらい、頑丈にしてみました」

 そう言って、コツコツと、カウンターバーを軽く握った拳で叩いて見せる。
 見た目は変わりなくても、強度は段違い。
 そういうことなのだろう。

「象が乗ってもこわれない。百人乗っても大丈夫。生まれ変わったエピローグ・バーは、要塞としても使えますよ?」
「マスター、そのたとえは………」
「おや? 通じませんでしたか。うーん、ジェネレーションギャップってヤツですかねえ……」

 苦笑する藤堂に、JJは、いや……、と小さく遮った。

「俺は、昔の記憶がないから」
「ああ……そうでしたね」

 それだけ言って、頷くにとどめてくれるのがありがたかった。
 ここで、すみません、なんて謝られたくはなかった。
 過去の記憶がないのは、JJにとって、謝られるような事でも、哀れまれるような事でもない。
 ただの、事実だ。
 その事によって、今の生活に不自由をきたすようなものでもない。
 本名がわからなくても、JJ、という呼び名があるから、構わない。

「前、以上に頑丈なのか……。それは、心強いな」

 ふっと笑って、JJはカウンターテーブルをすっとなでた。
 ひんやりとした手触りが、心地よかった。

「ええ。何せ、この店は、将来、君に譲るものになるのですから、ね……」

 店の中には、マスターである藤堂の他には、JJの姿しかない。
 本格的なリニューアルオープンは、まだ少し先だった。
 常連客を呼んでの内輪だけのプレ・オープンを経て、通常営業を開始する予定だ。
 今日はその前段階……ふたりだけの、エピローグ・バー、再開祝い、と言ったところだろうか。

「マスター……それ、本当に、本気………、なのか?」

 カウンターテーブルに肩肘をついて、JJは藤堂を見上げる。
 制服姿がいつものように決まっていて、藤堂がカウンターに立つ姿は、まるで1枚の絵のようにしっくりとした光景だ。
 それは、JJがマネしようと思っても、とてもマネできるようなものには思えなかった。

「どうしたんですか、JJ? 今さら、やっぱり止めた、なんて、お願いですから言わないでくださいよ」
「それは………」

 言えるものなら、今からでも言いたかったが、藤堂の微笑みは、否やの言葉を受け入れそうにはとてもじゃないが、見えなかった。
 JJは、観念したように、ため息をついた。

「俺が……この店に、立っても、マスターのようになれるとは、思えないんだが」

 無口で、無愛想。
 JJは、そんな自分を自覚しているだけに、接客商売に向いているとはとても思えない。
 藤堂は、JJを見て、くすりと笑った。

「君は、君のままでいいんですよ。僕のようにやる必要はありません」
「だが……」

 JJの前に、よく冷えたグラスがことりと置かれた。
 一口含んで、変わらない味に、ほっとする。
 こんな風に、穏やかなひと時を、自分が客に提供できる気が全くしない。

「この店は、恩のある方から譲ってもらったと、言いましたよね」
「ああ」
「その時には、私も思いました。あの人の店を、私なんかが受け継いでいいのだろうかと。あの人の作りだす雰囲気が、私に出せるとは、思えませんでしたから。その時、言われましたよ。自分の店を、やればいいのだと……」
「自分の店……?」
「ええ。私だけに作れる居場所を、お客様に提供すればいいだけだ、と」
「…………」
「君の作る居場所は、私の作るそれ以上に、居心地のいい場所かもしれませんよ?」

 マネをする必要はないのだと、藤堂は笑う。
 JJは、JJのままで、店をやればいいのだと。
 それがたとえ、自分に店を継がせるための方便だったとしても、その言葉で気が楽になった。
 肩から力が、ふっと抜けた。

「それに……これは、私の、ワガママなんです」

 藤堂は、シェイカーを振りながら、そっと笑う。
 グラスにカクテルを注いで、ライムの輪切りを飾った。

「何か、ひとつでも……君に、残したい。そうすれば、JJ。君は私のことを、覚えていてくれるでしょう?」

 どこか寂しげな、儚げな微笑。
 それはカクテルの泡のように浮かんで、すぐに消えてしまったが、JJの瞼に焼きついて、離れなかった。

「マスター、俺は……」

 忘れたりはしない。
 何があっても。
 口にする事は簡単だった。
 だが、JJにはそれを証明するすべをもたなかった。

「……………」

 口下手な己を、JJはこの時ばかりは呪った。
 グラスに残った酒を、勢いのままに飲み干す。

「すみません……そんな顔を、させるつもりはなかったんですが」

 逆に気遣われてしまう始末だ。
 JJは、小さく息を吸い込んで、迷うように口を開いた。

「店は、いつか……俺が、継ぐ。あんたが、渡してくれるものなら、俺は、受け取りたいと、思う」

 くそっ、とJJは内心で舌打ちした。
 もっといくらでも上手い言い方が、あるだろうに。
 だが、藤堂は、そんなJJの不器用な言葉に、嬉しそうな笑みをこぼした。

「ありがとう、JJ」
「別に……礼を言われるようなことじゃ、ない」

 ぶっきらぼうに、JJは呟いた。
 JJの手元に、新しいカクテルのグラスがすべるように届く。

「それでは……乾杯、しましょうか」

 同じカクテルが入ったグラスを手に持った藤堂が、JJに囁く。
 JJは、グラスを持ち上げた。

「エピローグ・バーの、新しい門出と……、次代マスターに」
「………乾杯」

 カチン、と涼やかな音を1つ立てて、グラスが触れ合う。
 気の早い藤堂の乾杯の言葉に、JJは苦笑しながらカクテルを飲む。
 差しのべられた手を取る事に、迷いがない、と言ったら、嘘になる。

 ――――私のところに、来ませんか?
 
 遠くなった記憶が、蘇る。
 本当は、その手を取りたくて、たまらなかった……。
 
 
 星屑のような泡が、いくつもいくつもグラスの底から立ち上っては、消えていく。
 ほんのり色づいた、透明なカクテルの向こうで、膝を抱えて蹲った少年が、笑っているのが見えた、気がした。


Fin.