オメルタ(JJ×梓)
君が生まれた日に
「……何か、欲しいものはあるか」
トーストにバターを塗っている時に、JJから急にそんなことを言われて、オレはちょっと考えてから、答えた。
「洗剤。洗濯用のヤツ。あ、粉じゃなく、液体タイプな! もうちょっとで使いきりそうだから……」
何もいれずにコーヒーを飲んでいたJJは、俺の返事を聞いて、かすかに眉を寄せた。
JJは、あんまり、というかほとんど、表情が変わらないヤツだけど、一緒に暮らすようになってずいぶんたつから、何となくだけど、わかるようになってきた。
今の答えは、どうやら気に入らなかったらしい、ってことが。
「違う。そういう日常的に必要なものじゃなくて。というか、洗濯はしなくていいと言っただろう。そうじゃなくて、梓、お前が……」
「オレが?」
「…………いや、いい。なんでもない」
JJは、マグカップをテーブルに置くと、立ちあがった。
椅子にかけておいた、コートを羽織る。
「出かけるのか?」
「ああ……」
JJって、なんで、いっつも、コート着てるんだろう?
今なんて、もう、7月だって言うのに。
そりゃ、真冬みたいなコートじゃなくて、薄手のコートだけどさ。
肌を見せたくないから、とか?
そういや……の、時も、たまに全部脱がない時が……って、これは関係ないよなっ!!
思い出して、ひとりで赤くなるオレを、JJはけげんそうに見た後、ふっと笑った。
「……行ってくる」
「いって、らっしゃい」
オレに一声かけて出ていくJJの背中に、声をかけて、見送った。
それはもうずいぶん繰り返されている行為のはずなのに、いまだにどことなく気恥かしいって言うか、慣れない。
……JJが、まだ殺し屋稼業をしていて、オレがJJを親の仇だと思っていた頃。
JJは、黙って出て行ったし、俺もJJを見送ったりなんかしなかった。
そういう、殺伐とした、奇妙な暮らしが、5年も続いて。
あの頃はまさか、こんな風に穏やかに、JJと一緒に暮らせる日がくるなんて思ってもみなかったから。
―――いや、それも、違うのかもしれない。
オレは、JJを仇だ、復讐するんだ、とずっと思っていた心の片隅で。
そうじゃなければいいのに、と願っていた。
両親の殺害現場に居たJJは限りなく黒だったが、殺害した瞬間を見たわけではない。
あるいは、もしも、と。
そうしたら、オレは、自分の気持ちに蓋をしなくても、いい。
JJを……憎むべき仇を、好きだって、思っても……いいんだ、って。
食べ終えた食器を、小さなキッチンに運びながら、オレは思った。
結局、オレは、ほとんど最初っから、JJのことが好きだったんだ。
「なんか……納得、いかないよなあ……」
皿を洗いながら、オレはぼやいた。
不安定ながらもおだやかな、この暮らしを愛しく感じつつも、どうしてその相手が、JJなんだろう、と。
JJのオレに対する態度なんて、素っ気ないもんだったし、気まぐれに抱かれもした。
はじめての時は、びっくりして、何が何だかわからなくて……。
抵抗したけど、オレの力なんかじゃ、JJに敵うわけもなかった。
だけど……。
(乱暴じゃ、なかったんだよな)
ふっと、思い出す。
だからって、優しかった、と言うのとも違うけど。
いつの間にか気を失っていて、目を覚ました時には、元のように服を着させられていた。
身体に違和感は合ったけど、綺麗に後始末されていて……。
(そういうとこ、案外、マメなんだよな、JJって……)
洗いカゴに食器を並べ終わって、タオルで手を拭いた。
天気もいいし、洗濯でもするかな?
JJは、自分のは自分で洗うからいい、って言うけど、ふたりしかいないんだし、いっぺんにまとめて洗ったほうがいいじゃん。
まさか、自分のパンツを他人に洗われるのがイヤとか?
そんな、女子高生みたいなこと……思ってたら、かなり笑えるな。
つい、くすくすと笑いをこぼしながら、オレは、ふたりぶんの洗濯ものを洗うべく、洗濯機に向かった。
「おっせーな、JJのヤツ……」
オレは、時計を見上げて、つぶやいた。
午後10時。
JJが殺し屋をやっていた頃は、むしろこの時間にアジトに居ることの方がめずらしいくらいだったが、今は、一応、カタギだ。
って言っても、色んな仕事をしながら、結局、やっているのは銃の腕を買われての用心棒とか、カタギすれすれって感じのヤツだったが、それでも、殺すのと守るのとでは、大違いだ。
今日は確か、どっかの政治家の護衛とか言ってたけど、それも夕方までの仕事だったハズ……。
ちなみにオレは、日雇いだったり週決めだったりで、あちこちの店で働いたりしてる。
たまに、マスターの店も手伝ったりして……不定期で稼ぎもまちまちだけど、JJとふたりで暮らす分にはとりあえず困らないくらいには、やっていけてる。
家事は分担……ってことになってるけど、オレがやることの方が多い。
JJって、ああ見えて、案外不器用なんだよな。
オレがやった方が早いって言うか、家の中のこまごましたことをやるのって、苦にならない方だし。
メシだって、自分で作った方が美味いしな。
JJが作ったメシは……うん、誰にでも得意不得意があるからな!
そこはあまり言わないでおいてやろう。
武士の情けだ。
「くそー。遅くなるならなるって言えよな、JJ! メシ、冷めちゃうじゃんか……」
ほかほか湯気をあげていた、オムライスは、もうすっかり冷めていた。
冷めても美味いし、レンジであっためてもいいけどさ。
何かあったら連絡しろ、っていつも言ってんのに、JJのヤツ、ろくに守ったためしがない。
今度もう一度、キツク言っとかなきゃだな。
……と、思っている時に、やっと、JJが帰ってきた。
「……遅くなった」
「本当だよ! ったく、前から言ってるけど、そういう時はケータイから連絡しろよなっ!」
「次は、そうする……」
「絶対だからな!」
って、このやり取りするの、もうすでに何度目かなんだけど。
神妙な顔でうなずくJJに、ほんとにわかってんのかな、とは思ったけど、それ以上は言わなかった。
「メシ、出来てるから。JJ、食うだろ?」
「ああ……」
「あっためなおすから、ちょっと待ってて。もー、オレ、腹ペコペコだよ」
「……食ってないのか? 梓」
「食ってねえよ! ………ひとりで食べても、味気ねーじゃん」
「そうか……」
JJが、オレ以外は気付かないような、かすかな笑みを見せた。
な、なんかそこで、嬉しそうにするのって、反則じゃね?
ちょっと複雑な想いで、キッチンへ向かおうとしたオレを、JJが呼びとめた。
「………梓」
「ん? なんだよ、JJ」
JJは、オレに向かって、小さな箱を投げてきた。
両手でキャッチして、箱と、JJの顔を見比べた。
「何、これ」
「やる」
え? なんかよくわかんないんだけど、くれるってこと?
オレは、その箱を開けた。
中から出てきたのは……。
「ペンダント、か?」
細い銀色のチェーンの先に、青い小鳥のペンダントトップがついていた。
なんかちょっと、アンディに似ている。
「今日は、お前の…………、だから」
JJが、オレに近づいて、ペンダントを手に取ると、俺の首にかけた。
首の後ろで、カチッと音がした。
「液体洗剤を、プレゼントするわけにはいかないからな」
「あ………」
そこまで言われて、ようやくオレも、気付いた。
そうだ、今日は……。
「オレの、誕生日………」
呆然としてつぶやいたオレに、JJが、なんだ、と言った。
「忘れてたのか?」
「いや……忘れては、なかったけど……」
JJが、覚えていてくれるとは、思ってなかった。
誕生日を祝ってくれる、とか。
そんなこと、考えたことも、なかった。
JJは、オレの頭に手をやって、くしゃくしゃと髪をかきまわした。
「いままでは……お前の、生まれた日を祝うなんて、考えたこともなかった。考えたとしても、俺がそれを出来るわけもなかった。だが、これからは………」
「うん……」
そうだ。
JJは、ずっと、オレの仇で。
仇から、何かを祝われるなんて、ありえなかった。
でも、今は。
これからは―――。
「誕生日、おめでとう……梓」
髪を撫でる手が、優しくて。
オレは、JJの胸に、抱きついた。
「ありがとう、JJ………っ」
声が、涙でかすれそうになった。
JJの片腕が、オレの背中に回った。
もう一つの手が、オレの頬に伸びて。
そっと顔を上向けさせると、JJと、目が合った。
オレにだけわかる、かすかな微笑を浮かべて。
「梓。お前が、生まれてきてくれた、ことを……」
続きの言葉は、オレの口の中に、直接吹き込まれた。
甘い、吐息と、一緒に―――。
Fin.