オメルタ(瑠夏×JJ)
Presente
「今月の、23日は忘れずに空けておいてよ、JJ。まあ、言うまでもないと思うけど」
廊下で、パオロにそう声をかけられて、JJは眉を寄せた。
確かに、その日、JJへの仕事の依頼は入っていなかったとは思うが……。
「あれ? もしかして、その顔。忘れちゃった?」
信じられないなあ、という顔で見られて、JJはますます、顔をしかめた。
もったいぶった言い方を、JJは好まない。
「一体、何だ」
JJが、イラついたように尋ねると、パオロは、ちょっと呆れたように笑って、すぐに答えを教えてくれた。
「ボスの、誕生日だよ」
「あ……」
8月23日。
そうだ、その日は、キングシーザーのボス、瑠夏・ベリーニの誕生日だ。
キングシーザーでは、ファミリーの誕生日を、皆で祝う習慣がある。
それがファミリーのふるさとである、イタリアでは当たり前のことなのか、それともこのファミリーだけの習慣なのかは知らないが、そんなものとは無縁で育って来たJJには、あらかじめ聞いていても、つい忘れがちだ。
「その分だと、プレゼントも用意してないんじゃない?」
「…………」
「あ、図星?」
パオロに指摘されるまで、その日のことを忘れていたJJは、もちろん、プレゼントなど用意していない。
幸い、プレゼントを用意するくらいの時間は、まだ残されていたが……。
「………何が、いいと思う? その、プレゼントは」
何を用意するのがふさわしいのか、さっぱりわからない。
瑠夏はファミリーのボスなだけあって、大概のものは、プレゼントされるまでもなく、すでに持っている。
ワインをよく飲んでいるようだが、おそらくそれはすでに、霧生あたりが、プレゼントとして用意しているだろう……。
こんなことなら、日ごろから、それとなく、瑠夏が好みそうなものを探っておけばよかった。
「ん〜。JJからだったら、どんなものをもらっても、ボスは喜ぶと思うよ?」
「…………」
「やだなあ、そんな露骨に、使えないヤツ、みたいな顔、しないでよ。そうだなあ……。君にリボンをぐるぐる巻いて、ボスに差し出したら? ボクをプレゼント! ってね」
「…………」
「いや、冗談だって! そんな怖い顔しないでよ! でも、ほんと、JJからだったら、ボスはきっと、庭の花を1輪摘んできて渡したとしても、きっとすごく、喜んでくれるはずだよ」
あとは、自分で考えなよ、と言って、パオロは行ってしまった。
パオロの言うことは、事実だろう。
瑠夏なら、多少、瑠夏自身の趣味に合わないものをJJからもらったとしても、JJからのプレゼント、というだけで、手放しで喜んでくれるだろう。
だからこそ、本当に、心から喜んでもらえるものを、JJはプレゼントに選びたかった。
ついさっきまで、忘れていたことではあるが、誕生日というものは年に一度だけの、大事な日だ。
その感覚は、正直なところ、JJにはよくわからなかったが、瑠夏がそう言ったイベントを大切にしていることは、まだ長くない付き合いの中でもよくわかっている……。
何せ、どのファミリーの誕生日でさえ、心からの笑顔で祝っているのを、幾度も見ているのだから。
一体、何を用意すればいいのだろうか……?
「そうか……」
JJは、小さく呟いた。
プレゼントは、必ずしも、『モノ』でなくても、いいのではないか?
瑠夏は、あらゆるものを、すでに持っているのだから。
だったら――――。
そして、8月23日。
瑠夏・ベリーニの誕生日が訪れた。
ファミリー御用達の店を借りきって、パーティーが開かれた。
たくさんの、ファミリーからのプレゼントや、祝いの言葉に、瑠夏はひとりひとり、丁寧に礼を言い、笑顔を浮かべている。
立食式パーティーで、さまざまな食べ物や飲み物がテーブルに並び、それぞれが楽しげに飲み食いしている。
皆がすでにほろ酔い加減で、場はだんだん無礼講の体をなしてきている。
もうそろそろ、いいだろうか……?
JJは、瑠夏の前から人なみが途切れたことを見計らって、声をかけた。
「瑠夏……ちょっと、いいか」
「ん? どうしたんだい、JJ」
ワイングラスを近くのテーブルに置いて、瑠夏はJJの方を振り返った。
JJは、黙って瑠夏の手を取ると、歩き出した。
「JJ? どこに連れてく気なんだ?」
途中、何度もそう聞かれたが、何も答えなかった。
JJはパーティー会場を出て、夜の街を瑠夏の手を引いたまま、歩いた。
明かりの少ない、薄暗い通りを何度も横切る。
やがて、まだ建っているのが不思議なくらいの、廃ビルにたどり着いた。
錆ついた外階段を、音を立てながら上って行く。
「………着いた」
そしてようやく、JJは、瑠夏の手を離した。
廃ビルの屋上からは、湾岸地域が、”龍宮”が、一望できた。
さほど高いビルではなかったのだが、見通しをさえぎりそうな建物が軒並み老朽化し、崩れてしまったため、奇跡的に眺めがよくなったのだ。
ひとつひとつはちっぽけな、街の明かりが、集まって、星のようにきらめいている。
この場所は、JJがまだフリーで仕事をしていて、逃げる途中でたまたま見つけた場所だったが、密かなお気に入りの場所だった。
うらぶれた、見捨てられた場所でも、存在を主張するかのように、必死に瞬いている。
それが、哀れで、おかしくて……、美しいと、思ったのだ。
「綺麗だ……。こんな場所が、あったのか」
瑠夏が、ため息をつくようにつぶやいたのを聞いて、JJは、ほっとした。
「気に入ってもらえたのなら、よかった。……アンタは、もう、何でも、もってるだろう。だから……」
「プレゼントに、お気に入りの場所に、連れてきてくれたのかい?」
JJは、うなずいた。
そして、こんな行為は、何だか子供っぽかっただろうか、と心配になった。
だが、隣を見ると、瑠夏が嬉しそうに笑っているのが、暗闇の中でもはっきりと、わかった。
「連れてきたのは、ボクがはじめて?」
「……ああ」
今度は、言葉に出して、頷いた。
返ってきたのは、熱い抱擁だった。
気がついたら、瑠夏の腕の中に包まれていた。
「ありがとう……! すごく、嬉しい。どんな、プレゼントよりもね……!!」
「………大げさだな」
喜んでもらえて、ほっとしたが、思わぬ反応の大きさに、JJは居心地悪く、つぶやいた。
「そんなことない。だって、そうだろ? キミだけのものを、ボクと一緒に、共有しようって思ってくれたんだから!」
「そこまで……大したものじゃ………」
単に夜景、と言うだけなら、きっとここよりも、もっと美しい場所を、瑠夏は知っているはずだ。
ごちゃついた、掃き溜めのような場所で、ここまで綺麗に夜景の見える場所は、めずらしいとは思うが……。
「……わかってないな。キミだけの特別を、ボクだけに見せてくれた、ってことが何より嬉しいんだよ」
噛んで含めるように言われて、JJは、そうか、とだけ頷いた。
よくわからないが、瑠夏にとっては重要なポイントらしい。
「ホントに、わかってないんだね……。でも、そういうところが、キミは可愛いよ、JJ」
「なっ……!」
そこでどうして、そういう結論になるのか。
今でも、瑠夏の思考回路が、JJには謎だ。
だが、そこをいつまでも気にしていてもしょうがない、と思い直して、まだ、伝えていなかった、大事な言葉をJJは口にした。
「誕生日……おめでとう、瑠夏」
街の明かりに照らされて、瑠夏の髪が、闇の中でもきらきらと光って見える。
至近距離で、目が合って。
互いの瞳の中に、互いの姿が映っているのが、わかった。
「ありがとう………、JJ」
瑠夏の言葉の大半は、JJの、口の中に吹きこまれて、溶けていった。
Fine.