オメルタ(JJ×梓)
誓い
震えそうになる手を抑えて、ナイフを握りしめる。
暗闇の中、窓から差し込むわずかな明かりに、刃が鈍く光って見えた。
オレは、息を詰めて、そっと立ちあがった。
薄汚い、倉庫のような部屋の片隅で、ネズミのように生きてきて、どれくらい経っただろうか。
ほんのわずかな間だったようにも、ずいぶんと長いようにも感じる。
五年―――。
正確には、あれから、五年経ったのだ。
それが、たった、なのか、もう、なのかは、オレにはわからない。
ただ、オレは、そろそろ、いい加減、決着をつけてしまいたかった。
そうでないと、オレは――――。
「………っ!!」
部屋の反対側の床に、座り込んで眠っている男の、背中に向かってナイフを一気に振り下ろす。
これで、終わりだ。
手のひらに、刃が肉に食い込む感触を覚えて、シャツが返り血で真っ赤に染まるだろう。
―――そう、思ったのに。
次の瞬間には、ナイフは不機嫌そうな目をした男の――JJの、腕の一振りと共に、弾き飛ばされていた。
カラン、とナイフが床に当たって跳ね返る音が虚しく響く。
憎らしい事に、JJは、座ったまま、体勢を動かしてもいなかった。
右腕をただ、軽く振り上げただけ。
「本気で殺る気なら、せめて殺気くらいは隠しておくべきだな。そんなんじゃ、俺じゃなくても、目が覚める」
「くそ……っ!」
余裕たっぷりのJJの言葉に、オレは苛立った。
殺気を隠せ、だと?
憎くて憎くて、殺したくて、たまらないのに、それをどうやって隠せっていうんだ。
オレは、殺人者じゃない。
殺し屋でもない。
楽しんで人を殺す事は出来ない。
顔色ひとつ変えずに、仕事だからと誰でも殺せる、お前なんかとは、違うんだよ、JJ………!!
「ムカつくんだよ、JJ……っ!!」
オレは、ナイフを拾う間も惜しく、JJに掴みかかった。
せめて、一発殴らないと気が済まない。
この、冷酷な殺し屋を―――オレの両親を殺した、憎い仇を!
「………っ」
だが、それも、あっさりとかわされ、逆にこぶしを握りこまれる。
力の差は圧倒的で、オレがどんなにもがいても、びくともしない。
冷たいコンクリートの床に押し倒されて、上から見下ろされる。
オレは下から、JJを睨みつけて、叫んだ。
「なんだよ……っ! 殺せよっ! 殺せばいいだろう、父さんと母さんを殺したみたいに! それとも何か? オレなんか殺したって、金にならないから、殺さないっていうのか!?」
自由になる目と、口で。
力の限り、JJを睨みつけ、ののしる。
なのに、目の前の男は何も言わない。
肯定も、否定もしない。
オレを見下ろすふたつの瞳は、何も語らない。
「う……、く………っ!」
顔が近づいてきて、噛みつくように唇がぶつかりあう。
開いた口の隙間から、舌がしのびこむ。
噛み切ってやりたいのに、それさえもお見通しなのか、オレの口の中の弱い部分をくすぐる舌に阻まれて、ままならない。
「お前……」
存分にオレの口の中を蹂躙した後、JJはぽつりとつぶやいた。
「熱が、あるな」
そのままいつものようにされるんだと思っていたオレは、その言葉にいつの間にかぎゅっと閉じていた目を開けた。
言われてみて初めて、いつもより身体が熱い事に気付く。
「……ったく、そういう時くらい、大人しく寝ておけ」
「余計な世話だ……!」
心配されているのだ、とわかっていても反発心は消えない。
むしろ、屈辱だ。
憎い相手に気遣われるだなんて。
「だったら、俺に余計な世話をかけさせるんじゃない」
そう言って、JJは俺をあっさりと担ぎあげると、誰も使っていない、その部屋唯一のベッドに俺を運んだ。
固くて汚れたマットレスは、それでもコンクリートの床よりはマシで、身体がほっと一息つくのを感じた。
さっきまで、JJを殺すつもりで張り詰めていたから気付かなかったが、思っていたより、身体は疲れていたようだった。
「何か、欲しいものはあるか」
ベッドの傍に立ったJJが、オレを見下ろしながら尋ねる。
何もない、と答えるつもりだったのに、口からは違う言葉が漏れていた。
「アイス……。イチゴ味のやつ」
我ながら、何を言ってるんだ、と思った。
風邪をひいた時、母さんは良く、冷たいデザートを用意してくれた。
食欲がなくても、そういうものだけは、喉を通ったから。
ふざけるな、と、そう言われるかと思った。
だが、JJは、表情を変えないまま、わかった、と答えた。
「買ってくる。イチゴ味だな」
そう言って、ふらりと出ていってしまった。
ベッドに横たわったまま、その背中を見送って、オレはこみあげてくる笑いを、抑えることができなかった。
意識しだすと、余計に熱くなってくる頭と、身体をもてあましながら。
「なん……なんだよ、JJのヤツ。バッカじゃねえの……?」
さっき、自分を殺そうとしていたヤツのために、アイスを買いに行くだなんて。
ふざけているのにも、ほどがある。
JJだけじゃない。
このオレも、だ。
なんでオレは、憎い仇にあっさりベッドに寝かせられて、大人しく看病まがいのことをされてるんだ?
オレは熱にうなされても、よろめいていても、アイツを、JJを、殺さなきゃいけないのに―――!!
「ちくしょう……っ、なんで……なん、だよ……っ!?」
目の上に腕をのせて、こぼれ落ちそうになる涙を止めようとしたが、無駄だった。
きっと、熱で涙腺が壊れてしまったんだ。
五年。
もう、五年も経ったのだ。
早く、早く、良心の仇を取らなきゃいけないのに。
それなのに親不孝なオレは、それを果たせずにいて、熱なんかだして仇の前で倒れるざまだ。
何て無様なんだろう。
「早く……しないと………」
JJは憎い仇だ。
オレは、決して、アイツを許さない。
それなのに。
『買ってくる。イチゴ味だな』
出かける前の、JJの声が耳に蘇る。
いつもと変わらない、憎らしいくらい素っ気ない声。
だけどオレは、もう、気付いている………。
勝手についてきた、余計なお荷物でしかないオレを置いてくれるJJの、不器用な優しさに。
アイスが溶けてしまう前に、JJは急いで帰ってくるのだろう。
そしてオレは、思ってしまう。
嬉しい、と―――。
そんなこと、決して、思ってはいけないのに。
「殺さ……なきゃ………」
さっきよりも上がってきた熱に息をあげながら、オレは改めて誓った。
胸に刻み込むように、固く、強く。
JJを、殺す。
必ず、確実に。
オレは、JJを殺さなきゃ、いけないんだ、と――――。
Fin.