オメルタ(JJ×霧生)
デートの時間
エンドロールが終わって幕が閉じると、暗かった室内には白っぽい照明が灯り、ひそやかなざわめきに包まれた。
JJは、ポケットに雑に突っ込んでいたハンカチを取り出すと、隣に座る男――霧生に、黙って差し出した。
霧生は手に取ろうとしなかったが、とにかく無理やり掴ませる。
観念したのか、霧生はハンカチを目元に押し当てて、鼻をすすった。
「わ……、笑いたければ、笑え!」
何故か、怒ったような口調で吐き捨てる。
だが、涙声では、全く迫力がなかった。
「気にするな」
とはいっても、やはり、大の男が映画を見て涙してしまったのは、照れくさいのだろう。
映画を見て泣いていたのは、何も霧生だけではなく、周りのそこここで、ぐずぐずと鼻をすする音が聞こえていたのだが、そう言っても、何の慰めにもならないだろうから、JJはそれ以上は言わなかった。
代わりに、周囲から客の姿が見えなくなっても、JJはしばらく席を立たずにその場にじっとしていた。
ハンカチで顔を隠したまま、霧生は必死で落ち着こうと、小さく息を整えている。
そんな恋人を、見るともなく、眺めながら―――。
JJが霧生と映画を見に来たのは、わざわざ示し合わせての事ではない。
単なる、その場の、成り行きだった。
仕事依頼の完了報告と、次の仕事の内容を確認するため、JJは霧生と、いつもの店で会っていた。
その後、奇跡的に、ふたりの時間が空いている事に気付き、そのまま出かけることになった。
いつもなら、そのままどちらかの部屋か、ホテルへ……となるのだが、まだ日も高い。
そういえば、昼間に互いにどこかへ出かけたことがなかったな、そういう話になって、何となく、その時目についた映画館に、入った。
別に何か見たい映画があったわけでもなかったので、ちょうど時間が合った映画を見る事にした。
それが、まあ、たまたま、泣ける系の映画だった、という……。
マフィアの一員らしく目つきは悪くても、根が素直な霧生は、制作者のもくろみにまんまとはまって、後半からはずっと、涙ぐんでいた。
霧生が、どうにか、泣くまい、泣くまい、と頑張っている気配が、隣にいるJJにも伝わってきた。
そっちの方が、映画よりも気になってしまい、泣ける映画のラストさえも、印象が薄くなってしまった。
まあ、たとえ一人でこの映画を見たとしても、今の霧生のように、素直に涙をこぼして感動できるか、と言えば微妙だったが。
(悪い話じゃなかったが、どうにも作りモノっぽすぎてな……)
JJは霧生とは逆に、制作者の意図が見えすぎてしまって、感動に至る前に白けてしまった、と言おうか。
だが、素直に感動できる霧生を、うらやましい、ともJJは思った。
(たぶん、パオロ……は、泣かないかもしれないが、フランコあたりは、きっと号泣するな)
ファミリーの顔を思い浮かべて、この映画を見た反応を想像する。
瑠夏も、もしかしたら、泣くかもしれない。
だが、彼の場合は、涙を隠したりせずに、堂々と泣いて、JJに感動を伝えてこようとするだろう。
気まずそうに、照れくさそうに、ハンカチで目を覆って涙を抑えている霧生は、その点、シャイで、日本人的、なのだろう、たぶん。
「……悪かったな、これ。洗って、返す」
「いい。そのままで、構わない」
折り畳んで仕舞おうとした霧生の手から、ハンカチを取る。
それは、霧生の涙で湿って、ひんやりとしていた。
まごついて、しばらく手を泳がせていた霧生は、口元に手をやって、目を反らすと立ちあがった。
「じゃ、じゃあ、行くか、JJ」
「ああ」
そうして、最後の客となっていたJJと、霧生は、映画館を後にした。
映画館を出ても、まだ日暮れまでには間があった。
JJがまぶしさに目を細めていると、隣で霧生が、小さく咳払いした。
「あー、こほん。その……。さっきは、みっともないところを見せた、な………」
気のせいか、どことなくしょんぼりしている。
そんなに、映画を見て泣いてしまったことが気まずいのだろうか。
「なんだ。まだ、気にしてるのか?」
JJは、他意なくそう尋ねたのだが、聞かれた霧生は頬を赤らめた。
「お、俺は、別に泣くつもりはなくてだな……!?」
………気にしているらしい。
まあ、多少その気持ちはわからないでもないが、霧生にとって、この件はよっぽど不本意なことだったらしい。
そのことで、JJが、からかったりしない、とわかっていても、何か言い訳せずにはいられないくらいには。
(可愛いヤツだな……)
普段はマフィアのボスの片腕らしく、険しい顔で眉間にしわを刻んでいる事も多い霧生だ。
それが、偶にこんな風に、本来の気の優しい、どこか頼りなげな一面を垣間見せたりもする。
きっと自分は、霧生に信頼されているのだろう。
そう、JJは思った。
だからこうやって、素の顔を見せてくれるのだ。
改めて、そのことに気付いて、JJは胸がじんわりと熱くなった。
「うわっ、JJ! 急に、何するんだっ!?」
そして気がついたら、霧生が両腕の中にいた。
すっぽりと、JJの胸の中に収まる形になった霧生は、慌てて、JJの胸を叩く。
「おい、こらっ!? JJ、お前、往来でいきなり、抱きつくな!!」
「…………」
ドンドンと、胸を叩かれて、JJはしぶしぶと、霧生から離れた。
きつく抱きしめすぎたのか、ぷはっと息を漏らしてから、霧生は怒ったようにも、呆れたようにも見える顔つきで、言った。
「お前というヤツは……。偶に、予想できない行動を取るな」
「別に……。抱きしめたくなったから、そうしただけだ」
「それが、唐突だって、言ってるんだよ」
なんだか拗ねたような口調で言うJJに、霧生は苦笑をこぼす。
目は、まだ少しだけ赤かったが、涙も、その気まずさも、今のですっかり引いてしまったようだ。
「すまない。イヤ……だったか?」
様子をうかがうように、JJが尋ねると、霧生はJJの肩を軽くたたいて、歩きだした。
少し遅れて、JJもその後に続く。
「嫌とか、そういうんじゃなくてだな……」
もごもごと口の中で呟き、霧生はちらりとJJの方を振り返った。
そして、手を伸ばした。
「霧生……?」
霧生の手が、JJの手と重なる。
「……街中で、抱きつかれたら、みっともないだろう」
「手を、繋ぐのは、いいのか?」
重なった手を、ぎゅっと握りしめる。
ざらついて固い、男の手だ。
「このくらいなら、な……。ま、まあ、この辺は、俺たちのテリトリーとは、離れてるしな」
「……そうでも、ないみたいだぞ」
「え?」
JJが、視線をやった先には、よく見なれた姿が居た。
あれは、同じファミリーの……。
「げ! 石松とパオロとフランコか!? JJ、手を……!」
「…………」
「じ、JJ!?」
慌てて離れようとする霧生の手を、JJは逆にしっかりと、握りしめた。
そうする間にも、見なれた3人は、どんどん近付いてくる。
「やあ、霧生、JJ。君たちも、この辺に……」
「JJ! ヒサシブリダナー! オ前、タマニハ、ファミリーニモ顔ヲ見セロヨ!?」
「おう、JJ。なんだ、霧生と一緒だったの……」
「…………」
「…………」
「ナンダナンダ!? 手ヲツナイデルノカ、オ前ラ。仲良シダナ!?」
「おい、フランコ……っ!」
「ははっ。仲がいいのは、いい事だよね! それじゃ、邪魔しちゃ悪いから、ボク達はもう行くね?」
「……ボスにはちゃんと言っとくから、心配するな」
「アスノ朝マデニハ、帰ッテ来イヨ〜、霧生!」
何もかもわかっているよ、とでも言いたげなフランコの(生)温かい微笑み、どこか人の悪そうな石松の笑みと、それとは対照的に豪快なフランコの笑い声が、次第に遠ざかっていく。
何も言えないまま、その姿を見送った霧生は、握られた手をふりほどけないまま、顔を赤くして、JJに食ってかかった。
「JJ〜〜〜!! お、お前は……っ!!」
「どうした? 何をそんなにカリカリしているんだ、霧生?」
「どうしたもこうしたも!! 何で、手を、離さなかったんだ!?」
「お前が握ってきたんだろう?」
「そ、それはそうだが……っ!」
明日の朝、どんな顔してボスに会えばいいんだ、と頭を抱える霧生に、JJは繋いだ手を乱暴に引き寄せた。
「……っ、JJ?」
「俺と、いる時は、ファミリーのことは忘れろ」
瑠夏のことは忘れろ、と言おうとしたのを、寸前で言い変える。
霧生がファミリーが大切で、ボスを何よりも大事に思っている事はわかっているし、瑠夏と色々あったであろうことも、わかっている。
だが、今は、自分といるのだ。
ファミリーの誰かでもなく、もちろん、ボスの瑠夏でもなく。
「JJ、お前……」
霧生はそう呟くと、JJの顔を凝視した。
何かを言おうと、霧生はぱくぱくと口を開いたが、結局何も言わずに、ただ繋いだ手を握り返す。
そして、じわじわと、耳まで赤くなった顔を、ふいっと反らすと、早口で答えた。
「わ、わかった」
「そうか……、なら、いい」
短く答え、ふたりはまた、歩きだした。
次はいつ、二人の休みが重なるかわからない。
この場で、いつまでも立ちつくしたままでは、もったいない。
日はまだ高く、時間は、明日の夜明けまで、たっぷりある。
ベッドを共にする以外にも―――デートの時間は、これからまだ、充分に、取れるはずだ。
Fin.