オメルタ(JJ×宇賀神)
あなたの膝で
反応が、一瞬、遅れた。
「………っ!!」
車から降りて、すぐ。
建物に入る、わずかな時間だった。
宇賀神を突き飛ばし、ベレッタが火を吹く。
腕がしびれるように痛んだが、構っている暇はない。
はす向かいのビルの窓に、狙いを定める。
人影が、窓の向こうへと消えた。
やった、か……?
辺りは静まり返って、新たな銃声は聞こえない。
俺は、ほっとして、ベレッタを構えていた腕を、下ろした。
「JJ……! あなた、血が……っ、怪我を……!?」
アスファルトの地面に倒れていた宇賀神が、起き上がって、こちらに近づく。
「馬鹿! まだこっちに来るんじゃない……っ!」
制止の声をあげるが、それが耳に入らなかったかのように、宇賀神は足を止めない。
血が流れているJJの左腕をつかんで、白いハンカチを取り出して、傷口の上を縛った。
「弾は……! 貫通したのですかっ!?」
「いや……、かすっただけだ」
そう答えると、宇賀神はほっと息をついて、車へと戻った。
「おい、どこへ行くんだ」
「病院です。決まっているでしょう」
「だが、仕事は……」
「キャンセルします」
「いいのか?」
「怪我人は、余計な事を気にしない」
それ以上の問答をするつもりはありません、と言外にきっぱりと匂わせて、宇賀神は運転席へ回った。
JJは、観念して大人しく、助手席へと収まった……。
宇賀神は、その日、それ以降の仕事はすべてキャンセルした。
JJの怪我は、幸い、弾はかすめただけで、出血もさほどではなかった。
病院に寄って、2針ほどは縫う事になったが、二人はそのまままっすぐ自宅マンションへと帰って来た。
「全く……少し、気が緩んでいたんじゃないですか?」
部屋に入るなりの宇賀神の嫌みにも、JJは反論することなく苦い顔をした。
「すまない。俺の落ち度だ」
言いわけさえできない。
あともう少し、反応が遅れていたら、宇賀神が撃たれていたかもしれない。
その事実を思えば、今さらながら、ぞっと体が震えた。
「次は……もっと早く……、必ず、しとめる」
傷を負わなかった方の手を、きつく握りしめる。
一瞬でも、宇賀神を危険な目には合わせない。
ドラゴンヘッドは解散したとはいえ、元幹部だった宇賀神には、今でも敵は多い。
それは、よくわかっていたはずなのに……。
「何があっても、お前は俺が守る。最悪の時は……俺が、盾に」
そう、決意も新たに、JJが告げた時―――。
「馬鹿なことを……! 私が助かっても、あなたがいなくなっては………っ!!」
シャツの胸をつかまれ、音を立てて壁に押し付けられた。
「………っ!」
息をのんで、その剣幕をただ見つめていると、我に返ったのか、はっとした顔をして、宇賀神は手を離した。
「すみません……、あなたは、怪我をしているのに……」
「いや、いい……」
気まずげに目を反らす宇賀神を、JJはまだ驚きを隠せずに見ていた。
そして、気付いた。
宇賀神の、握りしめた拳が、小さく震えている事に。
「宇賀神……」
JJは、その手を、そっと握った。
震えを止めるように、包み込むように。
「次は……、お前も、守って、自分も、守る。それなら、いいんだろう………?」
「わ、わかってるのなら、それでいいんです……っ」
怒ったように言うと、宇賀神は傍を離れていった。
たぶん、洗面所に手を洗いに行ったのだろう。
向こうから、まだわずかに尖った――多分に、照れ隠しを含んだ――声が、聞こえてくる。
「あなたも、手を洗って、うがいをして、今日はもう、さっさと、大人しく寝ていなさい」
そんな母親のような注意に、JJは、声をあげずに低く笑って、その指示に従うべく、洗面所へと向かった……。
「JJ? こんな、ソファで横にならないで、きちんとベッドで……」
共用のリビングのベッドでJJが横になっていると、頭上から苦々しげな声が降ってくる。
そんな大した傷ではないのは、宇賀神にもわかっているはずなのだが、やはり気になるのだろう。
閉じていた目を開けると、眉をしかめた宇賀神の顔が自分を見下ろしているのと、目が合った。
「ここでいい。こんなに日の高いうちから、ベッドにいたら、落ち着かない……」
「まったく、あなたと言う人は……」
宇賀神は、ぶつぶつとこぼしながらも、それ以上強く言うことはせずに、隣に腰かけてくる。
JJの髪を撫でながら、見下ろす彼の目は、普段見せる冷たくさえわたった色が薄れて、どこか優しく、温かい。
そんな彼の様子を、しばらくじっと見ていたJJは、ソファに寝たまま、にじり寄るように、身体を前に動かした。
「じ、JJ……っ!?」
宇賀神の、膝の上に頭を置いて、身じろぎして居心地のいい場所を探すと、そのまま動きを止めて、目を閉じた。
「何をしているんです、あなたは! 降りなさい、JJ! JJ……!?」
慌てたように、でも、腕の傷には触らないように、宇賀神はJJの身体を揺さぶった。
だが、JJは動かない。
「いいだろ。少しくらい……貸してくれよ」
ぱちりと、目を開けて、自分を見下ろす宇賀神を下から見上げて、JJはにやりと笑った。
「たまには、サービス、してくれよ」
「………っ!! 本当に、あなたと言う人は……っ、どうしようもない人ですね!」
そう、口では怒っていながらも、宇賀神はJJの頭を膝から落したりはしなかった。
眼鏡のフレームを、見なれた仕草で押し上げ、これ見よがしにため息をつく。
「仕方ありませんね……今回だけ、ですよ」
宇賀神の耳が、赤くなっている事は、決して口にしない。
JJは、羽根枕よりも固く、温かい感触を楽しみながら、更に要求した。
「ついでに、もうひとつ。歌を、歌ってくれないか?」
「は……!?」
JJの唐突な頼みごとに、宇賀神はぽかんと口を開けた。
こんな顔も出来るんだな……、とJJは妙なことに感心しながら続けた。
「俺に、幼いころの記憶がない事は、宇賀神、お前も知っているだろう」
「ええ、まあ……」
「だから、俺は子守唄を歌ってもらった記憶もない。お前が、どんな歌を聞いて、眠っていたのか、知りたい」
宇賀神の膝が、予想以上に、温かくて、心地よかったからだろうか。
普段はめったにそんな事を考えないし、そんな気分にもならないが、少しだけ、センチメンタルな感傷がわき上がった。
馬鹿馬鹿しい、と断られるのなら、それでも構わなかった。
「全く……この私に、そんな突拍子もない事を要求するのは、JJ、あなたくらいですよ……」
呆れたように言う宇賀神の口調は、内容とは裏腹に、穏やかだった。
JJの髪を、いたわるように、幾度も撫でながら、宇賀神は口を開いた。
「――――――、……………………」
低く流れる、素朴なメロディ。
初めて聞くはずなのに、どこか、懐かしい。
ドラゴンヘッドの元幹部、氷の処刑台とまで言われた男の口から流れてくるとは、とてもじゃないが、信じられない、優しい歌声。
JJは、その声に耳を傾けながら、ゆっくりと、目を閉じた。
「……眠って、しまったんですか、JJ?」
歌うのを止めて、宇賀神はJJの顔を覗き込んだ。
健やかな寝息が、かすかに聞こえてくる。
おそらく、腕の傷を縫う時に使った、麻酔の影響もあるのだろう。
何でもないように見えていても、疲れていたはずだ。
眠り込んでしまったJJは、当分、目を覚ましそうになかった。
「これじゃ、何もできないじゃ、ないですか……」
持ち帰った仕事の、続きをしようと思っていたのに。
これでは、当分、この場所から、動けそうにない。
「困りましたね……ったく、どうしてくれるんですか、JJ……?」
あどけない寝顔を見せる、元殺し屋で……恋人の頬を、宇賀神はそっとつつく。
低く呟かれた囁きは、誰の耳に届く事もなく室内に、甘く、溶けていった―――。
Fin.