オメルタ(劉×JJ~アナザーエンド後)
監獄ホテル
『外』でもめったに飲めないような、まろやかな香りが鼻をくすぐる。
苦いだけじゃなく、わずかな酸味も感じた。
安いインスタントや、自販機のものでは、決して感じる事のない味わい。
「どうした? 口に合わなかったか」
「……いや、美味い」
JJは、手にしていたカップから、もう一口、コーヒーを飲んだ。
それは、劉漸、みずからが豆から挽いて淹れた、コーヒーだった。
「そうか。それはよかった」
さして嬉しそうにでもなく、劉は答える。
そして、さっきから続けている作業に、黙々と戻った。
「…………なんで、」
カップを、テーブルの隅において、JJは尋ねた。
「餃子を作っているんだ?」
劉が、先程からやっている事。
それは、皮から作る、餃子だった。
ほとんど警察からは見はなされたような場所にアジトを構えていたJJが、捕まって、投獄されたのは、ほんの一月ばかりまえのことだ。
まさか自分がそんなドジを踏むとは思わず、捕まった時はずいぶん落ち込んだが、すぐに気持ちを切り替えた。
今までに自分がしてきた事を思えば、ここから出られる望みはないだろう。
もちろん、何とかして脱獄しようとは思っていたが、それはおそらく容易ではない。
何と言ってもここは監獄で、囚人たちは、誰もが、一刻も早く、こんな場所からはおさらばしたいと思っているヤツらばかりだ。
警備の目も、厳しく光っていることだろう。
だが、注意深く待っていれば、いつか、必ず、チャンスは巡ってくる。
―――そう思っていた、JJの投獄生活は、当初のもくろみを大きく外れ、未だに続いていた。
しかも、悪辣極まる環境、立場などではなく、至って快適な……、快適すぎる、と言ってもいいくらいの、待遇で。
それと言うのも、ひとえに、同室者の存在のなせる、技だった。
この牢獄を丸々一つ、買収すると言うとんでもない事をしでかし、牢名主よろしく振舞っている男。
所長の部屋を、いつでも自由に、自室のように使える権利を持つ男。
『外』に出れば、中華系マフィア、ドラゴンヘッドの首領という肩書きを持つ男―――劉漸。
JJは、まるでホテルのように監獄で暮らす劉の暇つぶしの相手として、手を回され、ここに捕らえられたのだった。
迷惑、極まりない事に――――。
「餃子は、自分でイチから作ったものが、一番美味いからな」
答えになっていない、とJJは思ったが、それ以上尋ねるのもなんだか馬鹿らしい気がして、JJは聞かなかった。
劉がそう言うのなら、それ以上の意味などないのだろう。
餃子を作る劉は、手慣れていて、麺棒で皮を伸ばしている姿も、実に様になっている。
房の中では、下ろしたままの髪も、邪魔にならないように後ろでひとつに括られていた。
具材も、調味料も、一通り、大きめの――わざわざ、餃子を作るために運ばせた――テーブルの上に広げられている。
この奥には、簡単なものだが、一応、キッチンも備わっていた。
「……油は? 餃子を焼くのなら、サラダ油とかいるんじゃないのか?」
ざっと見渡した感じ、テーブルの上にはのってないようだ。
「必要ない。餃子と言えば、普通、水餃子だろう」
「そうなのか?」
「そうだ。まったく、これだから日本人は……」
わざとらしいくらいに、劉にため息をつかれて、JJはムッとした。
中国人にとって、どういう餃子がメジャーなのかなんて、俺が知るか。
そう、言いたくなったのを、ぐっとこらえる。
大体、JJは匂いの強いものは、殺し屋、という職業柄、普段から食べない。
ニンニクやニラの匂いをまとわせていたら、それだけでそこにいると教えてやるようなものだ。
(……材料に、ニンニクも、ニラもないな。その辺も、日本とは違うのか?)
どうやら、具は白菜と豚肉がメインのようだ。
それで、水で茹でて食べるのなら、案外さっぱりとして、匂いもきつくないのかもしれない。
それだったら、別に食べても……。
そこまで考えて、自分は囚人で、もう殺し屋稼業はやっていないのだ、と気付いて不意に可笑しくなった。
「何を笑っている? JJ」
「あんたが、あまりにも……、餃子作りが上手いから、驚いてるんだ」
「そうか? やってみれば、結構、簡単なものだ。JJ、お前もやってみるか?」
テーブルの上では、皮の準備も済み、中の具もあらかた出来上がり、あとは皮に具を包んで、ゆで上げれば完成、のようだった。
劉は具を少量取って、皮に乗せ、器用に包んで見せた。
そして、JJの方を見る。
(俺にも、やれ……って、ことか?)
どうやら、そういう事らしい。
そのくらいなら、たぶん……、自分にもできるだろう。
そう判断したJJは、劉の隣に行き、見よう見まねで、餃子の具を皮で包む。
「そうだ……。中々、上手いじゃないか、JJ」
「そりゃ、どうも……」
褒められたからと言って、別に嬉しくもなんともない。
だが、餃子を作るのは、案外楽しい。
気がつけばJJは、競うように、劉と、餃子作りをしていた―――。
そして、数十分後。
平たい皿の上には、山のように餃子が盛られていた。
「…………いくらなんでも、作り過ぎじゃないか?」
餃子の山を見て、JJは思わず呟く。
作っている時は、うっかり夢中になっていてあまり気にしていなかったが、こうして茹であがった餃子を見ていると、そのあまりの数に食べる前から腹がいっぱいになりそうだった。
「何を言う。餃子をちまちま作ってもしょうがないだろう」
「そういうもん、なのか……?」
「そういうものだ」
劉は、きっぱりと断言する。
よくわからないが、中国では……いや、劉にとっては、餃子とはそういうものなのだろう。
いつのまにか取り皿と箸も用意され、劉みずから、餃子を更に取り分ける。
手渡されて、黙って口にする。
「美味い……」
「当然だ」
と、言いつつも、劉はどこか誇らしげだ。
それがなんだか子供のようで、可笑しかった。
JJは、笑う代わりに、もうひとつ、餃子を口にした。
豚肉と白菜がメインの水餃子は、さっぱりとしていて、これならいくらでも入りそうだった。
流石に、この大皿いっぱいの水餃子を、劉とふたりで平らげるのは不可能だが、これなら余った物でも、職員なり他の囚人なりに食べさせればいいだけだ。
「店が開けるな」
JJは、まんざら世辞でもなく、そう言った。
「餃子屋か? そうだな。それも悪くない」
劉は、餃子片手に、酒をあおりながら、答えた。
「すると、JJ。お前は……、そうだな。チャイナドレスでも着て、給仕をしてもらおうか」
「遠慮する。何で俺が女装で売り子なんだ。それなら厨房で皮を作る方がいい」
「んん? 不満か。皮は、結構難しいんだぞ。コツがいるからな……。お前は、給仕に回った方が、店が繁盛する」
「俺みたいな愛想のないヤツ、客商売には向いてない」
「やってみなければ、わからないではないか」
劉は、餃子をぱくぱくと食べながら、機嫌良さそうに笑っている。
それに付き合いながら、一体この状況は何なのだろう、と何度目になるかわからない自問自答をJJは胸に落した。
今回は餃子作りだったが、劉は、ずっと本を読んでこちらを気にもかけない時もあれば、ひたすら碁の相手をさせる時もあった。
かと思えば、ドラゴンヘッドの幹部たちへ、携帯からしきりと指示を出している時もある。
気まぐれにJJに手を出してくる時もある。
そういう時、JJは特に抗わなかった。
向こうは、少しは嫌がって欲しそうな素振りを見せたが、そう思えばなおさら、思惑に乗ってやるのは癪だったからだ。
情が通う相手以外とセックスをする事に、JJは今さら抵抗を覚えない。
その場かぎりの気持ちのいいセックス。
だったら、相手は誰だっていい―――とまで破れかぶれにはならないが、劉が相手でも、別に構わなかった。
「大丈夫だ。俺は、コツをつかむのは、上手い」
JJが真顔で答えると、劉は更に真面目に返してきた。
「だったら、接客のコツもすぐ覚えるだろう?」
「…………」
もう何個目かわからない餃子を口にしながら、JJは顔をしかめる。
そして、しばらく迷ってから……
「チャイナドレスを着なくてもいいなら、考えてやっても、いい」
「そうか……それは、残念だ。仕方あるまい。妥協しよう」
どこまで本気かわからない、劉の口調は常とまったく変わらない、飄々としたものだ。
アルコール度の強い中国の酒を、水のように飲んでいる。
JJのグラスにも、同じ酒を勝手に注ぐ。
「……ったく、ふざけたヤツだな、あんたは」
呆れたようにこぼして、JJは酒をあおった。
強いアルコールに噎せそうになるのを、何とか意地で飲み干す。
「それは、褒め言葉として、受け取っておこう」
どこまでも、人を食った笑みを、劉は唇の端に浮かべた。
マフィアのボスと、流しの殺し屋。
奇妙なふたりの、奇妙な監獄暮らしは、まだ当分、続いていきそうだった。
Fin.