三国恋戦記SS 玄徳×花

明星

「眠れないのか?」

 天幕の外で、星を眺めていた花に、声をかけるものがいた。
 振り返った花は、その姿を見て、ほっ……と、息をついた。

「玄徳さん……」

 そこには、不思議な本の光によって飛ばされた世界で、花が世話になっている、蜀の大将である、玄徳が立っていた。
 玄徳は花の傍に来ると、手にしていた、マントのような外套を、ふわりと肩にかけた。

「風邪引くぞ」
「ありがとうございます……くしゅっ!」
「ほら、言ってる傍から」

 花は、外套をしっかりと身体に巻き付けて、照れたように笑った。
 そんな彼女を、玄徳は、仕方ないな、とでも言いたげに見ている。
 それだけだ。
 彼は決して、こんな時間に、とか、一人で出歩くな、とか、そんなことは言わない。
 だが、決して心配していないわけではなく、こうしてわざわざ外套を持ってきてくれるくらいには、花の事を気にかけている。

(私が、師匠の弟子で、軍師だから、ってだけかもしれないけど……。ううん、玄徳さんに限って、そんなことない)

 花が、軍師じゃなくて、何もせず、ただやっかいになってる身だったとしても。
 一度、自分の懐に入れた者は、最後まで、ちゃんと、気にかけ、面倒をみる。
 劉玄徳という人は、そう言う人だ。
 それは、まだほんの少しの間しか、ここにいない、花にだってわかっている。
 わかっているから、心配をかけたくない。
 そうは、思うのだけれど――――。
 花は、そっと目を伏せた。

「寝てたんですけど、目が覚めちゃって。そしたら、ちょっと、眠れなくなっちゃって……」

 それは、半分ホントで、半分ウソだ。
 寝ようとしていた。
 横になって、目を瞑っていても、中々眠りが訪れなくて、諦めて、起きたのだ。
 神経が、高ぶっているのが、自分でもわかった。
 その理由も、わかり過ぎるくらい、わかっていた。

「花のいた国には、戦がないんだったな」
「はい」
「だったら……。辛かったな。すまない」
「そんな、謝らないでください。私が行くって言って、それで……!」

(甘く、見ていたんだ……)

 痛いくらいに、唇をかみしめた。
 本が教えてくれるから。
 だから、玄徳たちを、勝たせることができると。
 そのくらいの気持ちで、策を話し、実行に移した。
 その結果が、どうなるのかなんて、考えもしないで―――。

「無理するな。……しなくて、いいんだよ」
「そんな……、そんなこと……っ!」

 玄徳は、花の頭を、黙って撫でた。
 幼い子に対するような仕草だったが、不思議と落ち着いた。

「勝っても、負けても。戦とは、後味が悪いものだ。大勝したとしても、それは敵の大敗があったということだ。それに例え勝っても、味方が誰ひとり死なぬ戦など、めったにない。それでも……戦わない、わけにはいかない」
「どうしても、ですか……?」

 聞いても、せんなきことだとは知りつつも、花は尋ねずにはいられなかった。
 本当に、本当に、戦うことしか、方法はないのか。
 誰一人、傷つけずに、信念を貫き通すことは、出来ないのか。

「それが出来ないのは、俺の不徳の致すところなんだろうな」
「そんな……、そんなつもりじゃ……、ごめんなさい」
「いい。謝らなくて。謝るようなことじゃないさ」

 玄徳は苦笑すると、また、花の頭を撫でた。
 気持ちいいが、くすぐったい。
 それに、すっかり、髪がぐしゃぐしゃだ。

「玄徳さん、髪が……!」
「ああ、すまん」

 玄徳は詫びると、今度は手で、花の髪を梳いた。
 花の髪がさらさらと、玄徳の指の間からこぼれ落ちる。

「お前の髪は、綺麗だな」

 ふいに。
 ぽろりと、呟かれて、花は顔を赤らめた。
 今が夜でよかった、と思いながら玄徳を見ると、彼は屈託なく笑っている。

(もう……。まるっきり、子供扱い、されちゃってるなあ)

 玄徳にとって、軍師をしている時以外の自分は、小さな女の子にすぎないのだろうか。
 聞いてみたかったけど、どんな返事が返ってきても、どういう反応を取っていいのか、わからなくなりそうで、結局、花は聞かないことにした。
 向こうに見える天幕の前に置かれた、かがり火の灯りがこちらにも届いていて、玄徳の横顔を明るく染めている。
 その顔は、初めて会った時と変わらず、頼れるお兄ちゃん、といった感じだ。
 だが、きっと、そんな彼でも、迷う事も、悔む事もあるのだろう。
 それでも彼は、戦いを止める、とは言わないのだ。
 彼を信じて、ついてきた者のためにも。
 自分の、信念のためにも。

(だったら、私は……)

 自分には、何ができるのだろう。
 花は、夜空を見上げながら、思った。
 戦いたくない。
 誰にも、死んでほしくない。
 それは、戦をこの目で見たからこそ、強く思うことだ。
 だけど、自分は、軍師だ。
 望んでそうなったわけじゃないけど、軍師として、今は、ここにいるのだ。

「玄徳さん、私は、戦いたくないです」
「花……」
「でも、それでも、戦が避けられないなら。なるべく、誰も、死なないで済むように、したいです。味方も、敵も。矛盾してるって、甘いって、言われるかもしれないけど……」

 こんなの、偽善だ。
 自分でも、思う。
 それでも―――。

「ああ。それが、花、お前の信念なら。貫いたらいい。お前なら、できる。きっとな」

 ぽん、と。
 大きな、温かい手が、頭の上に置かれる。

「ありがとう、ございます……」

 花は、ちょっとだけ、涙が出そうになって、ぎゅっと目を閉じた。
 こんな、都合のいい、甘い考えなのに。
 否定しないでくれて、嬉しかった。
 お前なら出来るって、言ってくれて、嬉しかった……。

「そろそろ、夜が明けそうだな。花、東の空に、星が見えるぞ。明星だ―――」

 玄徳の指探す方向、薄紫の空にひときわ明るく光る、星が見えた。
 暗闇を切り裂くように、強く。
 迷いを砕き、希望を照らすように、輝いて。

「天幕に戻って、もう少し寝ておけ、花」
「……はい。玄徳さんは?」
「俺はもう少し、ここにいる」

 花は、ぺこりと頭を下げて、自分の天幕に向かった。
 振り返ると、玄徳は、空を見上げていた。

(……玄徳さんも、眠れなかったのかな?)

 励まされるばっかりで。
 こんな頼りない自分では、玄徳は愚痴のひとつ、こぼす事も出来ないだろう。
 ふがいない自分が情けない。
 花は、ため息をつくと、玄徳が指差した、星を見上げた。

(私は、私の信念を、貫く……)

 今はまだ、道は遠そうだけど。
 花にならきっと出来ると、信じてくれる人がいるから。

(いつか、きっと、玄徳さんの、力になる―――)

 明けの明星に誓うと、ひと時の眠りにつくため、花は天幕へと戻った。


了。