三国恋戦記SS 孔明×花
はじまり
彼女だ……!
その姿を目の当たりにして、ボクは、自分の直感が、間違っていなかったことを確信した。
根拠なんて、全くない話だ。
なのに、これは定められていたことなんじゃないかって。
何故だか、ずっと、そう思っていたんだ―――。
今より、ほんの少し、昔。
ちょっと変わった、見慣れない格好をして、ボクの目の前に突然現れた女の子が居た。
彼女は、僕と父を助けてくれると、あわただしく、あっという間にいなくなってしまった。
彼女にお礼をちゃんと言えたかどうか、それさえも定かではない。
時々彼女を思い出しては、一体、彼女は何者だったんだろう、なんて、ボクは思ったね。
ほんの数日の出会いでしかなかったのに、そのくらい、彼女は妙に印象に残る女の子だったんだ。
彼女は、何か、大切な役目を担っているんじゃないだろうか。
ボクのところには、その途中で、ふいに立ち寄ったのではないか?
そんな風に思えて、ならなかった。
ボクは、彼女の事を、何も知らない。
どこからきて、どこへ向かっているのか。
洛陽に行く、ということは聞いたけれど、そこが彼女の最終目的地だとは思えない。
彼女の目指す場所は、そんなところじゃ、ないはずだ。
彼女の事で、辛うじて、知っているのは、その名前だけ。
花―――。
そう、彼女は名乗った。
ボクは時々、その名前を忘れないように、失くさないように、刻みつけるように、舌に乗せ、言葉にした。
花。
花。
花。
まるで、呪文のように、音にする。
彼女は、ほんの一時、関わりを持った、旅の人間にすぎない。
そのはずなのに、ボクには、そうは思えなかったんだ。
ボクは、彼女と、まためぐり合う。
きっと。
だから、その時が来たら、すぐに動けるように、準備をしておかなければならない。
そのために、ボクに出来る事は、一体、何だろう。
ボクは、書物を開き、古の知識を学んだ。
人を訪ね、新しい教えを請うた。
この知識が、いつかきっと、彼女の役に立つ。
そんな日が、来る事を願って。
亮、お前は、何がしたいんだ――?
誰にも士官しようとしないボクを見て、父上は、そう嘆いた。
ボクはただ、今はその時ではないのです、と答えた。
それは、父の望む答えとは程遠かっただろう。
だが、父は、それなら、その時が来たら、決して逃すんじゃないぞ、と言って下さった。
ボクは、待つ事にした。
ただひたすら、じっと。
―――その、『時』を。
いつの間にか、ボクは、伏龍、などという、ありがた迷惑な、御大層な名で呼ばれるようになった。
噂を聞きつけたのか、しつこく訪ねてこられて、本当にまいった。
何度訪ねられても、ボクは、行くわけにはいかない。
だって、そうだろう。
ボクが居ない間に、彼女が来て、すれ違いになったら、困るじゃないか。
もし、ボクが、龍だというのなら。
彼女のためにしか、空を駆けないし、月を追いかける事もない。
昔、一度、会っただけ。
名前しか、知らない人間に、何をそこまで入れこんでいるのかと、人は笑うだろう。
だけどボクは、そんなこと、構わない。
たった、一度、それだけでも。
繋がった縁は、まだ、続いているのだ。
ボクには、それが、わかる。
だから、ボクは、いつまでも、ここで待っている。
その、『時』を。
「彼女だ……!」
自分の頬をつねって、夢ではない事を確かめる。
ちゃんと、痛い。
彼女は、あの、ちょっと変わった衣装を着て、あの時と全く変わらない姿で、山の中に立っていた。
心細そうに、辺りを見回している。
その胸には、これもまた、かすかに見覚えのある、本、という物を抱えている。
ボクは小さく咳払いをして、考えた。
姿は、見せないでおこう。
今は、まだ、その時ではない。
そう、思ったからだ。
だが、導かなければいけない。
彼女をいつまでも、こんなところで、ひとりにしておくわけにはいかない。
さて、どうするべきか………。
ボクは、彼女にかける、最初の言葉を、頭の中で、急いで吟味した。
了。