三国恋戦記SS 翼徳×花
すきんしっぷ。
ずっと馬に揺られっぱなしだったのは疲れたが、見なれた城下が目に入って、花は馬上でほっと息をついた。
師匠である孔明に付添って、荊州の地を離れる事、ひと月余り。
結構、人使いの荒い師匠の元、雑用に追われて日々が過ぎたので、寂しさを感じることなく過ぎたのは、ありがたいと言えば、ありがたかったけど。
頑丈な作りの門が開いて、馬が城(正確には、城の前の広場のような場所)に足を踏み入れた、とたん。
「花〜〜っ!!」
「きゃっ……!?」
大きな声と共に、馬上の花は、一瞬で、抱え下ろされた。
気がついたら、地面から足が浮くような形で、抱きつかれていて、不安定この上ない。
「花ー! やっと、帰って来た! 遅いよ! オレ、待ちくたびれちゃった……!!」
耳元で、しばらく耳にしていなかった、だがよくなじんだ声が聞こえる。
ぴったり抱きつかれた花は、もぞもぞ動いて、何とか腕を出すことに成功する。
「た、ただいま、翼徳さん」
「お帰り、花!」
真正面で顔が合うと、満面の笑みの翼徳が目に映る。
あけっぴろげで、嬉しそうなその笑顔を見て、ああ、帰って来たんだな、と花は思った。
自然と、花の顔もほころんだ。
「オレ、花がいなくて、すっげー、寂しかった。お前は?」
「私も……、寂しかった、です」
確かに、日中は、忙しくて、寂しさを覚える暇もなかった。
だけど、一息ついた時。
一日の終る頃。
翼徳の顔を一度も見ることなく、翼徳の声を一度も聞くことなく、一日が過ぎてしまったのだと思うと、やっぱり、たまらなく寂しくなった。
あの、明るい笑顔を見たい。
美味しそうにごはんをもりもり食べている所が見たい。
それだけできっと、疲れなんて、一瞬で吹き飛んでしまうのに。
そんな風に思うことが、しょっちゅうだった。
仕事なんだから仕方ない、と納得はしていでも、心が、そう思ってしまうのは止められなかった。
だから、やっと、翼徳の顔が見られて、本当に、嬉しい。
嬉しい、のだが……。
「あの、翼徳さん……」
まだ、地上から浮いた状態のままで抱きしめられて、と言うか、抱きあげられている花は、困ったように翼徳を見ながら、言った。
「ん? なんだよ、花」
「そろそろ、下ろしてくれませんか?」
「なんでだよ?」
「は……、恥ずかしいです……っ」
何も言わないが、師匠がにやにや笑いながらこっちを見ているのがわかる。
一緒に帰って来た、他の文官や武官たちも、それぞれ、目のやり場に困ると言った風に、明後日の方を見て、やり過ごしている。
「そうなの? オレはへーきだけど」
「私は、平気じゃないです!」
「そうなのか。……ちぇっ」
まだもっと、花を抱き上げていたかった翼徳は、ちょっと不満そうに舌打ちすると、それでも、花を地面にそっとおろしてくれた。
大地に確かに足がついて、花はほっとした。
「あれ? もういいの。好きなだけ、感動の再会をしちゃってもいいんだよ〜?」
「し、師匠……っ!!」
無責任にあおる師匠を、花はキッと睨んだ。
師匠は悪びれることなく、両腕を頭の上で組むと、じゃあ、いこっか、と周りを見渡すと軽く言って、歩き出した。
ふりむいて、花に付けたした。
「ボクは、玄徳様に帰還の挨拶をしてくるけど、君はついてこなくてもいいよ。今から君は休暇。思う存分、羽根を伸ばしておいで」
「ありがとうございます、師匠」
「ああ、翼徳どの。ウチの弟子はいくらでも貸し出すけど、こわれモノだから、ほどほどにお願いしますね」
「わかった!」
「師匠! それ、どういう意味ですか!?」
「ハハハッ。じゃあね〜」
ぴらぴらと手を振りながら、師匠が他の人達と行ってしまうと、その場には花と、翼徳だけが残った。
馬も、いつの間にか、誰かが厩まで連れて行ってくれたようだ。
「…………」
改めて、翼徳と向かい合うと、なんだか恥ずかしくて、何を言っていいのかわらかない。
離れていたのは、ほんのひと月ちょっとのことなのに。
そんな花を、翼徳は、やっぱり、にこにこと笑いながら見ている。
そして、
「ぎゅ〜っ!!」
と、口にしながら、再び抱きしめてきた。
大きな翼徳に抱きしめられると、花はそれほど小さいわけではないが、すっぽりと隠れてしまう。
「あ、いけね。コワレモノなんだった」
そうつぶやくと、今度は力加減をして、ふんわり包み込むように、翼徳は花を抱きしめ直した。
「あー。いい匂い……。お前の匂いがする……」
「よ、翼徳さん……」
しみじみと、噛みしめられるように言われると、なんだか恥ずかしい。
花は、翼徳の背中に回した手を(広すぎて、抱えきれなかったが)、うろうろと彷徨わせて、衣の端をきゅっと握ることで、ようやく落ち着いた。
「向こうで、孔明にイジワルされなかったか?」
「さ、されてませんよ……」
「そっか。なら、よかった。あいつ、時々、イジワルだ」
「そうですか?」
「うん」
「…………」
すっぽりと抱え込まれたまま、花は言葉を途切らせた。
この距離は、ちょっと、近すぎて、落ち着かない……。
「花?」
黙り込んだ花を、翼徳は不思議に思ったのか、名前を呼んで、顔を覗き込んできた。
「どうかしたのか?」
「いえ……、あ、あの、ちょっと、離して……」
顔を赤くして、何とかそれだけをもごもごと言うと、翼徳は悲しそうにつぶやいた。
「花は、オレにこうされるの、イヤ?」
「い、イヤじゃないですけど………」
「ない、けど?」
「は、恥ずかしいです……っ」
花は自分の顔が、耳まで赤くなっているのが、わかった。
翼徳は、きょとんと、首をかしげた。
「誰も見てないのに、恥ずかしいのか?」
「翼徳さんは、見てます」
「オレに見られるのも、恥ずかしいんだ……」
翼徳は、困ったな、と呟くと、花の肩の上にちょこんと頭をのせた。
うーん、うーん、としばらくうなってから、そうだ、と声をあげて、腕の中の花を、くるりと回した。
そして、花を背中から、抱きしめ直した。
「これなら、顔が見えないから、恥ずかしくないだろ?」
な? と耳元でささやかれて、花は、そういうことじゃなくて……、と思ったが、それ以上は言えなかった。
あまりにも、嬉しそうに言われたから。
これで、やっぱり恥ずかしいです、なんて言ったら、翼徳はどれだけがっかりすることだろう。
(な、慣れなくちゃ……)
花は、改めて、自分に言い聞かせた。
この一ヶ月間、翼徳から離れていたせいか、彼の抱きつき癖に対する免疫が、薄れてしまっていたらしい。
翼徳は、まるで大きな犬のように、花の姿を見ると駆け寄ってきて、抱きついてくるのだ。
そんな翼徳の事を、城の者は誰しももう見なれてしまっているが、肝心の花自身は、中々慣れる事が出来ない。
(この世界の人たちって、そんなに、人前じゃべたべたしたりしないのになあ……)
翼徳には、そんな周囲の常識は、関係ないらしい。
「翼徳さんって、スキンシップ、好き、ですよね……」
「すきんしっぷ? って、何だ?」
「あ、えーっと」
スキンシップって、こっちの言葉にはなかったんだっけ、と気付いて、急いで、代わりの言葉を言おうとしたが、上手い言葉が見つからなかった。
「……くっつきあうのが好き、みたいなことです」
何かちょっと違う気もするが、大体そんな感じの意味だろう。
翼徳は、ふうん、とうなずくと、また花の肩に頭をのせると、犬のように鼻を花の頬にすりつけてきた。
「くすぐったいです、翼徳さん……っ」
「うん、オレ、花にくっつくの、大好き」
翼徳の髪が、頬に触れて、ちくちくする。
腰に回った手は、大きくて、あったかい。
「お前に触れていると、オレ、安心、するんだ……」
「翼徳さん……」
翼徳の声が、いつもと違って、ほんの少しだけ、寂しそうに聞こえて、花は胸がぎゅっと詰まった。
花は、翼徳の手に、自分の手を重ねて、言った。
「は、恥ずかしいですけど……」
翼徳の手を、ぎゅっと、握った。
「翼徳さんが、安心するなら、いくらでも、くっついて、いいですよ」
背後で、ふわりと笑う気配がした。
顔は、見えなかったけど。
「……うん。ありがとな、花」
しばらく、二人はそうやって、互いの体温を開け合うように、くっつきあっていた。
離れていた分を、取り戻すように―――。
「翼徳。そろそろ行かないと、お前の隊の部下たちが、待ちくたびれているぞ」
先ほど、手持無沙汰な翼徳の部下たちを見た雲長は、翼徳の姿を目にして、声をかけた。
「雲長兄い。もうちょっとしたら、行くよ」
翼徳は、顔だけを雲長のいる方に向けて、返事をした。
そんな弟分の様子に、雲長は思わず苦笑した。
「ったく。しょうがないヤツだな。まあ、すっ飛んで行ったから、そんな事だろうとは思っていたが。忘れずに、ちゃんと行けよ」
この分だと、可哀そうだが翼徳の部下はしばらく待ちぼうけだな、と雲長は思った。
だがまあ、それも今日は、仕方がないだろう。
何せ、一ヶ月ぶりなのだから。
翼徳の腕の中にいた彼女は、非常に居たたまれなさそうな様子だったが、慣れるしかあるまい。
寂しがり屋で人懐っこい翼徳と付き合うと言う事は、そう言う事だ。
了。