恋するふたりの10title
04.鍵
キーホルダーには、3つの鍵がついている。
1つめは、自分のアパートの鍵。
2つめは、実家の鍵。
3つめは、悟史のアパートの鍵。
一番よく使ってるのは、もちろん自分のアパートの鍵だ。
実家は長期休暇くらいの時しか寄らないので、最近じゃめったに使わない。
そして3つめの鍵は、実は使った事がない。
正直、なくてもいいくらいだ、って言ったら悟史間違いなく泣くだろうから、言わないけど。
だって、あいつんちに行く用ないんだよなあ。
あいつが、俺のとこにくる場合の方が、圧倒的に多いし。
ちなみに、俺と悟史の通う大学は、別々のところだが、距離的には比較的近い。
近いと言っても、通学のために降りる駅なんかは、違うわけで。
それぞれ実家から出て、アパートで独り暮らしをはじめたのだが、俺は素直に自分の大学の近所の単身用アパートを借りた。
悟史のヤツは、自分の通う大学の近く……では、ない。
何を考えているんだか、俺のアパートの近くを借りているのだ。
悟史の通う大学からやや遠くなるので、辞めておけと言ったのに……。
大体あいつは理系で、実験や実習で俺より講義が詰まっているんだから、絶対自分の通う学校の近くの方が便利なのだ。
何考えてんだよ、と言ったら、迷わず、
『アキちゃんのことだよ。決まってるだろ!』
と即答された。そして、
『ただでさえ、違う学校なんだよ?住んでるとこくらい近くじゃなきゃ、アキちゃんとの接点なくなっちゃうよ!』
と、悲壮な声で言われては、それ以上強く反対する事は出来なかった。
まあ、通えねえ距離じゃないしな……。
にしても、学校別で、住んでるとこがちょっと離れたくらいで疎遠になる心配なんて必要ないだろ?
と、言ったら、すぐさま、
『アキちゃんに会いに行くの、いつも俺の方からだよね……』
と、雨に打たれた子犬のようなまなざしが返ってきて、俺はぐうの音も出なかった。
いやだって、お前、俺が会いに行こうと思う前に、もうすでに俺の前にいることが多いんだから、不可抗力だろ……。
という、俺の心の声が聞こえたのかどうかはさておき。
悟史は、俺に鍵を手渡した。
『これ、俺のアパートの部屋の鍵。アキちゃんだったら、いつでも大歓迎だから!俺がいなくても、気にせず入っちゃっていいから』
『いいよ、別に。お前がいない時はいかないし……』
『俺がアキちゃんに持ってて欲しいんだ。アキちゃんが、俺に会いたいって思った時、いつでも会いに来て欲しいから。この先実験や実習ですれ違う事もあるだろうし。ね、お願い。持ってて』
『……ん、わかった。使う機会ねーだろうけど、それでお前の気が済むんなら、預かっとく』
『うん、ありがとう、アキちゃん』
合鍵をもらって、お礼を言われるってのも妙な感じだなあと思ったけど、その時はそれだけだった。
後で、同じ大学になった高校の同級生の藤原にこの話をしたら、『合鍵拒むカレシってあり得ないよ?さすが神近』と突っ込まれたが。
そういうもんか?
使う必要のない鍵なんて、受け取らないほうが、防犯上にも良いと思っただけなんだけど。
ほら、落としちゃったりしたら、大変だろ?
そんなわけで、一度も使われないまま、悟史のアパートの鍵は、キーホルダーに付けられたままだったのだが――――。
カチャリ……。
俺は、今日、初めて、その鍵を使って、悟史の部屋のドアを開けた。
「悟史……?」
お邪魔します、と小さく声を掛けて、玄関で靴を脱ぐ。
悟史がいなくても、気にせず入っていいとは言われたが、だからって人の家にずかずか入って行くほど図々しくはなれない。
たとえ……その、付き合っている間柄でも。
初めて入る悟史の部屋は、思ったよりも片付いていて、悟史の匂いがした。
「アキちゃん……?」
かすれた声が、聞こえてきた。
続いて、おさえるような咳が。
「おい、大丈夫か……!?」
俺は急いで、部屋の奥へと向かった。
うっすらと赤い顔をした悟史が、ベッドから起き上がろうとしていたのを、ばか!と言って寝かしつける。
昨日から何も連絡がなくて、ケータイも繋がらなかったから、念のため来てみて正解だった。
何もなくても毎日電話してくるヤツが、昨日今日と何も言ってこなくて、おかしいなあと思ったら、これだ。
どうでもいい電話やメールはかかさないくせに、どうして、自分の具合の悪い時に連絡よこさないんだよ!?
「大丈夫だよ……。ちょっと、熱っぽいだけで。寝てれば、治るから……」
「そうだとしても、連絡くらいよこせよ」
「アキちゃんに、うつしちゃいけないから」
「ばか!俺はそんなヤワじゃねえよ!変な遠慮するな。一応……付き合ってるんだろ、俺たち」
「一応じゃないよ、ちゃんとだよ」
「突っ込むとこそこじゃねえだろ。……なんか、食いたいものあるか?粥くらいなら作れるぞ。あ、アイス買ってこようか?」
「プリン食べたい……」
「わかった、プリンだな。買ってくるから、ちょっと待ってろ」
「うん、ごめんね、アキちゃん……」
「だから、遠慮するなって言ってるだろ。それ以上言うと、怒るぞ!大人しく寝とけ」
毛布を肩まで引き上げてやって、ぽんぽんと叩くと、悟史は照れくさそうに笑った。
つられて俺もちょっと笑ってから、歩いて5分のコンビニへと、プリンを買いに向かったのだった。
プリンを食べる悟史を見ながら、悟史の部屋の合鍵を預かっておいてよかった、と今さらのように思った。
悟史が部屋にいても、自分で部屋の鍵を開けられないような事態に陥ることだって、無いとは言えないのだ。
今回は、たんなる風邪だったから、チャイムを鳴らせば悟史自身が部屋を開けただろうが、次はそうと言えないかもしれない。
そう思ったら、ぞっと背筋が冷えた。
「お前の合鍵、もっててよかった……」
「アキちゃん?」
しみじみつぶやくと、スプーンを持った悟史が、小首をかしげてこっちを見ていて、俺はごまかすように咳ばらいをした。
「うん、いや、あの時は別にいらないって言ったけど……やっぱ、合鍵って必要だなって思って」
「今日は、ごめんね。こういう風に合鍵使って欲しかったわけじゃないんだけど」
「何言ってんだよ。今日みたいな時にこそ、必要なものだろ。それでな……」
「うん?」
ちょっと迷ってから、俺はちょっと目をそらして、ぼそぼそと続けた。
「今度、俺の部屋の合鍵も作るから。悟史も、預かっといて。何があるかわかんねえしな……」
「アキちゃん……!いいの……?」
「ああ。お前なら、いい」
視線を戻して、悟史の目を見てうなずいたら、わかりやすいくらいにわかりやすく、悟史の顔がぱあっと輝いた。
「アキちゃんの部屋の鍵もらっちゃたら、俺、アキちゃんの部屋に入り浸っちゃうと思うんだけど、本当に、いいの?」
「いいよ。今だって、いりびたってるみたいなもんじゃねえか」
「アキちゃんのいない時にもあがりこんじゃうよ!?」
「構わない。つうか、お前、落ち着け。熱あがるぞ?」
「アキちゃんのせいだよ!うわ〜、俺、嬉しくて、死にそう……」
鍵一つで、ここまで狂喜乱舞してもらえるんだったら、もっと早く渡すべきだったのか……?
悟史の驚きっぷりに呆れるやら気恥ずかしいやらで、俺はいつも以上に素っ気なく突っ込んだ。
「大げさなヤツだな。たかが合鍵だろ」
すると悟史は、勢い込んで、
「たかがじゃないよ、アキちゃんの部屋の合鍵だよ……!ケホッ、ゴホッ……ッ」
思い切りせきこんでいた。
俺は悟史の背中をさすってやると、そのままベッドにそっと横たえさせた。
プリンの空容器を持って、立ち上がる。
「このまま大人しく寝とくんだぞ。明日も具合悪かったら、ちゃんと病院に行け」
「う、うん……」
「じゃあな。俺、帰る」
「気をつけて帰ってね、アキちゃん……」
何か言いたげに見上げられて、俺はくすりと笑った。
本当にしょうがねえヤツだな、まったく。
「心配しなくても、ちゃんと合鍵は作る。……だから、早くよくなれよ」
「あ、アキちゃん……!!」
これ以上ここにいたら、マジで悟史の熱が上がりそうだったので、俺はそれ以上何も言わずに、さっさと部屋を出た。
二度目の使用になる鍵で、しっかり施錠する。
キーホルダーを、目の上に掲げて、今日初めて使った鍵を眺めた。
これからは、この3つめの鍵も、使うようにしよう。
こういう事態の時にばっかり使うんじゃ、心臓に悪い。
何でもない時に使って、悟史の驚いた顔を見てやろう。
俺の部屋の合鍵を悟史に渡したら、使うタイミングが今よりますます、なくなりそうだけど、な。
Fin.
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