恋するふたりの10title
06.想うほどに、募る。
夕飯の片づけは3分で済んだ。
カップ麺の容器を軽くすすいで、資源ごみの袋に突っ込んで終了。
つけっ放しだったテレビのスイッチを切って、部屋にごろんと寝転がった。
「あ〜。何もやる気しねえ……」
頭では、レポートを今のウチにさっさとやってしまえばいいのだとわかっている。
が、とにかくそんな気にならない。
俺は、その辺に転がしていた、ケータイをつかんだ。
さっき届いた、悟史からのメールの文面を読み直した。
アキちゃん、今日の夕飯はもう食べた?
ひとりだからって、インスタントで済ませちゃダメだよ!
野菜もちゃんと採ること。
あんまり夜更かししちゃダメだよ。
しばらく冷えるって天気予報で言ってたから、暖かくして寝てね。
めんどくさいからって、薄着で出かけないこと。
俺は今からごはんです。
いい加減、里屋の弁当は飽きちゃったよ。
もうちょっとで実習も終わりそうだから、そしたらカレーを作って食べたいな。
アキちゃんもカレー好きだよね?
それとも、シチューの方がいいかな。
それじゃ、またメールするね。
アキちゃん大好き。
最後の一文を、3回くらい読み直す。
全体的に、お前は俺の母親か、みたいなメールのくせして、最後だけはさらっと恋人っぽいこと書いてんのが、いかにもあいつらしい。
俺は簡単に返事を書いた。
夕飯は食った。
野菜はまた今度。
お前も風邪引くなよ。
じゃあな。
ぽちっと送信して、ケータイを床に転がした。
悟史の作ったカレーが食いたい……。
あいつ、市販のルーじゃなくて、カレー粉から作るんだよ。
よくわかんねえスパイスとか入れてさ。
無駄に本格的って言うか。
俺も一応、野菜切るくらいは手伝うんだぜ?
俺が切った野菜は、形がまちまちで不格好なんだけど、煮込んじゃえば一緒だよ、って言って、悟史は気にしない。
あいつが切った野菜は、もちろん、きれいにそろっている。
そういや最近、野菜食ってねえかも……。
ひとりで食うのに、いちいち自分で作ったりするのめんどいじゃん。
だから、カップ麺とかテイクアウトな牛丼とか、ついそういうのばかりになってしまう。
俺は、しみじみと、悟史の不在を噛みしめていた。
『しばらく実習が続くんだ。ホントはいけないんだけど、学校に泊まり込む日もあると思う。そうじゃなくても、帰りが遅くなるから、当分、アキちゃんと会えなくなるんだ……』
『ふうん。そうか。頑張れよ』
『うん。アキちゃんは……大丈夫?その、俺がいなくても……』
『ばーか。何言ってんだよ。ガキじゃあるまいし。お前がいないからって、どうってことねえよ』
『そっか……。うん、そうだよね』
不在を告げる悟史に、俺はあっさりと返事をした。
悟史はなんだか寂しそうだったけど、俺は別に大したことないと、思ってた。
会えないって言っても、たかが1週間かそこらだ。
しかも、学校にいるってことは、わかってる。
何かあったら、駆けつけることもできる。
ちょっとの間、顔を見られないからって、そんな悲壮な顔して言う、悟史の方がおかしいんだよって、思ってた。
思ってた、のに……。
俺は起き上がると、悟史が部屋に置きっぱなしにして行った、悟史のジャケットを引っ張り出してきた。
胸に抱えて、思いっきり、匂いを吸い込む。
悟史の匂いがする。
「ヤバイ………」
俺は、変態か。
正気に返っても、抱きしめているジャケットを、手放すことができない。
重症だ。
俺は、悟史の不在を、軽く考えすぎていたことに、気付かないわけにはいかなかった。
当たり前にいる存在が、当たり前にいないことが、こんなに堪えることだなんて、知らなかったのだ。
そういえば俺はこれまで、悟史と、3日以上、離れ離れになったことはなかったのだ。
家は近所だし、学校も高校までずっと一緒で。
大学は別だが、住んでる場所はやっぱり近いし、お前はどこに住んでんだよってくらい、悟史は俺のアパートに入り浸ってるし。
そんな状態だったから、悟史がいない、というのが、一体どういうことなのか、考えたこともなかったのだ。
その点、なんだか寂しそうにしていた悟史の方が、それをわかっていたんだろう。
一日数回はメールをくれるし、電話で声だって聞ける。
でも、本人は、いない……。
笑った顔も、ちょっと困ったような顔も、拗ねた顔も、見ることは出来ない。
俺よりほんの少し高い体温の、手に触れることも出来ない。
それがどういうことかなんて、俺は全然、知らなかったのだ。
ジャケットを、ぎゅっと抱きしめる。
悟史の匂いが、ふわりと漂って、なんだか泣きたくなった。
バカみてぇだって、思ったけど。
きっと、こういうことは、これからいくらだってあるはずだ。
また実習が続くこともあるだろうし、大学卒業後、仕事に就くようになったら、ほんの1週間だけじゃなくて、もっと、離れ離れになることだってあるだろう。
住む場所さえ、離れてしまうことだってあるかもしれない。
俺は、今まで、そういうことをちゃんと考えたことがなかった。
いや、無意識に、考えるのを避けていたのかもしれない。
だって、そうだろ?
たかだが5日ばかり、悟史の顔を見てないってだけで、悟史のジャケットに抱きついて、泣きたい気持ちになっているんだから……。
俺は、さっき放りだしたケータイを、またつかんだ。
たった一言、文面を打って、悟史にメールした。
「……もういい。寝る」
ベッドに行くのすら面倒で、ごろごろ転がって、毛布を引っ張り下ろすと、床で蓑虫のようにくるまって、目を閉じた。
電気つけっ放しだけど、別にいいや………。
「アキちゃん!アキちゃん!大丈夫!?」
1時間後。
俺は、血相を変えた悟史の声で、起こされた。
部屋は、どうやら合鍵で開けたらしい。
目をこすりながら、俺は悟史を見上げた。
「大丈夫って、何が……?」
事態がさっぱり把握できない。
なんで、悟史がいるんだ?
実習はまだ終わってないよな……?
「だってアキちゃん!メール!くれたじゃないか!!」
「メール?……ああ」
そうだった。
寝る前に、悟史にメールしたんだった。
たった、一言。
「会いたい、って!アキちゃんがそんなこと言うから、俺、よっぽどのことが起こったんだって思って、急いで来たんだよ!」
どこもなんともないんだよね!?と悟史は膝をついて、俺の肩をつかむと、俺の身体を見渡した。
そのあまりの血相に、俺は気まずく目をそらした。
そりゃ、普段の俺は、そういうこと言うキャラじゃないけどさあ……。
「別に、そういうんじゃないから……。ただ、会いたい、って思った、だけで……」
最後らへんは、尻すぼみになって告げると、悟史は、ほうっとため息をついた。
「じゃあ、何か困ったことになってたわけじゃないんだね」
「うん」
「よかったあ……」
悟史は、心底、ほっとした顔をした後で、ハッと、何かに気づいたような顔で、俺を見つめた。
「え……、それじゃ、あの、会いたいって言うのは……」
「会いたいは、会いたいだよ。……んだよ、俺がお前に会いたいって思っちゃ、おかしいのかよ」
「そ、そうじゃないよ!そうじゃないけど、アキちゃん、俺がいなくても全然ヘーキって感じだったから……」
「悪かったな。そう思ってたけど、そうじゃなかったんだよ!だって、しょうがないだろ。今までお前と離れたことなかったから、わかんなかったんだよ……」
「そっか……そうだったんだ」
「そうだよ」
なんだか気まずくて、俺は視線をそらして黙り込んだ。
悟史も黙っている。
……呆れてんのかな?
あれだけ、どうってことないって、言いきってたくせして、実際はちっとも、大丈夫なんかじゃなかったんだから。
「……悟史?」
恐る恐る、悟史の方を見てみると。
思いっきり、しまりのない顔をした悟史が、そこにいた。
なんなんだ、そのとろけきった顔は!
「アキちゃん〜〜!!」
俺と目が合うと、悟史は俺に抱きついてきた。
「なっ、なんだよ!いきなり!?」
「だって俺、嬉しくて!メールの返事も素っ気ないし、電話してもすぐ切っちゃうし。アキちゃんはホントに俺がいなくても全然平気なんだって思って、ちょっとへこんでたから。そうじゃないって分かって、俺、すごーく、嬉しいんだ」
「だらだら長いメール書くの好きじゃないんだよ。顔見えない相手と電話すんのも好きじゃねえ」
「うん、うん。それは知ってたけど。会えない時もそれだと、やっぱ寂しくて」
「……俺だって、寂しかったよ」
たまには、俺も素直になってみよう。
俺のメールの一言で、実習抜けだしてここまで来てくれたわけだし。
「アキちゃん……っ!!」
感極まった声をあげて、更にぎゅうっと抱きしめられた。
く、苦しい。
「あ、ごめん!痛かった?」
「痛くはないけど……」
顔と顔が触れ合うくらいの距離で、目が合って、俺はなんだか恥ずかしくなって、顔をうつむけた。
毎日見てた顔なのに、ちょっと見ない日が続いただけで、なんで恥ずかしいって思うんだろう。
悟史の首に顔をうずめて、目を閉じた。
「アキちゃん……?」
「本物の匂いがする……」
「えっ……?」
「あっ……」
心の中でだけ言ったつもりだったのに、思い切り口に出してしまっていたらしい。
俺は気まずい思いで、悟史の首に向かって呟いた。
「メールや電話じゃ、お前の匂いや、体温は、わかんないだろ……」
自分がどれだけこっ恥ずかしいことを言ってるのかの、自覚くらいはあった。
だけど、恥ずかしくても、言わずにはいられなかった。
「アキちゃん、アキちゃん、アキちゃん……っ!!」
「うわっ!?」
悟史は、俺を抱きしめたまま、押し倒した。
両手が背中に回ってたから、痛くはなかったけど、驚いた。
「そんなの俺だって一緒だよ!アキちゃんが切れて、もう死にそうなんだよ!チャージさせて!」
「チャージって……」
「あ、俺、2日くらい風呂入ってないから、臭いかな……。シャワー浴びてくるから、待っててくれる?」
「いいよ、もう……」
「えっ!それって、ダメってこと!?」
悲壮な顔で言われて、俺はくすっと笑った。
悟史の顔を見上げて、輪郭線をなぞるように頬に触れた。
「このままで、いいってことだよ。わかれよ、ばか……」
照れたように見つめ合って、頬に触れていた手に、手が添えられて、顔がゆっくりと近づいてくる。
そっと目を閉じると、ふわりと、馴染みのある匂いが鼻をくすぐった。
想うだけじゃ、全然足りない。
唇に、甘い感触が落ちてくる。
ここ数日の物足りない気持ちが、淡雪のように溶けて、消えていくのを、俺は身体全体で、感じていた。
Fin.
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