25pieces

  あじさい  

 あじさいの葉っぱの上に、カタツムリがちょこん、と乗っている。
 浩介は指でそっと、葉っぱを揺らしてみた。
 カタツムリも一緒に、ゆらゆらと揺れる。
 それでもカタツムリの触覚はあじさいに向いたまま、動かなかった。

「よっぽど、居心地がいいんだなあ」

 思わず近寄って、まじまじと眺めてしまった。
 あじさいと、カタツムリ。
 よくある組み合わせだけど、実際に見たのははじめてだ。
 もちろん、それぞれ別々に、だったら見たことあるけど。

(雨……?)

 指先に水滴を感じて、上を見上げる。
 ぽつり、ぽつり、としずくが空から降ってきていた。
 浩介は傘をさそうかどうか迷って、結局ささなかった。
 折りたたみだし。
 カバンの中から出すのが、めんどくさい。
 それに今はなんだか、濡れていたい気分だった。
 しゃがみこんで、葉っぱをさっきより強く揺らす。
 やっぱり、カタツムリは動かない。

「そんなに、好き?」

 なにカタツムリに話しかけてるんだ、と頭のどこかで冷めた自分が突っ込みを入れる。
 大丈夫か、お前? と。
 でも、ここには自分しかいない。
 こんな天気の日に、さっさと下校せずに校庭の隅でぐずぐずしてるような、物好きは。
 誰も見てなんかいない。
 だから、ちょっとくらいカタツムリに話しかけたっていいだろう。

「そんなにじっと見てても、たぶん、向こうはそんなにお前のこと、好きじゃないよ」

 あじさいの花言葉は、移り気。
 一時期、花言葉に凝っていた姉が教えてくれたのを、何となく思い出した。
 あじさいは、花の色が変わるから、そう言うんだっけ?
 じゃあこの青いあじさいも、いずれ色が変わってしまうんだろうか。
 そうしたら、このカタツムリはますます見向きもされなくなってしまうんだろうか。
 それとも、こっちを見てくれるようになる?

「どっちにしろ、お前にはどうしようもないな」

 あじさいの移り気は、カタツムリには変えられない。
 ただ、変わっていくのをじっと見つめているだけだ。
 雨に打たれながら………。

「そんなとこで、何してんだ、お前は」

 ふっと雨が止んだかと思ったら、後ろから傘をさしかけられていた。
 顔をあげた浩介は、驚いて声をあげた。

「せ、先輩こそ……! な、なんでここに!?」
「雨降ってんのに、校庭の花壇の前で座り込んでるバカが目に入ったからだ。昇降口で待ってろって言わなかったか?」
「言いました、けど……」

 手を引かれて立ち上がりながら、浩介はもごもごと口の中で答えた。
 呆れたような顔が見下ろしてきて、続きをうながされる。

「けど、何?」
「天海先輩が、その、女子の先輩としゃべってるの、見て、あの……邪魔しちゃ悪いかなって……」

 最後の方は、雨に吸い込まれるような小さな声になってしまった。
 しゃべってるの、と言ったが、あれはどう見ても告白されてる場面だった。
 特別教室へ向かう渡り廊下。
 放課後はほとんど人通りのない、その廊下の先にある視聴覚室が掃除当番だったのだ。
 それはいかにも、呼びだされてきました、という風情だった。
 髪の長い、綺麗な女の子だった。
 浩介はその様子に気づくと、急いでUターンして、こっそり外を回って教室に戻った。
 おかげで、ちょっと上履きが汚れてしまった。
 校舎に入る前に靴脱ぎのマットでよく拭いたから、廊下は汚してないけど。

「ああ、あれ……見てたのか」

 天海は気まずそうに眉をしかめて、頭の後ろをかいた。
 それを見て、浩介は慌てて口を開いた。

「あ、あの、オレ、気にしてないですから、ぜんぜん……っ!」

 あんなに綺麗な女の子から告白されたりしたら。
 きっと、嫌だなんて言えるはずがない。
 むしろ、嬉しいって思うはず、だから……。

「ばーか」

 必死の思いで言ったのに、天海はますます眉をしかめると、浩介の頬をつねった。

「いっ、いひゃい、です、せんぱ……っ!」
「痛くしてんだよ、バカ。ったく、それが『ぜんぜん気にしてない』ツラかっての」

 そう言って、天海は思いっきり浩介の頬を引っ張ってから、手を離した。
 そして、さらに詰問口調で続ける。

「お前さあ、俺があの女子と付き合うとか、思ったワケ?」
「そ、れは……その………」

 思いました。
 と、言ってはいけないと、頭の中でさっき突っ込みを入れていた自分が囁く忠告に、浩介は今度は素直に従った。
 だが、顔に出ていたのだろう。
 天海はもう一度、容赦なく浩介の頬を引っ張った。

「いひゃい、いひゃいですっ!」

 情けない悲鳴が浩介の口から漏れる。
 天海は手を離すと、浩介の額をぺちんと叩いた。

「失礼だぞ、伊沢。お前と付き合ってんのに、何で他と付き合うんだよ。断ったよ、ちゃんと」

 ひりひりする頬に手をやりながら、浩介は呆然と天海を見上げた。
 頬は、まだ痛い。だから、これは夢じゃない。

「ほ、ほんとに……?」
「なんでそこで疑問形なんだよ。マジ失礼なヤツだな。そんなに俺を浮気者にしたいのか?」
「そ、そういうわけじゃ……」

 ないですけど、という言葉が口の中でたよりなく消えていく。
 そんな風に思ってるわけじゃない。わけじゃ、ないけど………。

「なんだよ? 言いたいことがあるなら、はっきり言えよ」

 言葉はキツイが、声は怒っていなかった。
 それに励まされて、浩介は心の中にわだかまっていた想いを口にする。

「綺麗な人だったし……。やっぱり、女の子の方がいいんじゃないかなって」
「は? なんでそうなる。つかそれ、お前が、やっぱり女子がいいってなったんじゃねえの?」
「違います! オレが好きなのは、天海先輩です!」

 自分の気持ちを疑われるのは心外で、そこだけはきっぱりと主張する。
 天海が好きだ。
 好きだからこそ、疎ましく思われたくないのだ。
 綺麗な女の子に好かれて、やっぱりそちらがいいと天海が思うのなら、仕方ないと思う。
 好きだと天海に告白して、受け入れられたことのほうが、信じられないのだ。
 せめて気持ちだけでも伝えたいと、玉砕覚悟の告白だった。
 天海は見た目よりずっと、後輩思いで優しいから。
 だから、自分を傷つけないようにしてくれたんじゃないかって………。
 浩介は雨だれのようにぽつぽつと、今までずっと胸の内に秘めていた思いを打ち明けた。
 黙ってそれを聞いていた天海は、はあ、と大きなため息をつくと、あのなあ、と言った。

「なんで俺がボランティア精神で男と付き合わなきゃなんねえんだよ。そりゃまあ、確かに俺は後輩思いのイイ先輩だけど」

 最後の方は茶化す様に付け足して、天海は苦笑した。
 吐き出す物を全部吐き出して、気の抜けた浩介は、雨に打たれるあじさいに目をやって、ぽつりと言った。

「だって……オレは天海先輩が好きだけど、天海先輩が、オレを好きなのかはわかんないし………」

 好きだと言ったら、じゃあ付き合うか、と言われた。
 夢心地でうなずいて、今まで来た。
 本当はずっと、あの日から夢を見ていたんじゃないか。
 今日の放課後、渡り廊下の光景を目にして、夢から覚めた気がした。
 ぐちゃぐちゃの気持ちのまま、気がついたらカバンを持って、外に出ていた。
 普段は気にも留めないような、校庭の隅の花壇に足がとまったのが何故なのかはわからない。
 あじさいの葉の上にカタツムリ、なんて今の気分にはあまりにもかけ離れた、和やかで、メルヘンな風景に。
 じっと、あじさいの方を向いているカタツムリは、まるで片思いをしてるみたいだった。
 葉っぱの上から見つめることを許されても、ただそれだけ。
 移り気なあじさいは、色が変わるころには、カタツムリのことなど気にも留めなくなる。
 いや、今だって別に気に留めてなどいない。
 天海だって、別に浩介のことが好きなわけではないのだ……。

「あれ? 言ってなかったか、俺」

 ぬかるみにはまりこむように思考の渦に沈み込んでいた浩介は、天海の声にはっとして、視線を戻した。

「い、言ってない、です………」
「そうか。言ってなかったか。俺は………って」 

 手をぎゅっと、握りしめる。
 聞きたくないけど、聞きたい。
 天海は言葉をいったん切って、ふっと顔を反らした。
 口元に手をやって。

「ってか、言わなくてもさあ、わかるだろ、フツー。好きでもねえのに付き合わねえし、好きでもねえのにヤらねえだろ……」

 横顔が、赤い。
 浩介はそれをまだどこか信じられないような思いで見つめ、呆けたように口を開いた。

「それって……天海先輩も、オレのことが好き、ってことですか……?」
「ですかも何かも、そのまんまだろ。つか、自分のこと好きでも何でもないヤツに抱かれて、お前ホントにそれでいいとか思ってたのか?」
「はい……」
「ハイじゃねえよ! バカかお前はっ!!」

 怒鳴られて、肩に腕をまわされ、抱きしめられた。
 自分が好きだから。だからそれでもいいと思ったのだ。
 でもそれを言ったらもっと怒られるのは、冷静な自分に突っ込まれるまでもなくわかっていたので、口にしなかった。
 代わりに、カバンを持っていない方の手を天海の背中に回して、制服をそっとつかんだ。
 触れ合った場所から、お互いのドクドク言う心臓の鼓動が聞こえる。
 あ、一緒なんだ、と浩介は不意に、すとんと納得した。
 顔をあげたら、天海と目が合った。

「好きだよ。決まってるだろ」

 見たこともないくらい顔を赤くして、不機嫌そうに天海は告げた。
 雨は、気がつけばもう止んでいた。
 葉っぱの上にいたカタツムリが、いつの間にか花の上に移動している。
 気持ちよさそうにツノを伸ばすカタツムリを、あじさいはしっかり受け止めている。
 雨のしずくを、雲間から差し込む光にきらりと反射させながら。
 なんだ。片思いじゃなくて、相思相愛だったんだ。
 思わず浩介が笑うと、何笑ってんだよと、頬に天海の手が伸びてくる。
 またつねられるのかと思ったら、噛みつくようにキスされて、傘が地面に転がった。

Fin.
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