25pieces

  寄り道  

 古い平屋建てをぐるりと囲む生け垣には、一か所だけ目立たない、小さな穴があった。
 猫の額ほどの狭い庭に面したその穴を、初めてくぐってみたのはまだその生け垣よりも背が低かった頃のこと。
 さすがに今はもう、猫の子のようにそこからもぐりこむことは出来ない。 

「また来たのか。たまには寄り道せずにまっすぐ帰れ」

 生け垣の端にある木戸を開いて庭に入ったら、男の不機嫌そうな声が降ってくる。
 少年はいつものように気にしないで、明るく声をかけた。

「やだな。ボケてんの? 試験中はずっと来てないんだから、週末もあわせて1週間ぶりだよ」
「誰がボケてるって。試験期間中まで来てたら、容赦なく追い返すに決まってんだろ。ガキは真面目に家で勉強しろ」

 縁側で、ぱちん、ぱちん……と爪を切りながら、男は顔も上げずに答えた。
 少年はちょっとむっとして、その隣に腰かけて、男の顔を覗き込む。

「そんなこと言ってさあ、ホントは寂しかったんでしょ? オレがいなくて」
「こら、近づくな。深爪するだろ。終わったら構ってやるから、ちょっと離れてろ」

 しっしっ、と軽く追い払われるように手を振られて、少年はますますむっとしたが、大人しく離れた。
 靴を脱いで、少し離れた場所で膝を抱えて座り込んで、じっと待つ。
 しばらく、爪を切る音だけが響いた。

「終わったぞ」

 新聞に挟みこまれていたスーパーの特売チラシの上で切り終えた爪の残骸を、そのまま丸めて、ぽいっと後ろに放る。
 綺麗な放物線を描いて、定位置にある屑かごに入った。
 横着だが、コントロールはよくて、今までに外した所を見たことがない。
 どうしてよく見もしないのに、毎回ちゃんと入るんだろう……と何気なく室内に目をやって、気づいた。
 元から物の少ない家だったが、さらに少なくなっている。
 屑かごの向こうには、この家と同じくらい古そうな和箪笥があったはずだが、どこにも見あたらない。
 箪笥が置かれていたと思しき場所だけ、畳の色が違っていた。

「ねえ。どうしたの、部屋。ずいぶんさっぱりしてるけど」
「ああ……」

 少年の視線を追って、後ろを振り返った男は至極あっさりと言った。

「処分した。来週、引っ越すから」
「嘘……! え、じゃあ、この家、どうすんの!?」
「取り壊しだな。この辺一帯、再開発するんだよ。道、広げるらしい」
「そんな……。反対しなかったの!?」

 驚いて、少年は男ににじり寄って、問い詰めた。
 確かにこの家は、今にも傾きそうなくらい古い家だけど、そんなのあんまりだ。

「元からあった話なんだよ。俺がこの家をじーさんから譲り受ける前からな。本決まりになったのが最近ってだけだ。別に無理やりおんだされるわけじゃねえ。土地だってちゃんと買い取ってもらったんだよ。市の買い取りだから、相場よりずっといい値段でな」

 ぽんぽん、となだめるように頭を叩かれた。
 男は、笑っている。
 儲かった儲かった、プチ不動産バブルだ、なんて言いながら。
 だけど、この家は。

「そんなの……ヤダよ、オレ。おじいちゃんがいなくなったのに、この家までなくなっちゃうとか……」

 道を広げる、と言うのなら家が取り壊されるだけではない。
 この生け垣も、ささやかな庭も、なくなってしまうのだ。
 学校帰りにふといつもと違う道を通ってみたくて、みつけた、迷路みたいに入り組んだ小路。
 つやつやとした緑色の葉っぱが連なる壁に開いた、小さな穴。
 物語に出てくる秘密の通路みたいで、先に何があるのか知りたくなった。
 葉っぱを頭にくっつけたまま四つん這いでくぐりぬけると、目を丸くしたおじいさんと、目付きの悪いお兄さんがいた。
 どっから入って来てんだこのガキ! と目付きの悪いお兄さん―――男は低い声で凄んだが、おじいさんは笑いながら言った。
 こりゃまた、ずいぶん大きな猫の子が迷い込んできたなあ。
 そして猫の子を呼ぶように手招くと、ポケットからビスケットを取り出して、今よりうんと小さかった少年の頭を撫でてくれた。

「お前はじいさんの、最晩年の孫みたいなもんだったからなあ……」

 本当の孫は俺だけどな。
 そう言って、男は狭い庭を見渡した。
 ゼラニウムの赤い花と、ガザニアの黄色い花のコントラストが美しい。ピンクのコスモスが、お辞儀するように風に揺れている。
 祖父が丹精込めて手入れしていた庭は、今も何とか当時の姿、3年前の様子を保っている。
 それは男の手によるものではなく、少年の努力によるところが大きかった。
 そんなことしなくていいんだぞ、と男が言っても少年は聞かずに、せっせと庭の手入れを続けた。亡くなった、祖父の代わりに。
 ……だから、言えないでいた。この家が、なくなるのだと。

「ごめんな」

 初めて会った時よりずいぶん大きくなったが、まだ男に比べて華奢な肩を引き寄せて、呟いた。
 少年はしばらく、うつむいて男の首筋に顔をあずけていたが、やがてぱっと顔をあげた。
 泣いているのかと思ったが、その目に涙はなかった。

「植木鉢、ある?」
「は……?」

 思っても見なかったことを尋ねられて、男は怪訝そうに問い返した。
 すぐに焦れた、それでいて元気いっぱいな声が返ってくる。

「は、じゃなくて、植木鉢! ここ、なくなっちゃうんでしょ? だったら、ぜんぶはムリでも、少しくらい植木鉢に植え替えなきゃ」
「ああ……。持っていきたいのか。いいぞ、好きなだけ移しかえて、持って行って。確か、物置にあったと……」
「ちーがーうーっ!!」

 少年は男の腕をつかんで、揺さぶった。

「オレが欲しいんじゃなくて! 引越し先に持ってきなよって言ってんの!!」

 そう言って少年はさっさと立ち上がって靴を履くと、庭の隅に置かれた物置に直行した。
 まだここまでは片付けられていないようで、雑然とした中をざっと見渡して、目当てのものを探し出す。
 少年が普段使う、移植ごてやじょうろなどは、手前の方にちょこんと置いてある。

「おじいちゃん、言ってたよ。手入れは下手だけど、おれと同じくらい、あの子もこの庭を気に入ってるんだよ、って」

 空の植木鉢と移植ごてを持って、少年は庭の前にしゃがんだ。ゼラニウムの赤い花びらにそっと手を添える。
 生け垣の穴は、ちょうどこの場所に通じていた。
 あの時、男が目付きの悪い目を更に吊り上げて怒っていたのは、少年が花を踏みつけてしまったからだった。
 猫に踏まれたくらいで枯れたりはしないよ、とおじいさんは笑って許してくれたけど。
 男から返事はなかったが、少年は気にせず移植ごてを手にとって、花の周りの土にさしこもうとして、手を止めた。
 花を移し替える前に、先に土をある程度入れた方がいいだろうか。
 おじいさんの見よう見まねで庭の手入れは出来たけど、鉢への植え替えまではよくわからない。
 こんな小さな植木鉢じゃなくて、もっと大きな、プランターを用意した方がいいのかもしれない。
 図書館の本で調べて、明日改めてやったほうがいいだろうか……そう、迷っていると、何かが頭にコツンとぶつかった。

「痛っ! 何……」

 振り返ると、紙に包まれた何かが、近くにころんと転がっていた。
 拾って開けて見ると、中から真新しい鍵が出てきた。
 紙の方にも、何かが書かれている。

「これ……」

 驚いて男を見上げると、男は何でもないような顔で答えた。

「引越し先の合鍵。住所は、そこに書いてる」

 手の中の鍵と紙を見比べて、戸惑っていると、男はまたあっさりと言った。

「要らないんなら、投げかえせ」
「い……、要るよ! 要らないわけないだろ! でも……いいの?」

 住所を書いた紙はともかく、引越し先の鍵は……。
 もちろん、この家の鍵を少年が持っているはずもない。と言うか、この家に玄関から入ってきたことは一度もなかった。

「仕方ないだろう。引越し先はマンションで、6階だ。いくらお前が猫だって、庭……じゃないな、ベランダか。そこから入ってくるわけにはいかないだろう。いちいち、ドアの鍵を開けに行くのも面倒だ」

 マンションの住所が書かれたくしゃくしゃになった紙を綺麗に伸ばして、2つに畳む。
 鍵と一緒に、なくさないように制服の胸ポケットに収めると、少年は呆れた声で言った。

「知ってたけど。ホント、横着なんだから」
「木戸じゃなく、生け垣をくぐりぬけてきたお前に言われたくないな」
「それ、初めの1回だけじゃないか」

 ひとまず移植ごてと植木鉢はそのままにして、少年は縁側に戻った。
 あの日の寄り道で偶然見つけた、あたたかい、やさしい場所がなくなってしまうのは寂しいけど。
 何もかもが、なくなってしまうわけじゃない。

「これからも、寄り道して、いいんだよね……」
 
 縁側に座る男の膝に、猫のようにすり寄って、こてんと頭をのせた。
 襟足の髪をかきわけて、首の後ろを大きな手のひらで撫でられる。
 少年は気持ちよさそうに、目を閉じた。


Fin.
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