25pieces
観覧車
ゆっくりと上がって行くゴンドラの中で、ぎゅっと両手を握りしめ、息を詰める。
僕の緊張は今まさに、ピークに達していた。
もちろん、外の景色なんて見る余裕はない。
「あれ? もしかして、佐々本、高いとこ、苦手だった?」
そんな僕の様子を勘違いして、向かいに座った立花が心配そうに尋ねてきた。
ごめん、乗る前にちゃんと確認すればよかったな、って。
うわあ、どうしよう、立花、優しい……っ! や、だからここで感激してる場合じゃなくて!
僕は慌てて、首を振った。
「そんなことないよ。久しぶりだから……ちょっと、緊張して」
「あー、俺も確か小2の夏休みに来たのが最後だから、観覧車乗るのもそれ以来か。つか、久々だと緊張すんの?」
不思議そうに返されて、僕はますます慌てて自分でもよくわからないことを口走ってしまう。
「そ、そう! ほら、観覧車ってゆっくり動くから! ジェットコースターはスピード感あるし緊張する間もないっていうか!」
「そういうもん? オレはジェットコースターの方がすっげドキドキしたー! まあ、動き出せばあっという間って言やあそうなんだけどさー。ちびっこ向けの遊園地って侮ってたのに、なんか数年ぶりに乗ったからか、正直ちょっと、こわかった」
本当の理由なんて、言えるわけない。
とっさに言い繕った僕の言葉に佐々本は首をかしげつつも納得すると、照れたように頭をかきながら言った。
「あ、俺が叫んでたの、岡田には絶対ナイショな! ホラーハウスでゾンビに驚いてこけそうになったのも!」
「もちろん。言わないよ、絶対」
「サンキュー。恩にきる!」
「大げさだな、立花は」
「いや、大げさじゃないんだって! アイツこういうの知ったら、いつまでもネタにすんだよ。ホント、しっつけえんだって!」
立花は笑いながら、ここにはいない彼の友人のことを楽しそうに語った。
いいなあ、羨ましい……。
羨ましいを通り越して、ちょっと妬ましい。
わかってる。岡田は立花にとって、親友なんだって。
『親友じゃねえよ、悪友だよ、悪友!』なんて、立花は顔を顰めるけど。
立花と岡田は同じ中学出身だけど、小学校は違ったらしい。
だけどまるで小学校の時からずっと同じだったんじゃないかってくらいの、年期を感じる。
二人の息があってて、気が置けない関係だっていうのは、クラスの誰もが知るところで。
先生だって、立花と岡田をワンセットで扱うこともしょっちゅうだ。
高校入学して、同じクラスになって……一学期間丸々、立花を見てるだけしか出来なかった僕が、そうそう太刀打ちできないってことはわかってる。
それに岡田はお調子者だけど、決してイヤなヤツではない。
2学期になって急に立花と親しくなった僕にも、立花に対する時と変わらぬノリの良さで接してくれる。
たまにどう反応したらいいのか分からない時もあるけど、クラスメイトとしての、友人としての岡田は――立花に対する気持ちとはもちろん違うが――僕だって好きだ。
でも、そういう諸々のことを頭でわかっているからって、心から納得出来ているのかというと……それは、また違う問題で。
数学の計算式の解みたいにはいかなくて……。
―――そもそも本当は今日、岡田も一緒に来るはずだった。
と言うか、この遊園地のチケットを持っていたのは岡田だった。
知人からもらったそのチケット3枚の期限が今週末までで、もったいないから俺たちで行こう、って話になって……。
それなのに岡田は、時間になっても待ち合わせ場所に現れなかった。
『ハライタで死ぬ〜! 出かけんのムリ! 今日の俺のマブダチはトイレ! って、佐々本にも言っといれ!』
メールを見た立花は、『どうせ食い過ぎだろ、アイツ食い意地はってるから』とあっさりしたものだった。
ついでにダジャレもスルーしていた。
代わりに僕が突っ込んでおくべきだろうか……と思っていたら、察した立花が、いやここで反応したら思うつぼだから、と止められた。
だから立花が『了解』と短く返信するのに、僕からも『お大事に』って言葉を付け加えてもらった。
岡田のメールアドレスは知ってるけど、連絡あったのは立花だし、具合が悪いのなら何度もメールを確認するのはわずらわしいだろうと思って。
チケットは『俺が持ってたらどっか行きそう! 佐々本が持ってて!』と言われ、何故か僕が3枚とも預かっていたのでそこは問題なかった。なかったけど、今日の発案者は岡本だ。
その肝心の本人がいないのなら、このまま解散だろう――今さら遊園地かよ、と立花は元々それほど乗り気じゃなかったから――僕は立花に『それじゃ……』と言って、帰ろうとした。
すると立花は『なんで帰るんだ?』って驚いて目を丸くした。そのことに逆に僕は驚いた。
『岡田、来られないんだろう。その、二人で遊園地、って言うのも……変じゃない?』
『なんで。ここまで来といて、行かない方がおかしいだろ。チケットの期限に余裕があるなら仕切り直すけどさ……あ、もしかして、チケット忘れた?』
『まさか! ちゃんと持って来てるよ』
『なら、問題ないじゃん。ほら、行こうぜ』
『ホントにいいの? あの、僕と二人だけでも……』
『そんな心配しなくても、岡田も別に気にしやしないって。むしろ3枚まるっとムダにした方がアイツ絶対騒ぐから、使える分使っといた方がいいんだよ』
いや、僕がいいたいのはそう言う意味じゃなくて……と言葉にする前に、立花はすでに歩き出していた。
立ち止まったままの僕を振り返って、ほら、早く、と笑って手招く。
その笑顔を見たらもうそれ以上何か言うことは出来なくて、僕は急いで立花の後を追いかけた。
全く予測してなかった事態に、活発に動き出した心臓を持て余しながら。
そしてその状態のまま、僕は立花と2人で、町はずれにある小さな遊園地を回ることになったのだった――――。
「……と。佐々本?」
立花が僕を呼ぶ声で、僕は自分が物想いに耽ってしまっていたことに気付いた。
緊張がピークに達して、張り詰めていたものが切れてしまったのだろう。
いけない、これじゃまた余計な心配をさせてしまう。
気遣わしげな視線を向ける立花に、僕は何とか笑顔を作って口を開いた。
「ごめん。ちょっと遊び疲れて……、ぼーっとしてた」
「回れるとこ、全部回ったしなあ。俺も思ったより疲れた。小2の時は遊び足りないくらいだったのに。年か?」
「そりゃ、8歳の時に比べればね」
屈託なく笑う立花に、ほっとした。
すごく緊張して、ドキドキしすぎて倒れるんじゃないかって思ったけど、今日一日、夢の中にいるみたいに楽しかった。
教室だけじゃわからない、立花の知らなかった面がいっぱい見られて……。
ホラーハウスで飛び上がって驚いて転びそうになって、ジェットコースターで思い切り叫んで。
終わった後、怖かった〜! って当たり前のように言って、でもその後すぐに『次、どこ行く?』って笑うんだ。
立花があんまり楽しそうで、それを見ているのが嬉しくて、ホラーハウスもジェットコースターも、ホントは僕だって得意じゃないのに、怖いなんて思う暇がなかった。
「……岡田も、来られればよかったのにね」
岡田には絶対ナイショな、と立花は言ったけど。
気の利いた反応も返せない僕と一緒では、立花もあまり面白くなかったんじゃないだろうか……。
「まーな。アイツの奢りみたいなもんなのに、本人来てないってのはな」
立花は苦笑してうなずいた。
彼がそう答えたのは当然で、それは僕を否定するものじゃない。
それでも、やっぱり岡田がいないと駄目なんだなと思ってしまって、胸がかすかに軋んだ。
だが、続けられた立花の言葉は僕の卑屈な想像とは、まったく違うものだった。
「けど、俺、岡田には悪ィけど……今日、佐々本と二人で、良かったって思った」
「え……?」
それって、それって、どういう意味……?
治まっていた心臓が、また急激に走り出す。
立花は、真面目な顔で言った。
「岡田のテンションで遊園地一日一緒に回ってたら、絶対今の3倍は疲れてる」
「…………」
うん、それは確かに。
岡田なら、ホラーハウスでもジェットコースターでも例え叫んだりはしなくても、延々実況中継プレイとかしてそう。
うるせえ! って立花が怒っても、いや怒った方が余計張り切って身振り手振りつけしゃべっている姿が思い浮かぶ。
きっと場は3人だけとは思えないくらい凄く盛り上がっただろうが、同時に3人だけとは思えないくらい、今頃凄く疲れていただろう。
それは僕も同意する。同意するけど……。
今のはいくらなんでもちょっとあんまりだよ、立花……!
「佐々本、一番上まで来たみたいだぞ」
心の中だけで叫んでたら、立花が窓の外をさした。
そうだ、僕らは今、観覧車に乗っていたんだった。
なのにまだ外の景色を全然見ていない。いつの間にか観覧車は、てっぺん近くに上っていた。
「あっ。あれ、あそこ。学校じゃね?」
「ホントだ。青い屋根の……あれ、体育館だよね」
ここから、僕らの学校が見えるんだ………。
目の前に広がるのは、特に飛びぬけて景色がいいわけでもない、地方都市の町並みだ。
それでもよく知っている馴染みの場所が、いつもと違う角度で見えると、何だかわくわくした。
「ちっちぇーなー、こっから眺めると」
「うん……おもちゃみたいだよね」
電車の中の子供みたいに、窓ガラスに手をついて眺めた。
県内では一応進学校ではあるけど、建物自体はなんてことない細長いコンクリートの3階建てだ。
それでもあの場所は、僕にとってかけがえのない場所だ。
中3の時の担任は、もっと偏差値の高い私立の男子校を受けたらどうかと言われた。
そこは家から通うには遠すぎて、寮に入らないと無理で。
他人との共同生活に馴染めるか不安だった僕は、結局今の学校を選んで、担任からは嘆かれた。
だけどこの選択は間違ってなかったんだって、今は確信してる。
ここからだとおもちゃみたいな、古くなって灰色にくすんだ校舎。
去年塗り替えたばかりだと言う、青い屋根の体育館が寄り添っていて……。
あの学校に入学しなかったら、僕は立花に会えなかったんだ。
「見ろ、人がゴミのようだ」
感慨深く遠くに見える学校を眺めていたら、隣でぼそりと声がした。
知ってる。これは有名なあのセリフだ。それはもちろん知ってるんだけど……。
岡田ならきっと、立て板に水って調子で上手く切返してるだろうに、こう言う時、上手く口が回らない自分がもどかしい。
「えっと……」
「や、いいから、何も言わなくて。ちょっと言ってみただけだから!」
横を見ると、立花は顔を赤くして額を窓ガラスに張り付けていた。
僕は去年テレビで見た内容を必死で思い出して、それでも何か言おう口を開いた。
そうだ、確かあれは……。
「……バルス?」
で、あってたっけ? あってたよね!?
疑問形で呟いたら、ガラスに額をくっつけたまま立花はこっちを向いて、目を丸くした。
それから、ぶっと噴き出した。
「早いって、佐々本! それ、早すぎ!」
「え、えっ? そうだっけ……?」
うわー、どうしよう! 言うんじゃなかったー!
慣れないことするもんじゃない、って今度は僕が顔を赤くしてたら。
立花は目を細めて、僕を見つめた。
「うん。でも、ありがとう。すっげー今、佐々本の優しさを感じた。やっぱ好きだわー、佐々本」
「え、え……っ!?」
何故かお礼と共にそう言われて、僕は激しく動揺した。
わかってる。これもわかってる! 立花の言ってるのは、そう言う意味の『好き』じゃないってことは……!
「あ、もう地面だ。なんか、あっという間だった……なあ?」
もうちょいデカイ観覧車だったらよかったのにな、って。
人の気も知らない立花が、呑気に笑いかけてくる。
そうだね、と何とかうなずき返したけど。
本当にもう、立花って、立花って………っ!
やがて観覧車は何事もなかったかのように、元の場所についた。
係の人がドアを開けてくれる。立花の方を見たら、先に行けよ、と目で促され、僕から降りた。続いてすぐに、立花も降りてくる。
「えーと、これで大体、全部回り終わったよな。あとは、ショボいゲーセンみたいなのあったけど。あそこも行っとく?」
「いや……僕は、もう………」
まだ日は高く、もう少しくらいなら、帰りの電車の時間を考慮しても遊んで行くことは可能だったけど。
さっきの、あっという間の割にはやけに凝縮された観覧車でのひとときに、僕はすっかり気力を使い果たしていた。
もっと立花といたいけど、これ以上一緒にいたら持たないって言うか……。
「佐々本、携帯、鳴ってる」
ポケットに突っ込んでいた携帯が震えているのに、立花に言われるまで気づかなかった。
この着信音はメールだ。誰からだろう………。
「メール、岡田からだ。立花にも、きてる?」
「いや、俺にはきてねーけど」
腹痛はもう治まったんだろうか。
具合が悪くて今日来れなかったのに、その心配よりも、立花への近さを羨んでしまったことに、今さらのように申し訳なさがこみあげてきた。
明日、岡田に会ったら謝ろう……いや、謝られても何のことだかわからないか。
代わりに、凄く楽しかったよってお礼を言おう。その方が、きっと岡田は喜ぶだろうし……今、そう返信しておこうか。
そんなことを思いながら、メールの本文に目を走らせた。
「岡田、なんつってんの?」
立花に尋ねられて、僕は急いで携帯を閉じて言った。焦って、ちょっと早口になって。
「お、お腹痛いの、もう治ったって! 明日はちゃんと学校に来れるんじゃないかな? 立花によろしくって!」
「そっか。なら、よかったな。じゃあ、俺らもそろそろ帰るか」
「う、うん……!」
並んで歩きながら、さっき見た岡田のメールを思い返していた。
『件名:俺は元気ですっ!!
優しい佐々本は薄情な立花と違って心配で心配でたまらなかったって思うけど、俺の腹ぐあいはすっかり大丈夫でっす!
つか、毎朝ビフィズス菌取ってっから俺快便快眠快調なんだけどね! いわゆる仮の病ってヤツ。ごめんねごめんねー!
びっくりした? でも佐々本優しいから怒らないよね。ねっ!? 立花にはコレ、絶対言わないでね! お願いっ。
どう? 二人っきりのデート楽しかったー? メールじゃ語りつくせないだろーから、感想は明日ゆっくり聞かせてね〜。
いやいや! もちろんお礼なんていいから! いらないから!
で〜もお〜、佐々本がどーしてもって言うなら〜、英Tのノート写させてくれると嬉しいなっ。
アイツ殺人的に鈍いから、押し倒す気でいかないと気付かないよ! 佐々本、ガ・ン・バ☆ 』
文字メールなのに、読んだ瞬間に岡田の声が脳内で再生された。
岡田って……。
「岡田って……どういうヤツ……?」
それは尋ねたと言うより、思わず漏れた言葉だったんだけど、即座に立花から答えが返ってきた。
「ウザいけどいいヤツ。いいヤツだけど、ウザイ」
「なるほど……」
観覧車がよく見ないと止まっているようなスピードで、ゆっくりゆっくり回っている。
ゴンドラに午後の遅い日差しが反射して、きらりと光っていた。
僕は深くうなずいて、明日になったら英Tのノートを岡田に貸さなくちゃなと思った。
アドバイスありがとう、なんて絶対、言わないけど。
Fin.
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