25pieces
コンプレックス
最近、幼なじみの様子がおかしい。
明らかにこちらに気づいてるようなのに、廊下ですれ違っても顔を合わせようとしない。
瑞樹の方から声をかけてみても、『急いでるから!』と逃げるように立ち去ってしまう。
それがここ数日続いて、瑞樹の困惑はピークに達していた。
「俺が何したって言うんだよ、トモ……」
瑞樹とトモは保育園の頃から高校生になった今に至るまでずっと一緒という、筋金入りの幼なじみだ。
とは言え今はクラスも部活も違うため、生活パターンは案外重ならない。
部活で朝練がある瑞樹の登校時間は、トモよりも軽く2時間は早いし、下校時間はそれ以上に遅くなる。
それでも学校の廊下ですれ違えば立ち止まって一言二言、言葉を交わしていたし、トモが教科書を忘れたら借りにくる相手は決まって瑞樹だ。
昼だって、大抵一緒にとっている。トモが『飯食おうぜ〜』と瑞樹の教室まで誘いに来るのは恒例になっていた。
それなのに、先週からぱったりとその誘いが途絶えた。
トモの教室をのぞいても姿はなく、クラスメイトに聞いてみても『そっちに行ったんじゃないの?』と逆に問われる始末。
どうやら昼休みになった途端に教室を出て、どこかに行っているらしい。
それじゃあと、いつも二人で昼を食べている場所の屋上に行ってみてもいなくて、第二候補地の中庭にも、第三候補地の空き教室にもいなかった。
学校中くまなく探せばどこかにはいるのだろうが、そんなことをしていたら昼を食いっぱぐれてしまう。運動部所属の瑞樹にとって、それは死活問題だ。
校内で大っぴらに携帯を使うのは禁じられているので、メールで呼びだすわけにもいかない。
(そりゃ、ちゃんと約束してるわけじゃないけど)
今日も昼に逃げられ、中庭で空振りした瑞樹は弁当を抱えてとぼとぼと廊下を歩いていた。
部活のミーティングがあったり、図書委員の当番が回ってきた時以外は、昼休みはトモと過ごせる貴重な時間だった。
それがこんな急に、わけも分からないまま避けられるなんて。
もちろん、家に帰ってからメールで聞いてみた。『なんで最近、昼いないんだ?』と。
ホントはちゃんと顔を見て聞きたかったが、昼休みくらいしかまとまった時間が取れないし、時間が合わない。
部活が終わってからトモの家に行くのは、時間が遅くなりすぎる。幼なじみではあるが、家が隣同士というわけではないのだ。(ちなみに電話は用事があってトモの方からかける時以外は、ほとんど繋がらない)
しばらく経ってきた返信は『ちょっと、色々アレで』という、まったく要領を得ないものだった。
(アレってなんだ……)
要は、聞くな! という意味なのは、今までの付き合いからわかっている。電話で尋ねてもおそらく無駄だ。
言いたくないことは、どう尋ねたところで、結局トモは答えてくれない。
だがこれまで何度かケンカしたことはあっても、こんな風に避けられたことはなかった。
そもそも今回、瑞樹はトモとケンカした覚えがない。小さくため息をつく。
教室まで戻るのが面倒で、瑞樹は図書室の隣にある、司書の控室になっている図書準備室に向かった。
本当はダメなのだが年配の司書が黙認してくれているので、図書委員の当番はたまにここで昼飯を取っている。
「すみません。当番じゃないけど、ここで食ってっていいですか……」
「あ」
司書の姿も、図書委員の姿もそこにはなかった。
代わりに、昼になると姿を消していた幼なじみが、作業台の細長いテーブルに弁当を広げて食べていた。
「トモ、こんなとこに……」
「じゃあ、オレはこれで……っ」
トモは弁当を素早くかきこんで片付けると、入口を塞ぐように立ったままだった瑞樹の横を無理やり通り抜けようとした。
身体がぐらりと揺れる。瑞樹は慌てて、トモの腕をつかんだ。
「待てよ、トモ……っ!」
弁当を持ったまま抱え込むように腕を引っ張ると、つられるようにトモの顔がこっちを向く。
正面からまともに顔を見るのも、ほぼ一週間ぶりで―――。
「トモ。顔……なんか、ついてる?」
顎のあたり。
近づかないとよく分からないが、薄く、ゴミのようなものが見える。
気になって、瑞樹はトモの腕をつかんでいない方の手で、そのゴミをつまんだ。
「……ってぇ! 何すんだ、瑞樹っ! せっかくここまで生やしたのにっ!」
涙目で叫ぶトモの顔と、つまんだものを交互に眺めて、瑞樹はようやくそれが何なのかわかった。
「ごめん。汚れかと思って」
「ちがーうっ!! 髭だよ髭っ!! くっそー、5日かけてようやくそこまで伸ばしたのに……っ!!」
え、5日もかけて、これだけ? という言葉は賢明にも口には出さなかったが、顔には出てしまっていたらしい。
ギッ、と音がしそうな顔で睨まれ、腕を振りほどかれた。
しかし出て行くのは諦めたのか、トモはさっきまで座っていたパイプ椅子に戻って腰を下ろした。
瑞樹は開けっぱなしだったドアを閉しめて、ちょっと考えてから口を開いた。
「司書の毛利先生は……?」
「外で食ってくるって」
当たり障りのないことから聞いてみると、トモは普通に答えてくれた。
瑞樹はホッとして、トモの隣の椅子に座ると、続けて尋ねた。
「そっか。昨日も……最近ずっと、ここで食ってたのか?」
「ちげーよ。西校舎の階段とか、空き教室とか、色々……。今日はたまたま、毛利先生に留守番頼まれたんだよ。委員じゃねーけど、いっぺんだけお前と一緒にここで飯食ったことあるだろ」
「そういやあったな……って、西? 西校舎まで行ってたのか、トモ……」
どうりで、姿を見かけなかったわけだ。
コの字型の校舎の、東側に瑞樹たち一年の教室は並んでいる。図書室も東校舎だ。
反対側の西校舎は距離があるだけじゃなく、主に三年の教室が並ぶ棟だ。用もないのにわざわざ行こうとは思わない。
「食えば、それ。時間なくなるぜ」
テーブルに頬づえをついたトモに促され、瑞樹はまだ昼を食べていなかったことを思い出した。
弁当箱を開けると、さっきの騒動で中身が思い切り端に片寄っていた。
ミートボールの肉汁がご飯にしみて茶色くなっているし、卵焼きも半分つぶれかけている。
瑞樹は気にせず、そのまま食べ始めた。
「………悪かったな」
トモは瑞樹の弁当をちらりと見て、ぽつりとつぶやいた。
もちろんそれは、悲惨な見た目になった弁当に対しての言葉だけではないだろう。
瑞樹は箸を止めずに尋ねた。
「味は変わらないから。……それで、その、トモがこのところ、俺を避け続けてたのって……」
「避けてねえよ。ちょっと会うのを控えてただけだ」
いやそれを避けてるって言うんだよ、と突っ込んでいたら話が進まない。
瑞樹は卵焼きを頬張りながら、トモの顔を見た。
頬づえをつくトモの手の隙間から、本当によく見ないとわからない、薄い、まばらな汚れがのぞいている。
「それと関係あるのか? その……髭?」
「箸で指すな、疑問形で言うなっ! 髭に決まってんだろ!」
「あ、ごめん」
つい指してしまった箸を下ろして、まじまじとトモの顔を眺めた。
幼なじみの顔に、言われなければ分からないほどとはいえ、髭を見るのはこれが初めてだ。
「しかしまたなんで急に髭……」
「いいだろ、別にウチのガッコ、校則で髭禁止とかじゃねえし。お前のクラスの鈴木も髭だろ」
「あれは伸ばしてるんじゃなくて、単に朝時間なくて、剃り忘れてるだけって聞いたような……」
「とにかく! 髭があれば少なくとも……中坊には、見えねえだろ」
「まあ、さすがに中学生で髭のヤツなんていない……あ、もしかして。こないだの日曜に、尾崎のおばさんに受験生に間違われたの、気にしてる……?」
あれは久々に日曜に部活が休みで、トモが瑞樹の家に遊びに来ていた時のことだ。
回覧板を持ってやってきた尾崎のおばさんが、玄関先でトモを見かけて声をかけた。
『トモちゃんは今年高校受験だったからしら? 去年は瑞樹ちゃんが受験生だったけど、あっという間ねー』
すぐに瑞樹が、トモと自分は同い年だと否定した。
尾崎のおばさんは『あら、そうだったわね! トモちゃん可愛いから、おばさんまだ中学生だと思ってたわ。ごめんなさいね〜』と言って帰って行ったのだが……そう言えばあの時、トモは終始無言だった。
ああこれは機嫌を損ねたな、とすぐにわかった。
本当に不機嫌になると、トモは無口になるのだ。そういう時はあえて何も言わない。
言ったら、余計に怒らせるだけだとわかっているからだ。
でもその後、瑞樹が作った焼きそばを食べて帰る頃には、トモはすっかりいつもの様子に戻っていたから、そんなことがあったこと自体すっかり忘れていた。
それに一時気を悪くしたとしても、トモはそれをいつまでも引きずるようなタイプではなかったのだが……。
「……それだけじゃねえよ。クラスの女子も、お前のこと大人っぽいとか言って。オレと並んでるの見ると、先輩後輩みたいなんだとよ。オレの方がお前より10ヵ月も早く生まれたっつうのに! だからオレはお前より年上に見えるまで並んで立たないって決めたんだよ……!」
「だから、髭……」
「そうだよ、悪いか!」
身長は3センチ程度しか変わらないのだが、急に背は高くならない。
それにこの身長差は小学生の頃からほぼ同じだ。トモが伸びた分、瑞樹も同じだけ伸びている。
なので手っ取り早く、髭で差をつけようと思ったのだろう。しかし……。
「そんなことないけど……」
尾崎のおばさんやクラスの女子が指摘するように、トモの顔はどちらかと言えば童顔だ。
その顔に髭を生やした所で、アンバランスなだけで年上には見えないだろう。
おまけにトモは、髭どころかすね毛もほとんど生えていない。
髪も猫っ毛で細いし、脱色してるわけでもないのに茶色っぽい。
数日剃らずに頑張ってこれなら、元々髭があまり生えない体質なのだと思う。
むしろ身長を伸ばすより髭を生やす方がハードルが高いのではないか。
そう思ったが、真実をそのまま幼なじみに告げるわけにもいかない。
「何も黙って、俺を避けることはないだろ」
それでもやっぱり、このくらいの恨み事は言わせて欲しい。
学校のある日は昼休みくらいしか、まとまって会えないのに。
「それは……、だって、カッコ悪ィだろ、こんなの!」
トモは叫んで、テーブルに突っ伏して顔を隠した。
避けてない、とはもう言わなかった。耳が赤くなっている。
トモは気まずくなったり、照れた時には、怒ったような口調になるのだ。
不機嫌になったり、怒っている時には、黙り込んでしまうのとは逆に。
瑞樹は最後に残ったご飯を食べ終わってから、口を開いた。
「トモは、カッコイイよ」
ふわふわの猫っ毛に隠れた顔を、そっと覗き込む。
「………ウソつけ」
テーブルに顔を伏せたままのトモから、疑わしそうな声が返ってくる。
瑞樹が苦笑して、ホントだってと答えると、トモはようやく顔だけをこっちに向けた。
ずいぶん久しぶりに視線が合った気がする。実際はたった数日間だけのことなのに。
「トモは、ずっと俺の憧れだったよ」
避けられてるんじゃないかと思ったら、授業にも部活にも身が入らなかった。
今日ここで会えなかったら、部活をサボって家に押しかけようと思っていたのだ。直接トモの口からワケを聞きたくて。
「木登りだって逆上がりだって……。みんな、トモが教えてくれただろ。焼きそばの作り方も、分数の割り算の仕方も」
10ヵ月年上の幼なじみは、兄弟のいない自分にとっていちばん身近な、頼りになる存在だった。
いつも後をくっついて歩いて、追いかけて。
学年は同じだけど、兄がいればこんな感じなのかな、と思ったこともあった。
今はもちろん、そんな風には思っていない。兄弟みたいにじゃなくて……。
「今さら、んな昔のこと言われてもな……。ったく、ひとりだけ、めきめきカッコよくなりやがってよ……」
まだ少し赤い顔で、トモは瑞樹を見上げ悔しそうに言うと、すぐに目を反らした。
笑いたきゃ笑えよ。あーカッコ悪ぃ……とぼやく声が聞こえる。
「もし俺がカッコよく見えるんだったら、トモのせいだよ。トモのおかげ、かな」
「なんだソレ。どんな嫌味だよ」
ムッとした声が返ってくるのに、瑞樹はさあ? と笑ってはぐらかした。
言葉にするのは簡単だけど、少しくらいトモにも考えて欲しい。
ここ数日間、わけも分からずヤキモキさせられた、仕返しと言うわけではないが。
トモの顎に手を伸ばして、そうっと撫でる。
「……これ。たぶん、一ヶ月頑張ってもトモの理想には遠いと思うよ」
「くそー! 髭でワイルドに決めようって思ったのに……っ!」
笑うなんて、出来るわけない。
トモの隣に立つ自分がどう見えるのか気にしているのは、瑞樹だって同じなのだから。
Fin.
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