25pieces

  一匹狼  

「……いつまでついてくるんだ、お前」

 変な気まぐれを起こして、ガキなんか助けるんじゃなかった。
 ソールはほとんど駆け足に近い速さで歩きながら、心から悔んでいた。

「師匠が僕のこと、弟子にしてくれるまでです……っ!」

 いっそ走って振り切ってもよかったのだが、この山道は少々足場が悪い。
 陽もだいぶ傾いてきた。あえて危険を冒すような真似は避けたかった。
 新しい街道が作られてからは、わざわざ険しいこの道を通る者はほとんどいなくなったらしい。
 だからこそソールはあえてこの道を通ることにしたのだ。誰にも会いたくなくて。

「そんな日は、一生来ない」

 振り返らずにソールは極力冷たく言い放った。
 少年はそれでも息を切らしながら、必死に食い下がった。

「何が起こるか、分からないのが、人生、ですから……っ!」

 それもそうだな……。ソールは少年の言い分に自嘲気味に唇を歪めた。
 獣に襲われて、崖から落ちかけていた少年を助けたことも。
 派閥争いに巻き込まれ、とばっちりを食う形で王都を離れることも。
 数ヶ月前のソールには想像もつかなかったことだ。
 もっと上手く立ち回る方法はあったのかもしれない。
 だが自分の信念を曲げてまで頭を下げるのは、ごめんだった。
 その結果が藪に覆われた山道をおかしな少年に追われながら歩くという奇妙な事態に繋がっているのだ。
 何が起こるか分からないとはまさにその通りだろう。

「……っ!」

 派手な音を立てて、少年が転んだ。
 ちょうどいい。このまま急ぎ歩き去ってしまえば確実に振り切れる。
 少年はふもとの村に暮らしていると言っていたし、この時間ならまだひとりでも十分帰れるはずだ。
 そう何度も獣に襲われることもないだろう。この山に、どんな生きものがいるのかは知らないが。
 かつては一応整備されていた道も、今ではほとんど獣道と見分けがつかなくなっているが……。

「くそっ!」

 舌打ちをしてソールは立ち止った。
 少年は膝を抱えてしゃがみこんでいた。
 さっき助けた時に傷ついた足とは反対側の膝がすり向けて、血がにじんでいる。

「……わざとじゃないだろうな?」

 小さく息を吐いて、ソールは少年の傍に寄ると出来たばかりの新しい傷に手をかざした。
 ぽうっと淡い光がソールの手のひらからこぼれ、にじんだ血が止まる。
 怪我そのものはなくならないが、痛みはこれで治まったはずだ。
 少年は自分の膝と、中腰のまま自分の前に立つソールの顔を交互に見つめ感嘆の表情を浮かべた。

「師匠はやっぱり、凄い方なんですね……!」
「凄くない。こんなの、初歩の初歩の術だ」
「でも、僕は初めて見ました。村にはまじない師はいませんし」
「あんなのと一緒にするな。俺はこれでも王宮で……、なんでもない。今のは忘れろ」

 つい余計なことを口走ってしまい、ソールは顔を顰めて否定した。
 だがそれでこのしつこい少年が納得するはずもない。余計に好奇心をあおっただけだった。
 少年は顔を輝かせ、興奮した口調でソールに尋ねた。

「王宮! 師匠は王都からいらしたんですか……! もしかして、王家に仕える『塔』の魔術師様!?」
「まじない師と魔術師の区別もつかない癖に、よくそんなこと知ってるな」
「村に来た行商人に聞きました。王都には『塔』と呼ばれる魔術師の組織があるって……」

 村や町でささやかな治療や占いを生業にしている数多のまじない師と違って、魔術師とは普通に生活している分には――平時である今なら余計に――まず関わり合うことのない存在だ。
 その中でも『塔』の魔術師は各々が技を磨き、優れた術を会得していると言われている。
 ただし、その力は王家のためのもの。魔術師は王家に囲われたものにすぎない。
 手厚い保護の裏には王家への当然の義務がある。加えて、どろどろした利権や思惑も。
 ソールは己の術を極めることにまい進し、それら後者のことを疎かにしていた。
 縦の繋がりも横の繋がりも作らずに、ただびたすらに。
 
「もう痛くないだろう。さっさと村に帰れ。家族が心配する」

 ソールは少年の手を引いて立ち上がらせると、問いには答えずに再度そっけなく言った。
 すぐに離れた手を追いかけるように見つめ、少年はうつむいた。

「いません」
 
 少年の顔から一瞬、表情が抜け落ちて見えた。

「僕には、もう家族はいません。たったひとりの家族だった祖母も、先日亡くなりましたから」
「……そうか」

 だから彼は、今となっては地元の者さえ通わなくなった場所にひとりでいたのだろうか。
 不注意で道を誤り、獣に襲われ崖から落ちそうになったのではなくて……?

「死ぬつもりだったのか、お前」

 それを聞いてどうするというのだろう。
 塔を追われ、極めた術のほとんどを制限され、まじない師に毛の生えた程の力しか使えなくなった自分がそれを聞いて。
 
「まさか。死ぬ気だったら、師匠に弟子にしてくれなんて言いませんよ」

 少年はソールの問いに目を丸くすると、拍子抜けするくらいあっさり答えた。
 祖母はもうずいぶん年でしたから、とその言葉を口にする時は寂しそうな顔を見せたが。
 
「薬草を採りに来たんです。祖母と僕だけが知ってる場所があって。それにたとえ死ぬつもりだったとしても、師匠に逢った瞬間にそんな気持ち消え失せました」

 早とちりに気まずい思いで黙り込んでそらしたソールの目を、少年は眩しいものを見るようにみつめた。
 薄暮に照らされた少年の顔は、そのせいだけじゃなく赤く上気している。そしてかき口説くような熱心さで語った。

「天使様が、現れたんだと思いました。光をまとって、綺麗で……。なのに狼みたいに強くて。これはもう運命だって!」

 少年の大仰な言い様にソールは内心苦笑した。
 魔術の光を天使と間違うとは、おめでたいにも程がある。
 しかも狼みたいに強いなんて。王宮の騎士どもが聞いたら、鼻で笑うだろう。
 獰猛な獣かと思って慌ててかけつけたが、結局あれはただの山犬だったのだ。
 この少年はソールが助けなくても、自力でなんとか出来たに違いない。
 崖から自力で這い上がれたかは、微妙なところだが。
 呆れるソールをよそに、少年はソールの両手を二度と離さないと言うくらいの決意に漲った力をこめて握って、これで何度目だという言葉を飽きずに繰り返す。

「僕を、弟子にして下さい!」

 研究していた術は完成したが、自分で使うことは出来なくなった。
 使うとしても王家にとって必要な時にしか使うことは出来ない。
 塔の派閥に属して上手く立ちまわったところで、しょせんは王家という籠の中。
 しかも追われる時は、ご丁寧に羽根までもがれた。
 今となっては自由に使えるのは、山犬を追い払い、擦り傷を治す程度の力だ。
 何もかもどうでもよくなった。こうなったらいっそ誰もいない山奥で隠遁者よろしく余生を過ごそうと思っていた。
 
「お前、名前は?」

 がっちり握られた手をほどくことを諦めてソールは尋ねた。
 あまりにも馬鹿らしくて。ならいっそもうひとつくらい、気まぐれを起こしてもいいのではないか。

「レックスです、師匠……!」

 木々の隙間からのぞく星のように、明るく輝く声がすぐに返ってくる。
 それだけ聞くとついて来いとも来るなとも言わずに、ソールは先ほどよりも速度を緩めて歩き出した。


Fin.
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