25pieces
仮装
勢いでここまで来ちゃったけど、やっぱり帰ろう。
大体、部外者が何でもない平日に勝手に中に入れるわけがない。
正門の前でしばらくぐずぐずしていた凛太が踵を返した途端、何かに勢いよくぶつかった。
目の端にやけにあざやかなオレンジ色が映る。
「危な……っ!」
どこかくぐもった声が耳に届いたと同時に、バラバラとカラフルな飴が降って来た。
え、と思う間もなく凛太はその1つに足をすくわれて、盛大に尻もちをついてしまった。
そして5分後。
凛太はY高校の保健室で、カボチャと向かい合って座っていた。
正確には、三角の目と鼻とつりあがった口が特徴的な、カボチャの被り物をした人の前に。
彼は――カボチャ頭に、同じオレンジもといカボチャ色のつなぎ、緑色のマントをつけた男は――この学校の生徒だろうか。
文化祭を間近に控えた校内では、もう放課後だが生徒があちこちに残って作業していた。
カボチャ以外の仮装した人もちらほらいて、フランケンシュタインや吸血鬼もどきな格好の生徒が互いの姿を見て笑いあっている。
おかげで、私服姿の凛太がカボチャに連れられていても目立たずに済んだ。
凛太が怪我をしているのに気付くと、カボチャ男は迷いのない足取りで有無を言わさずここまで連れて来たのだ。
保健室には、彼ら以外誰もいない。養護教諭はどうやら留守らしかった。
(ここが、きーくんのいる学校……)
凛太はドキドキしながら、こっそりとあたりをうかがった。
まさか本当に校舎の中に入ってしまうなんて。
このことを知ったら、紀一(きいち)はなんと言うだろうか。
凛太は2つ年上の幼なじみの顔を思い浮かべて、さらに心臓の鼓動を速めた。
(来るなって言ってたもんな、きーくん)
Y高校は、幼なじみの紀一が2年生に在籍する男子高だ。来年、凛太も受験するつもりでいる。
学力的にはちょっと厳しいが、このまま頑張れば大丈夫だと学校の先生も塾の先生も言っているし、親も応援してくれている。
なのに紀一だけは、凛太がこの高校を受けるのに何故か難色を示した。
『なんで嫌なの? 僕がY高受けるの』
『イヤっつーか……。男子高だぞ? やめといた方がいいって。つまんねーぞ。右向いても左向いてもヤローしかいなくて。無理して勉強してY高狙わなくても、リンならホラ、共学のU高の方がいいって、絶対。家からも近いし』
『きーくんだって、女子がいないってわかっててY高受けたんじゃないか』
『わかってて受けても、実際に学校生活送ってて女子が全然いないってのは違うんだよ。これ、先輩からのアドバイスな。男ばっかで勉強しても虚しいぞ。な、悪いこと言わないからY高はやめとけ』
別に女子がいなくても構わないんだけど……と凛太が反論しても、いやお前は教室に女子がいるありがたみをわかっていない! とやけに力説された。
だけどその理屈はおかしい。だって紀一は中学の頃まで、女子は苦手だ、男だけの方が気楽でいいと言っていたのだ。
結構モテていたのに、女子には一様にそっけなくて。
凛太がクラスの女子に頼まれてプレゼントを渡した時も、こんなのもらってくるなよ、と顔を顰めていた。
かといって、高校生になって急に女好きに目覚めたという感じでもない。
凛太がY高を受けると言ったら、不自然に女子押しになったというか。
どちらかと言うと、凛太にY高を受けさせたくないがために手っ取り早く理由にあげてみただけ、って感じがする。
(文化祭にも来るなって……。去年はそんなこと言わなかったのに。どっちみち、行けなかったけどさ)
2日間行われるY高の文化祭は、初日は学生のみだが2日目は保護者や近隣住民も参加することが出来る。
OB会の協力もあって、結構本格的な屋台も出て毎年ちょっとした賑わいなのだと聞く。
去年も行ってみたかったのだが、あいにくと修学旅行の日程と被ってしまって行けなかった。
あの時は紀一は特にこだわりなく『残念だったな』と言ってくれたのに、今年は『来るな』の一点張りだ。
理由を問うても、『去年参加して大したもんじゃないってわかったから。休みの日にわざわざ電車乗りついでまで見に来るようなもんじゃない』『そんな暇あるなら大人しく勉強しとけ』と素っ気ない。
凛太だって何も高校の文化祭にそう御大層なものを求めていない。
ただ、志望している高校なのだから文化祭のついでに学校の雰囲気を知りたいだけなのだ。
そう言ったら、そんないつもと違う時に来ても参考になるわけないだろと返された。
そしてまた、Y高じゃなくU高にしておけという話に戻るのだ。
(あそこまで来るなって言われたら、逆に来たくなるよね……)
教師の都合で今日は1時間早く学校が終わった。
まっすぐ家に帰りつき、受験生らしく勉強しようといったんはノートを開いたのだが、気がついたら財布を持って家を出ていた。
電車を乗り継いで、道筋だけは地図で確認しておいたY高に向かった。
いつもと違う時だと意味がないのなら、平日に見に行けばいいのだ。
さすがに着いた時にはもう授業は終わってるだろうけど、授業参観の父兄じゃないんだから元々そんなもの見られるはずもない。
男ばっかりの学校の、普段の雰囲気がちょっとわかれば、それでいい。
そう思って勢いでやって来たのだが、私服の中学生が他校、しかも高校の中に勝手に入れるわけがないのだ。
どうしようかと迷って門の近くでうろうろしていたら、下校中のY高生に変な顔で見られてしまった。
これじゃ不審者だと諦めて帰ろうとしたところで、どこから現れたのか謎のカボチャ男にぶつかって飴をばらまき、転んで今に至るのだった。
カボチャ男は手慣れた様子で凛太の派手にすりむいた腕を消毒し、絆創膏を貼ってくれた。
他に怪我をしたところはないか、彼は凛太の手足をカボチャ越しに確認している。
ずいぶん親切なカボチャなんだな……とぼんやりと思った凛太は、自分がまだ何も言ってなかったことに気づいて慌てて頭を下げた。
「ありがとうございます! あの……ごめんなさいっ! 飴、ダメにしちゃって……」
ぶつかった拍子にカボチャ男からこぼれ落ちた飴は、慌てて拾い集めたが半分近くダメにしてしまった。
包み紙は破けていないが、転んだ凛太に巻き込まれて砂埃にまみれたり、砕けてしまっている。
これじゃとても、食べられないし、食べる気にもならないだろう。
カボチャ男は気にするなと言うように首を振った。
「えっと、それ、文化祭に使うものなんですよね? 僕、弁償します。あ、でも今すぐは無理かも……。明日でもいいですか?」
財布には帰りの電車賃くらいしか入っていない。
飴くらいなら、残りの金で買えるかもしれないけど……いくらするのか、先に聞いておいた方がいいだろう。
ポケットに入れた財布を取り出そうとした凛太は、カボチャ男に視線を戻した。
「あの………」
「……………」
そこで凛太は、さっきからこの男が一言も声を出していないことに気付いた。
いや、ぶつかった時に『危ない』と叫ぶくぐもった声は耳にした。
カボチャに反響してちょっと聞きとりにくい声だったけど。
「飴のお金なんですけど……」
「……………」
やっぱり、目の前のカボチャから返事はなかった。
カボチャの仮装をしている時は、基本的にしゃべってはいけないとでもいうルールでもあるのだろうか。
凛太が困ってカボチャ男を見つめていると、カボチャ男は顔の前で立てた手のひらを横に振った。
これも、気にしなくていい、という意味だろうか?
「でも、よく見ないで急に方向転換した僕が悪いんだし。何もなしってわけには……、」
転んだ手当までしてもらったのに、と続けようとしたところで、保健室のドアが開いて声が降ってきた。
「あ! いたいた! 俺のカボチャ強奪すんなよ!?」
「………っ!」
カボチャが息をのんだ気配がしたが、新しく入ってきた人物は気にせずまくしたてた。
「しかも、つなぎとマントのカボチャ仮装セットひとそろい持ってきやがって。お前の仮装それじゃねーだろ。……って、んんっ? そこにいるのは……!?」
カボチャの陰に隠れて見えなかった凛太に、やっと気づいたらしい。
Y高の制服を着た生徒が、こっちを見て目を丸くしている。
どう見ても部外者な凛太が保健室にいて、驚いているのだろう。
凛太が自分から進んで入ったわけではないけど、親切でここまで連れてきてくれたカボチャ男に迷惑をかけたくない。
何か言わなくてはと口を開きかけた凛太よりも早く、保健室にやってきたY高生はさっきよりも大きな声で叫んだ。
「リンちゃん? もしかしてキミ、凛太君だよね!? うっそ、何こんなとこ連れ込んでんだよお前! やっらしー!」
「バカ! これはそう言うんじゃねえ! 何考えてんだ梶本っ!!」
凛太が話しかけても何故か答えなかったカボチャがY高の制服に向かって叫ぶ。
何で初めて会ったY高生が自分の名前を知ってるんだろうと言うのも気になったが、それよりも。
さっき一言だけ声を聞いた時は、転びかけて焦っていたから気づかなかったけど、今のはさすがに気づいた。
カボチャの中で声がこもっていつもと少し違うけど。
「きー……、紀一先輩……?」
呼びかけるとカボチャ男はぴたりと動きを止めた。
学校の中では絶対きーくんなんて気の抜ける呼び方するなよ、と中学に上がった時に厳命されている。
闖入者に向けて降り上げていた腕を下ろし、こっちを向く。
「なんだ。お前カボチャのままリンちゃん連れて来たのか? 危ねーなあリンちゃん。こんな不審なカボチャ男に簡単についてくるなんて」
「梶本お前黙れ。気安くこいつをリンちゃん呼ばわりするな」
ニヤニヤ笑いながら言う生徒に、カボチャ頭で頭突きしてから男はようやくそれを脱ぐ。現れた顔は、予想通りのものだった。
「……おいこら。勝手にこんなとこまで来たくせに、何笑ってんだよリン」
「や、だって……!」
見つかったらどうしようと思ってたのに、すでに最初から見つかってて、しかもカボチャ。
笑うなと言う方が無理な話だ。緊張の糸が切れたこともあって、凛太は横っ腹が痛くなるまで笑いが止まらなかった。
紀一は呆れた目で凛太を見ると、笑い転げる凛太をよそに梶本に簡単に経緯を説明していた。
「ふーん。正門に不審人物がいるなと思って見たらリンちゃんで。慌てて駆けつけたってわけ。俺のカボチャ衣装強奪して」
「仕方ねえだろ。制服が見つからなかったから、一番近くにあったのを借りただけだ。それより梶本、お前何早々と飴を仕込んでんだよ。当日に入れろよああいうのは。ぶちまけちまったじゃねえか」
「いやー、どんだけこのつなぎのポケットに入るか試してみたくなってさあ。つか、別にわざわざ着替えなくても。結構似合ってたじゃん、アレ」
「似合ってない。あんな格好で校舎の外を歩けるか!」
ようやく笑いが収まった凛太が、あの格好って? と尋ねると、紀一はまたぴたりと口を閉ざした。
代わりに梶本が笑いながら答えてくれた。
「シンデレラの継母。ゴージャスなドレスが似合うの似合わないのって。リンちゃんも見たいよね?」
「それは……」
長身の紀一がシンデレラの継母ドレス。彼はゴツくもないが決して華奢でもないし、もちろん女顔というわけでもない。それなりに整った顔をしているが、黙っているとたまに『怒ってるの?』と言われるような顔だ。そんな紀一が継母ドレス。
怖い物みたさでちょっと見てみたい気がしなくもない。いや、案外似合うかもしれない……?
「おい、それ以上考えたら絞めるぞ、リン」
頭の中で継母ドレス姿を想像しようとしたところで紀一からストップがかかった。目が本気だ。
凛太は紀一の抱えたカボチャの被り物に視線を反らして、浮かびかけた想像図を散らした。
「着替えてくるから、ここで待ってろ。一緒に帰る」
「え……。いいの?」
「いいも悪いもしょうがねーだろうが。おい梶本、お前もいつまで笑ってるんだ。カボチャ衣装一式は教室で返すから、行くぞ」
凛太に向かってそう言った後、紀一は梶本にカボチャを突っ返した。
カボチャを両腕に抱えた梶本は、不満げな声を漏らす。
「えー。俺もうちょっとリンちゃんと喋りてー」
「却下だ。お前は俺の分まで働いて行け」
「横暴っ! 衣装着てなくても十分ママハハだな!」
紀一は梶本の襟をつかんで引きずるように保健室から出て行った。
凛太はひとりその場に取り残されたが、所在ない思いを味わう間もなくすぐに紀一が戻ってきた。
出て行った時と違い、見慣れたY高の制服に着替えている。帰るぞと不機嫌そうに声をかけられた。
凛太はうんとうなずくと、紀一の隣に並んで、思いがけず入ってしまったY高校を後にした―――。
「……ったく、来んなって言ったのに」
「ごめん」
電車を降りて家まで向かう途中で、ずっと黙っていた紀一がぼそりと呟いた。
混んでいた電車では話しなんて出来なかったから、その分溜めこんでいたため息も一緒に吐き出される。
迷惑をかけた自覚のある凛太も素直に謝った。
「きーくんが、なんであんなに文化祭に来るなって言ったのかは、何となくわかったけど……」
不本意な格好を幼なじみの凛太に見られたくなかったのだろう。
紀一は普段、凛太の兄のようにふるまっているから、面子と言うものもあるだろうし。
それは逆の立場になってみれば容易に想像できる。だけどそれは『文化祭』という限られた時だけの話で。
凛太がY高を受けることそのものを反対する理由にはならない。
「あの、梶本さん? だっけ。あの人、なんで僕の名前知ってたの」
「…………んだよ」
「きーくん? 声、ちっちゃすぎて聞こえなかった」
「待ち受け、見られたんだよ。携帯の。そんで、誰々ってあんましつこいから、名前教えて……あー、失敗した。あいつにだけは言うんじゃなかった。梶本、口軽過ぎ……」
忌々しそうに紀一は舌打ちした。
しかもあいつ、本命いるなら安心して使えるわーとか人のこと合コンの数合わせ要員にしやがるし……と、何やらさらに梶本への愚痴をこぼしていたが、それはもう凛太の耳には届いていなかった。
待ち受け?
紀一の待ち受けを見られたら、どうして凛太の名前を教えることになるのだろう。
「きーくんの待ち受けって……」
尋ねると、紀一は黙って自分の携帯を差し出してきた。
携帯を開いて、確認する。そこに写っていたのは………。
「ちょっ、きーくん、これっ! いつ撮ったの!?」
「人の前で油断してるリンが悪い」
「あっ!」
答えずに紀一はさっと携帯を取り上げた。
そこに写っていたのは、眠っている凛太の顔だった。しかも世界一有名なネズミの耳をつけている。
従姉がお土産に置いて行ったものの使い道がなくてどこかに仕舞いこんでいたヤツだ。
「ちなみに、寝起きバージョンもある。梶本に見られたのはそっちの方」
「なんでそんなの撮ってるんだよ!? 削除してよ!」
「断る。俺の大事なコレクションだから。これ消しても、バックアップは別にとってるし」
「コレクションって……。何枚撮ってんの!?」
「枚数は覚えてないな。バイト数なら大体把握してるけど。心配しなくても、見られてマジでヤバイのは梶本にも、他の誰にも見せてないし」
いやそういう問題じゃないから! と言う叫びは人の悪い笑みを浮かべた紀一にあっさりとかわされた。
いったいどんな写真を、Y高の人に見られたんだろう。
紀一の口ぶりでは、どうも梶本以外にも写真を見たY高生がいるようだ。
カボチャを被って慌ててやってきたのはそれを誤魔化すためで、Y高に来るなと言ったのも、同じ理由……?
「リンの画像コレクションは俺の癒しだから。削除して欲しかったら俺を倒す気で来い。そしたら考えてやらなくもない」
「無茶言うなよ。きーくん、合気道の段持ちじゃん……」
(しかも考えてやらなくもないって。それ、消すって言ってないよね)
この分だと、紀一と同じY高に行ったら、間違いなく紀一の友人達に写真をネタにからかわれそうだ。
それはご免だけど、Y高に行きたいと言う凛太の気持ちまでは変わらない。
「……でもやっぱり僕、一年間だけでもきーくんと同じ学校にまた行きたい。学年違ってもさ。同じ場所にいるんだーって思うだけで嬉しいから。それに僕だったら、写真よりも、きーくん本人を近くで見たいし」
「リン……。お前そう言うことを、さらっとだな………」
途中で言葉を切って、紀一は何故か疲れたようなため息をつくと、足早に歩を進めた。
コンパスの違いであっという間に差が開き、凛太は待ってよと慌てて紀一の背中を追いかけた。
幼なじみの耳が少し赤くなっていたことに、その背中に追いついても凛太は気付かなかった。
Fin.
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