25pieces

  キスとハグ  

 ちかし、と名前を呼びかけようとして直前で言葉を飲み込んだ。
 そこにいたのは従兄だけじゃなかったからだ。
 陰になって見えなかったけど、前に小柄な女の子がいる。
 その子に覆いかぶさるように、誓史は背をかがめて――――。


 ひとつ年上の従兄・誓史は、近所に住んでいることもあって高校生になった今でもよく家に遊びに来る。
 叔母さんが夜勤の時なんかは、そのまま飯を食っていったり泊っていくことも多い。
 お互いひとりっ子なこともあって、従兄っていうよりも本当の兄弟みたいな感じ。
 母さんなんか実の息子のオレよりも誓史の方を可愛がってるくらいだ。
 誓史はオレと違って要領もよければ愛想もいいから大人受けいいんだよな。

「……でさ、笑えるのなんのって。な、お前もそう思うだろ?」
「あー、うん……」

 今日も今日とて、自分ちのようにくつろいだ顔で従兄はソファの上であぐらをかいていた。
 3人掛けのソファの右が誓史の定位置で、クッションを挟んで左がオレの定位置だ。
 いつもはそこにキッチンから母さんの賑やかな声がプラスされてるんだけど、今日は出かけていていない。ちょっと遠くに住んでる知人の見舞いとかで、帰りも遅くなるらしい。鍋いっぱいにカレーを作っていったので、まだ食ってないのに部屋はすでにカレーのスパイシーな匂いがする。

「聞いてんのか、淳博……。あつひろーっ!」

 雑誌をめくりながら相槌を打ってたら、誓史にタックルをかまされて叫ぶ間もなくソファから滑り落ちた。
 完全に不意打ち。おまけに勢いがつきすぎたのか一緒に誓史も落ちてきて、オレの上に馬乗りになる。 
 下が毛足の長いカーペットだからあんま痛くはなかったけど、男ひとり上に乗っけてるのはさすがに重い。体格ほとんど変わらないし。どけようと腕をつっぱねたら、何故か逆にぎゅっとしがみつかれた。

「ええと、誓史……?」

 身動きが取れなくて、オレは寝技を決められたまま従兄の名前を戸惑うように呼んだ。
 話をちゃんと聞いてなかったのがそんなに気に食わなかったのか?
 でも別にいつもはこのくらいで怒ったりしないよなあ……。

「お前さあ、俺になんか言いたいことあるだろ」

 のしかかられたまま、誓史に至近距離からすごまれてオレは慌てて目を逸らした。ヤバイ。
 いつもは全然意識してない唇に目がいってしまう。口の動きっていうか、口からのぞく舌とかも……。
 同時に、昼休みの光景を思い出す。校舎の外、渡り廊下から見える中庭で誓史が女の子とキスしていたことを。
 すごくびっくりして、あの後オレは声をかけるどころか、逃げるみたいに走ってその場を離れた。

「ないよ、全然」

 即座に否定したら、問答無用でさらにぎゅうぎゅうと絞められた。マジで音がしそうなくらい。
 落ちる、これ落ちるって!

「ちょ、誓史……! やめっ、苦しいって!!」
「だったら正直にキリキリ吐けっ! お前がぜんっぜんためらわずに答える時って、間違いなくなんか隠してるときなんだよ」

 こういう時は幼い頃から気心が知れてて、仲が良すぎるのも考えものだよなって思う。
 隠しごとって言えないような小さなことまで見抜かれるんだから。
 けど、オレは誓史の秘密を誓史が言いだす前に気付いたことなんか、今まで一回だってないんだ。なんか理不尽な気がする。

「返事がテキトーでも、いつもならお前ちゃんと俺の話聞いてるだろ。それに、さっきから全然目ぇ合わせないし」
「そ……う、だっけ?」

 そんなことない、と断言しそうになったのをもごもごと言いなおした。
 近すぎる位置にいる従兄から、視線も微妙に逸らす。ってこれじゃ、誓史の言うこと全面的に認めてるようなもんじゃないか。
 オレって単純過ぎ?

「そうだよ。返事する時は絶対俺の方見るし。不自然すぎんだよ。5回話しかけて5回ともこっち見ねえとか。ケンカしてるときだって俺のこと見てしゃべるだろ、淳博。目ぇ合わさなかったのは、俺のロボットの腕、壊してこっそり隠してた時くらいだろ」
「よく覚えてるな、誓史」

 幼稚園、いやもう小学校にあがってた時だっけ? あの時もすぐに誓史にバレたんだよな……。
 誓史のお気に入りだったおもちゃのロボット。誓史が家に持ってきて忘れていったそれで遊んでたら、テーブルの足に強打して腕が取れちゃったんだよな。
 それでどうしようってテレビの裏に隠したんだ。今思えばホント浅はかだよなって思うけど、あの時は必死だったんだ。
 誓史に怒られる、嫌われるって思って。怖くて、誓史の顔なんて見られなかった。
 それでも誓史は、あっさりと見抜いたんだよな。隠し場所まで言い当てられたし。
 オレが半べそで謝ったら、誓史はオレをぎゅって抱きしめて、いいよって許してくれて、そして―――。

「覚えてるさ、当然。淳博。あの時、俺言ったよなあ……? 淳博が俺のもの、壊したり無くしたりするのは別にいいんだって。そんなことより、淳博が俺に隠しごとする方が、ずっと嫌なんだって……」

 普段は陽気で明るい淳博の声は聞いたことないくらいに低く、淡々としていた。
 もう絞められてはいなかったけど、両方の手首を上からきつく握りしめられている。
 力は五分五分だし、全力で抵抗すればこの拘束も解けなくはないんだろうけど……。
 こっちが逸らしても、横顔に突き刺さってくる誓史の視線を感じている内になんだかオレもムカムカしてきた。
 もちろん部屋に立ちこめるカレーの匂いに、じゃなくて。

「……だったら、聞くけど。誓史も、オレに隠してることあるんじゃないの」

 いくら仲いい従兄だからって、なんでもかんでも話す必要ないし、オレだって逐一報告受けたいとかしたいとか思ってないけど。
 こんなにしょっちゅう家に来て、クラスメイトのナントカ君が先生とやりあったこととか年数回しか活動してないゆるいロボ同好会での失敗談とか、そういう話を面白おかしく喋ってくんなら、もっと他に話しとくことがあると思うんだよ。
 むしろ誓史ならそういうことは真っ先に話しそうなものなのに。
 今日はいないけど、母さんにからかわれるのが嫌で言わないとかそういうキャラじゃないのは、よーくわかってる。
 じゃなきゃ、あの母さんと意気投合なんて出来るわけない。
 なのに誓史は、視線を合わせて問い質したオレをきょとんと見下ろしていた。

「……は? 俺が淳博に隠しごと? 何それ」
「何それって………」

 本気で、心当たりありませんって顔されて、オレは眉をひそめた。
 しらばっくれてるのか、それともわざわざオレに言うようなことじゃないって思ってるのか。
 仕方なく自分の方から言った。

「彼女いるのに、オレん家になんか入り浸っていいのかよ」  
「……彼女? 誰の」
「何とぼけてるんだよ。誓史のだよ。いるんだろ、彼女」
「いないって、そんなもん。どこ情報だよ、それ」

 ここまで言って、まだそんな風に誤魔化すつもりなのか。オレは怒るよりも何だか悲しくなってきた。
 別にオレは誓史に彼女が出来たからって、茶化したりなんかしない。
 それで今までみたいに誓史が家に来なくなったら、少し―――いや、だいぶ、寂しいなって思うけど……そういうのって、どうしようもないだろ。そのくらい、オレだってちゃんとわかってる。

「見たんだよ、その……昼休みに。誓史が学校で………キス、してるの。女の子と」

 口に出して、胸が変な感じに軋んだ。
 あの時は驚きの方が先に来てそんなこと考える余裕もなかったけど、オレは誓史が女の子とキスしていたのがショックだったんだろうか。
 仲のいい従兄が、急に遠くに行ってしまったようで……?

「キス? 俺が学校で女子と? 心当たりがまるでねえんだけど………、ちょっと待て。今昼休みっつったな。もしかして中庭の……?」

 なんだ。やっぱ心当たりあるんじゃないか。オレは誓史を睨んだ。
 だが誓史はまったくひるまずに、あっさりと答えた。

「あれは目にまつげが入ったから取ってもらったんだよ。逆まつげ。たまにやるけど痛いんだよなアレ。っつか、誓史にも取ってもらったことあるよな?」
「あ……っ」

 言われてみれば確かにそうだった。昔に比べれば頻度は減っているが、誓史は逆まつ毛が目に入りやすい。
 大人になると自然に治るケースもあるって聞くし、最近は逆まつげになったなんて言わなくなってたからそんなこと忘れかけていた。

「ビューラーっての? アレ持ってるからって、抜いてもらったんだよ。何で保健委員の集まりの帰りにそんなん持ち歩いてんだって思ったけど。女子って謎すぎんよな。まあおかげで助かった………って、淳博? お前、なんで泣いてんの」
「え……」

 言われて初めて、オレは自分が涙を流していたことに気づいて驚いた。
 なんで? そんなの、オレの方が聞きたい。どうして泣いてんだよ、オレ……。

「淳博……。お前……っ!!」

 誓史はさっきまでの不機嫌さを一変して何故か感極まったように叫ぶと、オレの背中に腕をまわしてごろんと体勢を横向きに変えた。
 カーペットのふかふかした肌触りを感じたと思ったら、誓史に両手で頬を挟まれてのぞきこまれていた。
 これじゃ視線を逸らすこともできない。

「そんなに嫌だったんだ。俺に彼女が出来んの。女とキスしてるって思ったら、泣いちゃうくらいに?」

 からかうような口調だったけど、誓史の顔つきは穏やかで、優しかった。
 いっそ笑い飛ばしてくれた方がまだこっちも気が楽だったのに……。
 オレは居たたまれない思いになって、自然と小さな声で言った。

「ごめん………」
「ばーか。なんでそこで謝んだよ、淳博」

 だってこんなの、あまりにもガキっぽいだろ。従兄を取られちゃうみたいで嫌だなんて……。
 そんな理由、当然言えるわけもなくて黙り込んでいると、誓史はくすりと笑って、オレの頬に添えていた手を引き寄せた。
 ただでさえ近かった顔が、隙間もないくらいに近づいて―――。

「………今の。何、誓史」
「何って、言わなきゃわかんないのか」
「わ、わかるけど……」

 わかるけど、わからない。
 なんで誓史が、オレにキス、するんだ……?
 混乱するオレに、誓史はまた顔を近づけてきた。反射的に目を閉じると、さっきよりも深く唇が重なった。
 閉じていたオレの口をこじあけるように誓史の舌が入って来て、歯の裏をくすぐるように撫でる。
 それだけで腰のあたりがずくりときて、息苦しくなった。

「ちか……し、やめ……っ!」

 腕を突っ張って誓史を引きはがそうとしたけど、やっぱり誓史は離れなかった。
 左手をオレの頬に添えて、右手でオレの腰を抱き寄せて、ぴったりくっついてくる。
 力を込めれば押しのけられないことはわかってるのに、なんでかそれも出来なくて。
 相変わらずくっついたまま、少しだけ離れた従兄の顔を、オレは困り果てて見つめた。
 もう何を聞けばいいのかもよくわからなくなってきた。

「なんでそんな顔してんだよ。わかるだろ。俺は欧米人でも帰国子女でもないんだ」

 誓史はさらにわけのわからないことを、おかしそうに言った。
 親指でまだ乾ききっていなかった、目の下の涙のあとをそっとぬぐって。

「キスも、ハグも、好きなヤツにしかしねーよ」

 頬に音を立ててキスをして、誓史はオレをぎゅうっと抱きしめた。
 なんかぬいぐるみにでもなったような気分。
 っていうか、さっきまでのはハグっていうより固め技じゃなかったか?
 まだちょっと混乱してたけど、今日の昼休みに誓史を見かけて声をかけそびれた、あの時からずっと、胸にわだかまっていた思いが綺麗になくなっていたのには流石にもう気づいていた。
 じわじわと胸が熱くなってくる。今まで意識したことのなかった熱。
 タイミングを計ったように、お前は、と誓史が耳もとでささやく。
 返事する代わりに、今度は自分から誓史に抱きついて、キスをした。
 とりあえず、カレー食う前でよかったと思いながら。


Fin.
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