25pieces

  オルゴール  

 一度頭の中で鳴りだすと、中々止まらない曲がある。曲名はわからない。
 いつ、どこで聞いたのか覚えていないのに、たまに思い出したように脳内でリピートする。
 軽快で、懐かしいメロディ。


「それで……僕の話を全然聞いてなかったのは、そのせいなんだ?」

 さして大きくもない身体を精一杯小さくして、江森は目の前の男に、「本当にごめん!」と頭を下げた。
 連絡もなく2時間も待たされた挙句、心配してアパートまで駆け付けたら、「あれ? 今日来るって言ってたっけ」なんて能天気に言われたら、普段は温厚な恋人だって怒ろうと言うものだ。
 息せき切って訪ねてきた飯塚が「携帯も繋がらないし、急に熱でも出して倒れてるんじゃないか、まさか事故にでもあったんじゃないかって……!」と悲痛な顔をされて、ようやく何度も着信があったことに気付いたのも気まずい。携帯の充電が切れていたのだ。
 しかも話を詳しく聞いてみれば、待ち合わせの約束自体を江森は覚えていなかった。
 頭の中に鳴り響いていた曲に気を取られて、飯塚の話をちゃんと聞いていなかったのだ。
「確かにあの時、君は少し上の空だった気もしたけど。あんなにはっきり返事したのに聞いてなかったなんて……」飯塚はがっくりと肩を落としてめ息をついた。
 全面的に自分が悪いので、江森はひたすら謝るばかりだ。
 そんな悄然とした江森の様子を見て、飯塚は矛先を収め、しょうがないなと肩をすくめた。
  
「……それで、どんな曲なの? その怪音波は」

 飯塚は表情を緩めて、その脳内リピートソングとやらを尋ねた。

「そんな禍々しいものじゃないって。聞いたことないのに聞いたことあるような曲で……。えーっと、らーらららーららー……って感じ?」

 ほっとして、江森は頭の中だけにあるメロディを追いかけて、最初の方だけ口ずさんだ。
 下手ではないが、上手くもない微妙な音程を真剣な顔で披露する。
 これでわかるとは思えないが、もしかして、ということもある。
 だまって耳を傾けていた彼は、江森にさらに尋ねた。
 
「らーじゃなくて、歌詞は? ついてないの」
「歌詞は……ない、と思う。あるのかもしれないけど、オレの頭ん中ではついてない。どっちかって言うと、オルゴール曲っぽい感じで……」

 脳内で繰り返されるその曲を、今度は鼻歌で終わりまで歌ってみた。
 何故か鼻歌の方が、さっきよりもきちんと音程が取れている。

「……知ってるよ、その曲。懐かしいな」

 ふわりと笑った彼に、江森は驚いた。
 まさか本当に知っているとは思わなかったのだ。
 自分でも少しは調べたのだが、昔流行ったアイドルの曲でもないし、オルゴールに使われそうなクラシック曲でもなかった。
 そもそも流行の曲にしては素朴すぎる。わざわざオルゴール風のメロディで覚えているのを自分でも不思議に思うくらいで。

「え、嘘!? 知ってんのこれ!? なんかこの曲すっごい頭の中ぐるぐるする時あるんだけど、曲名もだけど、どこで聞いたのかも全然覚えてなくて。ずっと気になってて……!」

 これでようやくスッキリできる。
 江森はそのせいで彼に待ちぼうけを食わせたことも一瞬忘れて、意気込んで尋ねた。
 飯塚はちょっと笑って、「たぶんこれじゃないかな」と前置きしてから歌った。
 江森とは比べ物にならないくらい、上手い。
 いやそれ以前に、江森の微妙なスキャットとは違ってちゃんと歌詞が付いている。
 歌詞には覚えがなかったけど、メロディは間違いなく同じだ。
 最後に2回繰り返されるメロディが特徴的で、それがぴったり頭の中の曲と一致する。
 特に好きな部分だから、間違いない。
 
「それだ……。でも、それって」
「うん。校歌だよ。僕の通ってた小学校の」

 最近はJポップみたいな校歌もあるらしいけど、飯塚の通っていた小学校のものはいかにもといった昔ながらの校歌だった。
 2回繰り返される箇所は、小学校のフルネーム。言葉数の分だけ他より特徴的になったのだろう。
 聞いたことがないのに聞いたことがあるような曲だと思ったのも、流行歌っぽくないと思ったのも道理だ。
 こんな感じの曲は、よく夏の甲子園何かで似たようなものを耳にしたことがある。
 どうして思いつかなかったのだろう。
 いや、それよりも……。

「なんで、そんなの俺が知ってるんだ?」

 曲名がわかってスッキリしたどころか、新しい謎が増えてしまった。
 同い年の彼とは大学生になってから付き合うようになったのだが、2人が同じ小学校に通っていたという事実はない。
 初めて会ったのも大学でだし、そもそも互いの地元だって違う。
 江森は実は頑張れば通えなくもない距離に実家があるが、飯塚の方は始発の電車に乗っても午後からの講義にしか間に合わないような場所が地元だ。
 校区がまったく重ならない。たまたま聞いた、なんてことはありえないだろう。

「さあ、なんでだろうね?」

 首をひねる江森に、飯塚は涼しい顔……と言うよりも、少し人の悪い顔で答えた。
 さっきのことをまだ怒っているのかもしれない。
 次からは絶対携帯の充電を忘れないようにしようと江森は心に誓う。
 いやそれよりも、飯塚の話をちゃんと聞くのが先決か。
 でもあの曲――小学校の校歌だと言うそれ――は、他の時よりも、飯塚を前にした時の方が頭の中で再生されやすいのだ。
 彼といるとふっと流れてきて、思わずそのメロディを追いかけてしまう……まるでナントカの犬みたいに。
 こういうのは確か、条件反射と言うんじゃなかったか。
 ああ、思い出した。パブロフの犬だ――と、そこまで考えてから、江森は口を開いた。

「………もしかして、俺、前にも……、大学で会う前にも、お前に会ったことある……?」

 半信半疑で尋ねが、それ以外に思いつかない。
 オルゴールの校歌と彼がどうして繋がるのかは、さっぱり思い出せないが。
 飯塚はそれ以上焦らす気はなかったのか、あっさりと答えた。
 ただし、やや不満そうな口ぶりで。

「あったよ。僕のことじゃなくて、オルゴールの校歌の方を覚えてるってのが癪だけど」
「ええっと……」

 そこまで言われてもまだ思い出せない江森に、苦笑しながら飯塚が語った話はこうだった。


 小学校を卒業した年の春休みに、駅からちょっと離れたF会館で……の展示を兼ねた講演会があっただろう。
 そう、今僕たちの通ってる大学が主催していた。A教授の。あの時はまだ準教授だっけ?
 僕らくらいの年で見に来てる子なんてほとんどいなかったからか、君の方から話しかけてきたんだよ。
 展示品を一緒に見て回って……その後ロビーのベンチで自販機で買ったジュースを飲んだのは、覚えてる?
 あの時、僕のリュックサックからオルゴールが鳴ったんだ。
 卒業記念で作った、校歌のメロディが流れるオルゴール。
 もちろん、作ったのは外側の箱だけで、オルゴールの機械部分は業者が作ったものだけど。
 祖母に見せるためにリュックに入れてたんだ。
 上手く出来てるのよなんて母親が電話で言うもんだから、持って行く羽目になって。
 春休みに僕が祖母の家に行くのは恒例なんだ。今年も行ったよ? 恒例だからね。講演会には途中下車して寄ったんだ。
 ……で、急に鳴りだしたリュックに、君が携帯鳴ってるよって言って。
 違うんだ、これオルゴールなんだよって、取り出して君に見せたんだ。
 自分でも少しは上手く出来たって思ってたんだろうな。
 まあ、オルゴールの出来については特に君からの反応はもらえなかったけど。
 それより、なんでか曲の方が気に入ったみたいで。特に最後のサビの部分。校名を繰り返すところ。
 何度もねじを回して聞いてたら、受付の人にお静かに、って怒られて。
 それでF会館を出たんだ。僕も電車の時間が近づいてたし。
 連絡先聞いとけばよかったって思ったのは、電車に乗ってからで。
 でもここの大学にさえ受かればいいんだって、わかってたからね。
 それまで楽しみに待つのもいいかなって、思ったんだ。


「そうだ……。次は、この大学でだなって。俺が言ったんだ。一緒にあの先生の講義受けようなって……」
「やっと思い出してくれて嬉しいよ」

 飯塚はにっこり笑った。笑ってるのにどことなく怖い。
 やっぱりまだ、怒っているのかもしれない。この場合、さらに怒らせたと言った方が正しいのだろうか。
 江森は慌てて、「いや違う、忘れてたわけじゃないんだ!」と力説した。

「F会館行ったのは覚えてるって流石に! お前に会ったのだって。ただそれが今の飯塚と結び付かなかったってだけで……」

 今の大学を受験すると決めた時、あの時の彼も同じ大学を受けることにしたんだろうか、と思ったりもしたのだ。
 名前も聞いた気がするが、なにせ会ったのはあの時一度きり。すでに覚えていなかった。
 もっと話したかったのに、あの少年も江森も時間がなくて。
 おまけに受付の怖いお姉さんに怒られて、慌てて会館を出て行った。
 そっちの記憶はあるのに、そもそもの原因になったオルゴールのくだりは、何故か話を聞くまできれいに忘れていた。
 そのくせ、メロディだけ中途半端に覚えてて、時折、頭の中で奏でていたなんて自分でもどうなんだとは思う。

「A教授の初回の講義が終わった後、話しかけて来たのは君の方からだったよね? 江森広樹くん。だからてっきり僕は、あの時のことを君が覚えてて、それで声をかけてくれたんだって、今の今まで思ってたよ」

 あえてフルネームで呼んだのは、名前だってちゃんと覚えていたと言いたいのだろう。
 江森はしどろもどろになった。

「えー、あー、それは……」

 ここは間違っても、「うわっ、すごい好み……。付き合えなくてもせめてお友達になりたい!」と思って声をかけました、とは言ってはいけないだろう。
 大体、7年前と今の飯塚を同一人物と見抜けと言う方が無理な話なのだ。
 あの時の飯塚は江森よりも小さくて、ぱっと見は女の子のようにも見えた。
 近づくと自分と同じ年頃の少年だとわかって、安心して声をかけたのだ。それはよく覚えている。
 なのに今は、身長も追い越され、江森好みの地味だがよく見れば整った顔立ちの、眼鏡の似合う青年になっているのだ。
 それで気づけと言う方が……。

「鳴ったんだよ、オルゴールが、頭ん中で」

 思い出した。特徴的なフレーズが2回、繰り返し頭の中で響いたのだ。
 ああまたこの曲だと江森が思って、何気なく視線をやったその先に、飯塚がいた。
 付き合うまでのあれこれの方が印象に残って、声をかけた本当のきっかけを忘れかけていた。
 まだ1年も経っていないというのに。
 どんだけ忘れっぽいんだよ俺、と江森は密かに落ち込んだ。
 そんな江森に、飯塚はどこか愉快そうに言った。

「そっか。ファンファーレみたいだったんだ」

 そこまで大げさなものではなかったけれど、江森は否定せずにうなずく。
 成長して面影が変わってもあの時の少年をちゃんと見つけられるように、7年も前に聞いたきりの曲を時々脳内でリピートさせていたのかもしれない。
 あの曲が彼の存在を教えてくれたのは、間違いないのだから。
 どんな乙女思考だよと、自分で突っ込みをいれなくもないが……。

「だったら、あのオルゴール。やっぱり上手く出来てたんだね」

 機嫌を直して嬉しそうに笑う飯塚と、あの時の少年はやっぱり重ならない。
 その代わり懐かしいメロディが、優しく鳴り響いた。


Fin.
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