25pieces
紅葉
「虚しい行為だよな」
物憂げな面持ちで手を止めて、彼は深々とため息をついた。
だからって、しなくていいと言うわけにはいかない。これは罰なのだから。
それに第一、口にするほど彼はまだ全然やっていない。
「休んでないで、手を動かせ。そしたら、いずれ終わる」
「いや、終わんないって。やってる傍から降ってくるし」
早々とやる気エンプティーになってる不届き者の背中を、熊手の柄の部分で軽くつついて活を入れようとした。
だが、さっと素早く避けられてしまう。
普段だらだらしてるくせに、こう言う時ばっかり気配を察するのが早いのが腹立たしい。
「あっぶないなあ。委員長、オレのこと殺す気?」
竹ぼうきを持って振り返った彼は言葉とは裏腹に楽しそうで、余裕さえ感じる。それがまた癪で。
僕は彼の方に伸ばしたままだった熊手の柄をひっこめ、熊手と彼を交互に見つめた。
「そのつもりならもっと思い切りよくいってる。場所も背中じゃなくて、ちゃんと急所を狙う」
ある一点を注視しながら言ったら、さすがに彼も顔色を変えた。
「そういうこと真顔で言うなよ。冗談に聞こえなくて怖いって」
「僕は冗談を言ったつもりはない」
と言うのはそれこそもちろん冗談だが。
僕はさっきのでずれた眼鏡の位置を治して、熊手で落ち葉をかき集める作業を再開した。
あたり一面、敷き詰めたように赤い落ち葉が散らばっている。
赤といっても、鮮やかに赤いものは少ない。夕焼け色って感じだろうか。
黄色いのも、すっかり乾いて茶色くなったのもある。
これはこれで結構きれいだと思うが、春の時期ほど注目されない……と言うか、意識したことなかったな。
「委員長って、ときどきすっげーSだよね……」
何故かしみじみとした口調で彼は呟く。自分で話をふっておいて、何言ってるんだか。
しかも相変わらず手は止まったままだ。
これが文化祭の後片づけをクラスで一人だけサボった罰だって、わかってるんだろうか――。
先週行われた文化祭は、テーマが仮装だっただけに準備もだが後片づけも結構な手間だった。
文化祭実行委員はもちろんいたのだが、それだけではとてもじゃないが手が足りない。
それでクラス委員をしている僕もいつも以上に忙しく、あちこち駆け回っていた。
教室もそれっぽく改造……もとい改装したのを戻さなくてはならないし、借りてきた物は返さなければならないし、壊れた物は……まあここでは関係ないのでそこは省略する。
だから彼がいなくなっていたのも、しばらく経ってから気づいた。
担当場所にいないなと思って他のクラスメイトに聞いたら「帰ったよあいつ。しょうがねえよなあ」なんて言われる始末。
「何故そこで止めない……!」と口にする時間を惜しんで追いかけたのだが、すでに下駄箱にはかかとが踏みつぶされて薄汚れた上履きが突っ込まれていた後だった。
これで一人だけ何もなしと言うのはクラスの皆が気にしなくても(ふしぎと、彼のそういった所はクラスで許容されていた)、僕が気にする。クラス委員として。
内心密かに歯ぎしりしていた僕に、別のクラスメイトが「だったら落ち葉掃除でもさせれば?」とアドバイスしてくれたのだ。
――そういったわけで放課後になった今、風流とは程遠い僕らは、はらはらと落ち葉舞うこの場所にいるのだった。
彼だけじゃなく僕もいるのは、サボらせないためだ。また逃げられたら意味ないからな。
ちなみに落ち葉と言っても、イチョウではない。
校庭には春になると淡いピンクの花びらで新入生を迎えてくれる、桜並木があるのだ。
花が散って若葉の時期も過ぎ、すっかり肌寒くなってきた今、桜は紅葉の季節を迎えて赤く色づいた葉をたくさん落としていた。
風が吹く度にはらはらと落ちてきて、枝にはもう半分くらいしか残っていない。
こんなに散っているのに、まだ半分も残っているとも言えるが。
僕も知らなかったのだが、この落ち葉は運動部の連中がたまに自主的に掃除しているらしい。(グラウンドの方まで落ち葉が飛んでくるのだそうだ)
だが特に誰がするものとは決まっていないらしく、今年はまだどこもやっていなかった。
サボりのペナルティとしてやらせるのにちょうどいいと思ったのだが……。
気づけば、僕の方が積極的にやっているっていうのはどうなんだろう。
あくまで僕は監視役のつもりだったんだけど、見ているだけっていうのも手持無沙汰なんだよな。つい自分の分の道具も持ってきてしまったからってのもあるけど。仕方ないので僕は目標を定めた。
「ノルマ3袋終わらせないと、絶対帰さないからな。ほら、そのゴミ袋広げて」
フォークを先にして熊手をなぎなたみたいに構えてみせたら、彼は「はいはい」と気のない返事をしながらも今度は大人しく従った。
竹ぼうきを脇に抱えて、空いた手で入れやすいように、地区指定の透明なゴミ袋を広げてくれた。
桜の木に熊手を立てかけ、ポケットに突っ込んでいた軍手をはめる。
そしてこんもりと小山になった落ち葉を、どんどん袋に詰めていった。こういう単調作業って、結構楽しい。
その様子をじっと見守りながら、のんびりと彼がたずねた。
「ねえ、これどうすんの? 焼き芋すんの?」
「そんなわけないだろ。一か所に集めて、回収車に持って行ってもらうんだよ。北校舎の裏にいったん持ってくだろ。教室掃除とかで出たゴミ」
「へー。あんなとこに集めてんだ」
感心した声で言われて、僕は思わず半眼になった。
一年生で四月とかならまだわかるが、今は十一月。しかも僕らは二年生だ。
「お前……たまには真面目に掃除しろよ」
「してるって。たまたま、ゴミ捨て行ったことないってだけで」
どうだか、という言葉は飲み込んだのだが顔に出ていたらしい。
ホントだって、と彼は神妙な顔で続けた。
「西階段の掃除、一緒にやったでしょ」
「そういや、あの時はいたな……」
いくつかある階段の掃除は、大抵そこに近い教室の一番上の階のクラスが担当している。
一階から三階まで上り下りしなければならないが、基本モップをかけて移動するだけなので掃除する人数は二人だけだ。
確かにあの時は特に何も言われなくてもモップをもって階段に来てたな。
その割にやる気がないのは今と変わらなくて、上履きにモップをかけてやろうとしたんだっけ。
さっと避けられたのも、今日と同じだったけど。
「階段掃除はサボらなかったくせに、なんで文化祭の後片付けはサボったんだよ」
話しながらもせっせと手は動かす。
足元の山が小さくなるのに比例して、透明なゴミ袋があっという間に落ち葉でいっぱいになっていく。
もう袋の口近くまできてるけど、ふわっと入れてるから詰め込めばもっと入りそうだな。
「委員長をひとりじめ出来ないから」
「………は?」
新たな落ち葉の山を作って入れる前にもっと圧縮させようと、上からぎゅっぎゅと両手で落ち葉を押しこんでいた僕は反応が少し遅れた。
そのままの格好で顔をあげると、倒れないように袋を持ったままの彼と目が合う。
思ったより顔が近くてびっくりした。
「文化祭ん時は、委員長、引っ張りだこだったじゃん、ずっと。後片付けの時も」
「そりゃ……クラス委員だから、一応」
クラス委員なんて雑用みたいなものだ。
それでも一度引き受けたからにはちゃんとやらないと気が済まないし、そういったことをやるのは実は嫌いじゃない。
特に行事関連なんかは、自分が動いた分だけ結果がでるから他の日常的な雑用よりもやりがいがある。
それに僕の采配でクラスメイトを動かせるっていうのも、ちょっとだけ楽しかったりするんだよな。
だから余計に、いつの間にかサボって帰られたことが悔しかったと言うか……。
「委員長いなくて、つまんねーつまんねー言ってたら、ウルサイって言われてさ。お前もうさっさと帰れって。で、後で思う存分、委員長にしかってもらえって。だから帰ったの」
思いもよらないことを言われて、僕は面食らった。
ってことは何か。
彼がサボったのはクラスメイト公認ということなのだろうか。
もしかして、この落ち葉掃除の件も……?
話しながらもずっと作業を続けていた僕の手は、すっかり止まっていた。
彼は嬉しそうに目を細めて僕を見ていた。
「そしたら、しかられるだけじゃなくて、一緒に落ち葉掃除できたし。やっぱ、あの時サボって正解だったね」
「一緒にって……。お前さっきから、袋持ってるだけだろ。そう思ってるんなら、もっとまじめにやれよ」
落ち葉に視線を戻して、僕は圧縮作業を再開した。
何でもないような顔を取りつくろって。きっと、表情は変わっていないはずだ。
「まじめにやったら委員長、構ってくんないじゃん」
「……お前は、お母さんの気を引きたい子供か」
口を動かしながら、目の前の作業によりいっそう集中する。
すると、落ち葉が乾いた音を立てて袋の奥に沈み込んでいくのと同時に、ほのかな香りがすることに気付いた。
枯れ葉ってイメージの匂いとはちょっと違うんだけど、何だっけ……。
「それ言うなら、好きな子の気を引きたいって方なんだけど」
手で押さえつけたはずみで、落ち葉が何枚か舞い上がる。
慌てて手を離すと、袋からこぼれ落ちそうになった一枚を彼が空中でキャッチした。
まだらに赤いその葉っぱは、虫食いの穴がそのまま残っていた。
片目をつぶって、落ち葉に開いた穴の隙間から僕を覗きこむ。
「委員長、耳、真っ赤」
指摘されて、思わず自分の耳を両手で押さえた。
だが、すぐに彼はニヤリと笑って否定した。
「嘘。冗談です」
くそっ、さっきの仕返しか……!? 絶対顔には出てなかったのに、台無しじゃないか。
耳から手を離すと、落ち葉の詰まったゴミ袋を彼から奪って袋の口をゆるく結んだ。
「………お前な。いい加減、ちゃんとやれよ。ペナルティなんだからな、これは」
見た目に反してさほど重くない袋を抱えて、熊手を立てかけていた桜の木の傍に置いた。
熊手を手にして、まだ落ち葉がたくさん降り積もっている方へと足早に向かう。僕は意地でも何でもないフリを貫いた。
もう誰のペナルティなんだかわからないが、ノルマ3袋と決めたのでその分だけは終わらせて帰るのだ、必ず。
「そんな急がなくていいじゃん。もっとゆっくりやろうよ。どうせ集めるはしから落ちてくるんだから、ぜんぶ落ちてからやっても……。いっそ、桜が咲くまでの間やるってのもいいな。そしたら、そのまま委員長と花見ができる」
まったく悪びれずに調子のいいことを言う彼に、僕は笑いそうになった顔を慌てて引きしめた。
「そこまで付き合えるか」
それじゃ、ペナルティじゃなくてレクリエーションになってるじゃないか。
「いいアイデアだと思うんだけどなあ?」
さくさくと落ち葉を踏みしめながら、ゆっくりと彼が追いかけてくる。今さらだけど、全然罰になってないな。
風が吹いて、近くの枝からひときわきれいに赤く色づいた葉が一枚はがれ落ちる。
そのまま舞い上がったそれを、さっきの彼のように空中でつかんだ。目の前にかざしてみると、ふわりといい匂いがする。
さっきから気になってたんだけど、何だろうこれ。お腹が空いてくるような感じの匂い……そうだ、和菓子。桜餅の匂いだ。そうか。葉の方がいい匂いがするんだな、桜って。
それにモミジやイチョウほど色鮮やかな紅葉じゃないが、夕焼け色の葉っぱだってこれはこれで風情があるんじゃないか?
せっかくなら、もっと葉がついてる時に見たかったけど。
そうしたらもっと美味しそうな匂いがしただろうか。いや、そこまでは無理か。
それにその頃は文化祭の時期だったから、そんな暇なかっただろう。
だったら、次は………。
まだあと2袋ノルマが残っているって言うのに、柄にもなくそんなことを考えているなんて。
たぶん僕は今、少し浮かれてるんだと思う。
あと少ししたら葉を全部落として枯れ木のようになった並木の、数カ月後の姿に思いをはせる。
彼が追い付くのを待ってから、僕は振り返った。
「花見がしたいんなら、春になって改めて僕を誘えばいいだろう」
構って欲しいんなら、もっとストレートに言えばいいんだ。
桜色に染まった彼の耳を見て、僕はようやく溜飲を下げた。
Fin.
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