25pieces
砂浜とサンダル
宵闇に沈むように白いサンダルが片方だけ、砂にうずもれている。
砂から救出して、手に取って見る。
いかにも華奢な作りの、女物だ。
持ち主は、どんなひとだろうか。
白い日傘―――最近はUVカットだか何だか知らないが、黒い日傘の方が多いが、日傘は断然、白い方がロマンを掻きたてられると思う―――に、白いワンピースを着た、髪の長い女。もちろん、美人。
きっとそうだ。
そんな風に俺が想像をめぐらしていると、背後から声が聞こえた。
「あのう……それ、自分の、なんだけど」
その声は俺の勝手な想像を、いともたやすく打ち砕いた。
なぜならそれは、明らかに男の声だったからだ。
「撮影にって……アンタ、カメラマンか何か?」
サンダルは、被写体としての小道具なのだと、俺とさして変わらないくらいの若い男は語った。
よく見れば彼はストラップみたいな紐で、カメラを首から下げている。
俺が持っている、ちゃちなデジカメとは違って、結構ゴツイ感じの。
一眼レフとかいうヤツだろうか。いや、一眼レフってのはカメラの名前じゃないよな。
とにかく、何か本格的っぽいの。
「いや、そんな大層なもんじゃなくて。趣味でやってるだけ」
彼は首を振って、小さく笑った。
八重歯がある。俺と違って、愛きょうのある顔立ちだ。
「それは、ハハオヤので……」
まだ俺が手に持ったままだったサンダルを指さして、彼は続ける。
「と言っても、若い頃のなんだけど。それ履いてオレのチチオヤとデートしたっていう、思い出のサンダル。もっとも、今履いたら確実にぺちゃんこになりそうだけど」
歳月って残酷だよね、と彼はまた八重歯を見せて人懐っこく笑った。
なんだ。
俺の想像も、あながち外れていたわけでもなかったのか。
ただちょっと、20年だかそこら、前だったってだけで。
「ねえ。アンタ、どんな写真撮ってんの? 見せてよ」
思い出のサンダルを持ったまま、俺は彼に近づいた。
砂が足元で、さくりと音を立ててわずかに沈む。
「えっ……、あ、うん」
驚いたように彼は少し後ずさると、カメラを手に持って、さっき撮ったと思しき画像を表示させてくれた。
俺がさっき見たのと同じ、砂にうずもれた片方だけの白いサンダルが、波打ち際を背景にぽつんと写っている。
このサンダルの由来を聞いたせいか、いかにも青春の1ページ的に見える。
たまたま置き忘れられたのか、わざと置いて行ったのか。
どっちにしても、何だか清々しい寂しさ、そしてどこか温かさを感じた。
「いい写真だな」
写真のことなんて、さっぱりわからないが、そう思った。
もっと、他の写真も見てみたい。
そう思って、カメラを覗き込むようにさらに近付いたら。
「ありがとう……あ、あの、ちょっと、近いんだけど……」
顔を赤くして、一歩下がられた。
そんなに、近かったか……?
離れた分だけ、俺はまた一歩近づいて、彼を見上げた。
耳まで赤い。
ふっと、まさかな、と思いつつ口にする。
「なあ、アンタって、男が好きだったりすんの?」
聞いて、自分でも、あ、と思った。
見ず知らずの男に、いきなり投げかけるような質問じゃない。
言い訳するなら、普段は俺だって、こんないかにもデリケートっぽいことを急に聞いたりはしない。
ただ、今はちょっと……思ったことをそのまま聞いてみたいような、そんな心境だったわけで。
とはいえ、それはやっぱり言い訳に過ぎないので。
「ごめん、今の……」
「そうだけど」
ナシ、と言う前に答えが返ってきた。
うっすら赤い顔のまま、でもやけにきっぱりと。
俺は何故か拍子抜けした。
「……そうなんだ」
「うん。それで、なんで聞いたの? っていうか、そんなにバレバレだった?」
怒らせたのかと一瞬思ったけど、そうじゃなくて、どうしていいのかわからないという感じだった。
たまたまちょっと出会って、しゃべっただけのヤツにそんなこと言われたら、そりゃ戸惑うよな。
俺が彼の場合だって、なんで? だろう。
「あー……。なんか今俺、すげー意識されてんのかな? って思って。男を意識するってことは、男が好きなんかなあと、単純に思って……」
答えながら、いや思ってもフツー口にしないよな、と自分で突っ込む。
その辺は気付かなかったのか、彼はますます気まずそうに、情けなさそうに眉を下げた。
「いや、いつもはこうじゃないんだ。君がちょっと、あんまりオレの好みだったから……。白いサンダル持ってる手とか、眺めてる横顔とか、綺麗で」
キレイ? キツイって言われたことならあるけど。
あと、冷たそう。(なのに、俺に告ってくる女は、そこがいいんだとか言ってたけど)
何考えてんのかわかんないとか。
「声かけるまで、実はちょっと、見惚れてた」
サンダルの持ち主について勝手な想像してたとこ、見られてたのか。
うわあ、ハズイ……つか、見惚れるって、なんだ。
それこそ想像もしてなかったことを言われて、今度は俺の方が顔が熱くなって、サンダルに視線を落とす。
「……こういうこと言われんの、キモチワルイ?」
頭上から降ってきた声は、淡々としていたのに、今どんな表情を彼がしているのか分かった気がした。
だから俺は、顔をあげてすぐに答えた。
「気持ち悪くはない。ちょっとびっくりしただけで。俺の方こそ、いきなり不躾なこと聞いて、ごめん。ただ俺……、なんつうか、思った通り、なんてことホントにあるのかって、確認したくなって……。こんなこと急に言われても、アンタ意味わかんねえと思うけど」
何て言えばいいのか。
別に大したことじゃなく、単純な話なんだけど。
視線を波打ち際にそらす。
規則正しく、寄せては返す波を見ている内に、少しずつ考えがまとまってくる。
「俺、思ってたのと違う、って言われて、彼女に振られてさ。しかもそう言って振られんの、初めてじゃなくて。向こうから付き合ってって言ってくんのに。ここだってさあ、彼女が海行きたいって言うから場所チェックしてて。なのに海行く前に振られて。何だよって思って、悔しいからひとりで来て……」
いつもいつも、常套句のように、同じセリフを言って振られる。
―――思ってたのと、違うんだよね。
なんだよ、思ってたのって。
だが彼女たちは、具体的な理由は言わずに、さっさと俺の前からいなくなってしまう。
今回も判で押したように同じ言葉で振られて、流石に凹んで、むしゃくしゃして。
その勢いのまま来たから、海についた頃にはすでに日が傾きかけていた。
海岸を上った道路沿いにぽつぽつとある街灯の明かりと、煌煌と明るいコンビニの光に照らされているからか、ここの砂浜は意外なくらいに明るい。
砂に埋もれた白いサンダルくらいはよく見えた。
それで――と言うのも妙だが――思った通りって一体何だよって、このサンダルの『思った通りの』持ち主について想像してみた。
『思った通り』なんてあるのか? って考えながら。
「サンダルについては外したけど、アンタがもしかして男を好きなのかも、って言うのはまさかの『思った通り』で。そう言うことって、マジであるんだなって……。こんな説明じゃわけわかんないと思うけど」
でも、ちょっとだけわかったことがある。
思った通りじゃなかったってことは、それだけ、対象について色々と『思ってみた』結果なのだ。
たとえそれが正解じゃなかったにしても。
「彼女は俺が『思った通り』じゃなかったことより、俺が『思ってもいない』ことが嫌だったのかもしれない。あっちが付き合ってって言ってきて、付き合ってるんだからそれでいいだろうって、無意識に思ってるところが俺にはあったのかもしれない。俺は彼女をちゃんと見て、どんな相手なんだろうって思いめぐらすこともしてきてなかったんだ。好きって言われたから、彼女を好きになってるんだって、自分ではそう思ってたけど……」
そんなの、ただの鏡と一緒だ。
彼女の好意が、俺に反射してはね返って来てるだけ。
「そりゃ振られるわけだよなと気づいて、今この砂浜に穴を掘って埋まりたい気持ち……って。ごめん、長々と。これ、返すよ」
俺はずっと持ったままだったサンダルを、取り留めもない俺の話を黙って聞いてくれていた彼にようやく渡した。
手についたわずかな砂を、ズボンの後ろで拭ってはらう。
ってこれじゃズボンに汚れが移るだけじゃん。慌ててズボンをはたく。
「それじゃ、」
「ねえ」
軽く頭を下げて、立ち去ろうと踵を返したら呼びとめられた。
「オレがここで、君に付き合ってって言ったら、君はオレと付き合ってくれるの?」
サンダルの留め具に手をひっかけるようにして持った彼が、こっちを見ていた。
そう来たか。
俺は何故かちょっと愉快な気分になって、言った。
「アンタも、思った通りじゃなかった、って言って俺を振るんじゃないの?」
「それはない。それに、思った通りじゃない君も、オレは好きだって思うよ、たぶんね」
「たぶんかよ」
なのに俺は、ますます愉快な気分で足を戻した――彼の方に。
そして一瞬前には思ってもみなかったことを、口にしていた。
「いいよ、付き合っても。……俺の方が『思った通りじゃなかった』ってアンタを振るかもしれないけど。それでよければ」
「それはない。オレは君と違って、たいていの人から『見たまんま』って言われるから」
八重歯をのぞかせて、彼が笑う。
いかにも人好きのする明るい笑顔を、俺は注意深く見つめた。
今度は、間違わずに出来るだろうか。俺にも。
「じゃあ、俺はアンタの『思った通りじゃない』とこを見つけるよ」
白いサンダルが、砂に着地するようにぽとりと落ちた。
Fin.
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