25pieces

  追憶  

 玄関のドアを開けたら、昨日の続きのような顔をして一人の少年が立っていた。
 癖のないまっすぐな短髪と、優しげな顔立ちに反して意志の強そうな目。
 他人の空似と言うには似過ぎている。
 数年前に彼の弟が生まれたと聞いたが、確かまだ小学生前のはずだ。
 何より、目の前にいる少年は学生服姿だ。こげ茶色のブレザー。胸元のネクタイが曲がっている。
 何度教えても上手く出来なくて、いつも少しだけ右に傾いていた。
 そんなところまで、同じだなんて。目を開けたまま、寝ているのだろうか。
 いや、さっきチャイムの音で昼寝から起こされてドアを開けたはずだ。

「もしかして、幽霊とか思ってる? 足、ちゃんとついてるだろ?」

 ドアを開けたまま固まっていた隆弘に、少年は制服のズボンの裾を持ち上げてみせた。
 こんな日の高いうちから幽霊が出るなんて思ってないし、彼が幽霊になったなんて思ったことも一度もない。
 第一、そんなことをしなくても靴がちゃんと見えている。
 少しだけくたびれた黒い靴。
 隆弘も、かつて同じものを履いていた。学校指定の黒い革靴――入学式の前に、友人と一緒に買いに行った。
 彼とは中学も同じだった。身内からは違う高校を勧められていたのだが、友人と同じ学校を選んだ。進学が決まった時は本当に嬉しかった。
『身長変わんないのに、お前の方が足がデカイって。なんかちょっとムカつく』
 靴を買った時、彼が不満げにこぼしたのを覚えている。もちろん、その時自分が何と答えたのかも。

「足デカイと背も伸びるって。お前言ってたの、あれマジだったんだな。どんだけ成長してんだよ、タカヒロ」

 あの時隆弘が答えた言葉を、少年は悔しそうに口にした。
 腕組みをして首をかしげ、少し不機嫌そうに眉を寄せ、それからニヤリと笑う。
 何度も何度もすりきれるくらい思い返した、記憶のままの笑顔―――。
 他人の空似なんかじゃない。彼は、間違いなく本人だ。
 そう確信した途端、身体が動いていた。

「いきなり抱きつくなよ。苦しいって」

 背中を叩かれて、彼を思い切り抱きしめていたことに隆弘は気付いた。
 痛いということは、これは夢でも幻でもない。
 そのことに安堵を覚えつつも、友人が自分の腕の中にすっぽりと収まっていたことに驚いた。
 腕の力をゆるめると、きつい眼差しがこちらを見上げている。頬が少し赤い。

「ご、ごめん」
「……ったく、窒息するかと思ったぜ。少しは加減しろよ。あといつまで玄関先に立たせとくんだよ。入れろよ」
「あ、ああ、そうだな。じゃあ……どうぞ。ちょっと、散らかってるけど」

 急に訪ねてきたくせにこの態度。
 それなのに、お邪魔します、と言ってあがった彼は綺麗に靴を揃えて部屋にあがる。
 そのいちいちどれもが、隆弘の知る友人そのものだった。
 滲みそうになった涙をこらえて、彼をリビングに案内する。
 二人がけのソファに座った彼は隆弘を見て、不思議そうな顔で呟く。

「デカくなったことばっかに気を取られてたけど、よく見ると……老けたな」
「当たり前だろ。もう三十路だ」

 冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出して持って行く。
 彼は『水しかないのかよ、しけてんなあ』と文句を言いながらも受け取って、キャップを開けてあおった。
 ごくごくと喉が上下するに従って、中の水が減っていく。幻じゃない。
 頭の中は疑問符で溢れていたが、目の前に彼がいる、その事実に胸がいっぱいになる。
 隣に座って、彼が水を飲む姿をしばらく見つめた。
 夢じゃないのは分かったが、突然過ぎて、状況がまったく把握できない。
 渇いた喉を潤そうとしたが、自分の分の水を持ってこなかった。取りに行くことはせずに、ごくりと唾を飲み込んでから隆弘は口を開く。
 
「どうして、急にいなくなったんだ? それに、何故………」

 ここにいるのは、彼の友人だ。しかし―――。

「お前はあの頃の―――高校生の、ままなんだ………?」


 十五年前。
 高校一年の秋、クラスメイトが……隆弘の友人が、忽然と姿を消した。
 気の早い彼は隆弘と冬休みの予定まで立てていたのだ。自分で決めたことを放り出して、家出するなんて彼らしくない。
 だとしたら、何かの事件に巻き込まれたのか―――。
 捜索願が出されたが、彼が消えた足取りも、手がかりも、ようとして知れなかった。
 ただ月日だけが過ぎていった。
 その間、隆弘は高校を卒業し、大学も卒業した。
 社会人になってからは実家も離れ、マンションで一人暮らしをしている。それももう、今年で八年目だ。
 身長が伸びただけじゃなく、あどけなさが残る少年だった面影も薄れ、すっかり大人のものへと変わっている。
 それだけ歳月が経ったのだ。
 なのに同じだけ年を取っているはずの、同い年の友人には、十五年という歳月の経過が感じられない。
 またな、と言って学校帰りに別れた時と、全く変わらぬ姿なのだ。

「それがよくわからないんだよな、俺にも。学校で別れただろ。部活行く隆弘と。あの後、フツーに帰ってて……」

 世間話でも始めるように何気ない調子で、彼は語り始めた。

「どっか寄り道してたわけじゃないんだよ。いつも通りに帰ってたはずなのに、気がついたら知らない道を歩いてたんだ。道幅の狭い、車もすれ違えない路地裏みたいなところで……。あれ、ここどこだ? って焦ってたら、重そうな荷物を持ったじいさんがいたんだ」

 やけに大きな緑色の風呂敷包みを背負ったその老人は、ぜいぜいと苦しそうに息を喘がせていた。
 道を聞こうとその老人に近づいた彼は、ひとまずそれを代わりに持ってやることにした。
 老人は長い間世話になったところから故郷に帰ることになり、その途中なのだと言う。
 わずかな荷くらい全部自分で運べると思っていたが、若いころと比べ体力がすっかり落ちていたのを失念していた。
 そう言って老人は禿頭をかいて笑った。
 何が入ってるのかは分からないが、それは確かに老人が持つにはずっしりと重い。
 大通りまで出ると迎えがきているというので、そこまで風呂敷包みを持って一緒について行くことにした。
 別に急いで帰る用事はないし、大通りまで出れば道もわかるだろう。
 そして実際、その通りだった。

「バス通りに出たんだ。スーパー川村があるとこ……家までバス停2つのとこだよ。なんでこんな中途半端な場所で迷ってたんだろうって、自分でも思ったよ。じいさんの迎えってのも来てて。スーツを着た若い男だったな。祖父がお世話になりましたって言われて、お礼にって小さな箱をくれて……。俺、そんなのいいですって言ったんだけど、返そうって思ったら、もうどこにもいなくて。その男も、じいさんも。近くにタクシーが止まってたから、それに乗って行ったんだと思うんだけど」

 曲がったネクタイに指をひっかけてもてあそびながら、彼は続けた。

「……で、家に帰ったら、初めて見るのになんか見覚えのある小さな男の子が出てきて。『おにいちゃん、だあれ?』って。その後ろから母さんが出てきて、口ぽかんと開けて、俺を凝視するんだよ。『母さん? どうしたんだよ、何そんなに驚いてんの』って言ったら、わーって泣かれて。『あんた今までどこに行ってたのよ!』って……」

 そこで彼はようやく、自分が15年もの間姿を消していたことを聞かされたのだ。
 小さな男の子は、彼がいない間に生まれていた弟だった。
 初めて会うのに見覚えがあるような気がしたのは、母親に似ていたからで……つまり、母親似の自分にも似ていたからだ。
 あれは本当に驚いたと彼は語ったが、言葉ほど彼が驚いているようには見えなかった。
 隆弘はと言うと、驚く以前に一通り話を聞いても上手く事情が呑み込めない。
 
「つまり、それってどういうことなんだ……?」

 首をひねる隆弘に、簡潔に彼は答えた。

「カミカクシ」

 頭の中で、すぐに漢字変換できなかった。
 一瞬遅れて、漢字を思い出す。神隠し。

「ちょっと道に迷って人助けして家に帰ったら、十五年も経ってたとか……。説明のつけようがないからな。父さんが、神隠しなんじゃないかって。父さんの田舎では、昔そういうことがたまにあったらしい。変な夢でも見た気分だよ……でも夢じゃない証拠に、これが残っている」

 彼は制服のポケットから箱を取り出した。
 手のひらサイズのそれは、ぱっと見は小さな木製の四角い弁当箱だ。
 飾りはないが漆塗りらしく独特の光沢があり、赤い組みひもで封がされている。

「ちょっと待て。まさか、これって……」
「開けてみたら、どうなると思う?」

 戸惑う隆弘をよそに、彼は軽い口調で尋ねた。
 蝶々結びにされた組みひもを、指でひっかけながら。ネクタイと違って、すぐに解けてしまいそうだ。

「あ……、開けるなよっ!!」

 いきなり訪れた少年が十五年前にいなくなった友人だと確信した時、考えるより先に抱きしめていたのと同じように、隆弘はその箱をひったくっていた。
 奪われまいと抱きかかえて、叫ぶ。

「やっと帰って来たのに、一気に老けて……消えたらどうするんだよ!?」

 彼の語った荒唐無稽な話の、どこまでが真実なのかはわからない。
 だが実際彼は消えて、そして同じ姿で帰って来たのだ。これ以上、何が起こるか分からないことを試して欲しくない。

「落ちつけよ、隆弘。消えはしないだろ。それ何か違う話が混ざってるぞ。それにもしこれが例の箱だったとしても、この小ささだぜ? そこまで威力があるとは思えない。あるとしたら、おそらく十五年分……。いつの間にか過ぎ去ってしまった、俺の十五年分が降ってくるんじゃないかと思うんだ。そこで、だ」

 箱を抱え込んだ隆弘をじっと見つめた。
 当事者は彼の方なのに、やけに落ち着いている。

「隆弘は、どっちがいい? 見た目も隆弘と同じ年になった俺と、隆弘にとっては昔のまま……十五年前のままの俺と」
「お……おれが決めるのか? そんな大事なことを!?」
「そうだ。隆弘に決めて欲しいんだ」

 きっぱりと言われて、隆弘はますます戸惑った。
 余命幾ばくもない老人になるのなら、答えは簡単だ。絶対に開けさせない。
 だが、そうではないのなら? 十五年分だけしか経過しないのだとしたら……?
 本来なら彼は自分と同じ年なのだ。だったらそのぶん、年を取っていた方が何かと都合がいいのかもしれない。
 しかし、彼にはその間の記憶も思い出も、何もない。だったら――――。

「……俺は、このままでいいと思う。お前にとっては、こっちが急に十五年分年を取ったようなもんだろう? それなのに、無理に合わせる必要はないと思うんだ」

 少年から青年へと変わる十五年は大きい。一足飛びに見た目だけ年を取るのは、彼にとって負担になるのではないか。
 もちろん、彼が本来の年齢分の年を取りたいと言うのなら隆弘に止めることはできない。
 箱を手のひらにのせて、隆弘は自分の思う所を語った。

「やっぱり。隆弘なら、そう言うんじゃないかって思ったんだ」

 彼はひとつうなずくと、箱に手を伸ばした。
 隆弘に決めて欲しいと言ったのに、あっさりと自分で紐をほどいて、蓋を開けてしまった。あっ、と言う間もなかった。
 箱が開くと―――。

「……何も起きないな」

 箱には何も入っていなかった。謎の煙が沸き出たりもしない。空っぽだ。
 ただ、蓋には模様も何もついてなかったのに、内側には幾何学的な模様が精緻に刻まれているのが見えた。

「弟が先に開けちゃったんだよな。紐も、本当はもっと凝った結び方してたんだけど、出来ないんで超蝶結び。どうもこの箱自体に価値があるみたいだな。言葉通りお礼ってことみたいだな。どっか連れてかれていい思いとかしてないしなあ、俺」

 箱をテーブルの上に置いて、彼はあっけらかんと言った。
 
「だったら先にそう言えよ………」
 
 隆弘はがっくりと肩を落とした。

「悪い。怒った?」
「怒ってない……。お前ってそういうヤツだよなって、思っただけで」

 むしろ怒るのは、彼の方ではないのか。
 十五年もの月日が過ぎ去っていたのだから。
 なのに彼は気にした風もなく、平然としていた。

「だよな。隆弘は、このくらいで機嫌損ねたりするヤツじゃないもんな」
「呆れてはいるけどな。なんでお前は、そんな上機嫌なんだよ」
「だって嬉しいから。見た目変わってもやっぱ俺の知ってる隆弘だって思って……安心した」

 最後に付け加えた一言は、少しだけ語尾が震えていた。
 平気なわけがない。この理不尽な状況に一番戸惑っているのは彼に決まっているのに……。
 隆弘は無神経な自分を殴りたくなった。
 だが、次の瞬間には、さっき感じた頼りなさの方が幻だったんじゃないかと思える明朗さで、こう言った。

「それに、これから隆弘に世話になるしな」

 その声に被さるように、玄関のチャイムが鳴った。
 はーい、と何故か彼が答えて玄関に向かう。
 作業着姿で段ボール箱を抱えた男が、次々に入ってくる。

「それ、こっちにお願いしまーす! 隆弘、あっちの部屋、空いてるんだよな」 
「あ、ああ……って、なんだよ、これ!?」
「俺、今日からここに住むから。学校も隆弘んとこに転入するし。聞いたよ、教師になったんだってな。しかも一年の担当。俺そこのクラスになるから」
「俺のクラスに転入……!? ここに住むって……!?」

 話が見えないどころか、急展開過ぎてついていけない。

「元の学校に通えないんだよ、俺。退学扱いになってて。それでどうしようかって家族で相談してた時に、隆弘のおばさんが来てさ。俺見て、すっげえびっくりしてたけど、理由を話したら、じゃあ隆弘のとこに行きなさいよって言ってくれて。親戚が理事をしてるんだって? なのに自分じゃそこに進学しなかったんだな」
「それは……」

 隆弘がくちごもると、彼は一息に語った。

「別に言わなくていいって。俺と同じとこに行きたかったんだろ。なのに勝手にいなくなって、ごめんな。だけどその分、これからはずっと一緒にいてやるから。事後承諾だけど、構わないよな」

 その通りでも、本人に直接言われると答えづらい。
 部屋も余ってるって聞いたし、学校にもここからの方が近いしな……彼がそう言う間にも、着々と荷物が運び込まれて行く。
 これから十五年経っても、彼のこんな部分は変わらないに違いない。
 そしてそれを好ましく思っている自分も。

「駄目って言っても、もう決めたんだろ」
「まあな」

 昨日の続きのような当たり前の顔で答えると、彼は晴れやかに笑った。


Fin.
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