25pieces

　　先輩とマフラー　　

　急に日が陰ったなと思ったら、朝っぱらから元気いっぱいな後輩が隣を歩いていた。
　無駄に爽やかな笑顔でおはようございますと挨拶されて、僕は黙って首をわずかに上下させる。
　マフラーで顔半分近くぐるぐる巻いてるので、言葉は省略だ。
　
「せんぱーい、それ、息、苦しくないの？」
　
　そこまで気密度高くないから。問題ないよ。と言う気持ちを込めてまた頷く。
　後輩の黒い学ランに金ボタンが眩しい。
　……ってこの寒いのにマフラーどころかコートすら着てないって。どんだけ風の子なの、尾平君。
　さては一緒の空間を歩いてると思ってるのは、僕の勘違いか？
　実はこの後輩だけ、ぽかぽか日差しの別次元を歩いてたりする……わけないよな。わかってます。
　僕なんかコートのポケットに手を突っ込んで、背中丸めて歩いてるってのに。
　猫背の先輩に見せつけるかのごとくまっすぐな姿勢で歩いちゃって。いいね若いって！

「横着しないで声聞かせてよー、山代先輩！」

　鼻の上まで覆っていたマフラーに指をひっかけて一気に下ろされた。
　寒い寒い寒い！　せっかく遮断してた凍てつく外気が頬に刺さる！！

「ちょっ、何するんだよ尾平君！　熱が逃げるだろ！？」
「だって先輩、オレのこと無視するんだもん。あいさつは、おおきなこえで、げんきよく。だろ？」
「おはようございます！　ったく、いつまで覚えてるんだよ。そんな小学校の標語……」
「オレ記憶力いいから。それにしても先輩、ほんっと寒がりだね」

　ほっといてくれ。寒いものは寒いんだからしょうがないだろ。
　今ので体感温度が１度以上確実に下がったじゃないか、どうしてくれる。
　首のまわりにゆるく下がってしまったマフラーを元のように巻きなおそうとしたら……。

「だから駄目だってば。そんな風に巻いたら、先輩の顔、見えなくなっちゃうじゃん」

　再び指を引っ掛けられて阻止された。
　手をはたいても、何故かどけようとしない。なんだ、なんなんだこの後輩。

「僕の顔なんか見てもしょうがないだろ。それに上半分は見えてます」
「何言ってんの。下半分も見えなきゃ意味ないってば」

　どんな意味なんだそれは……って、たとえどんな意味があろうともこの場合優先されるのは僕の防寒だろう。
　通学路でマフラーを挟んで地味な攻防を繰り広げている僕らの傍らを、他の生徒がどんどん追い越していった。
　すれ違い越しにクラスメイトが『そんなとこで遊んでると遅刻するぞ―』と声をかけていく。
　そうだよ！　いつまでも悠長なことしてたら、遅刻してしまうじゃないか。
　ギリギリじゃないけど、余裕たっぷり、って時間でもないんだよ。
　いい加減にしてくれよと言おうとしたら、このままじゃらちが明かないことに後輩も気づいたようでパッと手を離した。
　つられて僕も手を緩めた瞬間に、マフラーをさっと奪われてしまった。
　そして手早くマフラーを僕に巻き始めた。頭にのっけて顔の周りを覆ってから、首に巻き付けて後ろに垂らす。

「よし！　これなら先輩の顔もちゃんと見えるし、寒くもない！」

　いやいやいやいや。そんな得意げに言われても。
　何この砂漠が似合いそうな巻き方。
　いや僕の場合、あっちか？　ザル持ってドジョウすくう真似するヤツ。
　顔の周りをぐるっと巻いてるので、耳のとこはあったかくていいけど。
　どっちにしろ、しましまマフラーでやるスタイルじゃないから。

「あっ。なんでほどくんだよ、先輩」
「学校指定のだっさい紺コートに、さっきのはちょっと」
「そんなことないって先輩。似合ってたよ？　すっげ可愛かったし」
「今のが似合っても嬉しくないです」

　しかも可愛いって。ますます微妙なんですが尾平君。それ男に対する褒め言葉じゃありません。
　ほどいたマフラーをまた鼻の上まで隠れるように巻こうとして……結局、フツウにあごの下で巻きなおす。
　今のくだらないやり取りで、ちょっとだけ身体があったまったからだ。
　決して、突き刺さるような後輩の視線に負けたからじゃない。

「……これでいい？」
「うん。ばっちり」

　機嫌良く返事した後輩になんだかなあと思いながら歩き出した。
　当然のように、彼も僕の横についてくる。
　尾平君は後輩だが、僕よりはるかに背が高い。
　僕だって身長順で並んだら真ん中よりちょっと後ろくらいはいってるんだけど、レベルが違うって言うか何食ってんだよお前って感じで。
　だからホントはあんまり並びたくないってのは置いといて、基本的な歩幅も結構違うはずなんだよ。
　僕が一歩進んでる間に確実に一歩半は進まないとおかしい。
　なのにぴったりくっついて歩いている。
　ああ、これはアレですね。先輩の前を歩くわけにはいかないと。そういうことですね。

「……尾平君。先行けば？　今ので時間くったし。一年の教室の方が遠いだろ」
「まだ十分間に合うから、大丈夫」
「あ、そう……」

　先輩がここで先に行けって言ったら、後輩はわかりましたって答えて先に行くもんなんだよ！
　って、心の中でなら突っ込めるんだけど、口にはできない。
　物理的に上から見下ろされてるからってだけじゃなくて。
　尾平君って笑顔でいても迫力があるっていうか、そこはかとなく威圧感があるんだよ。
　だから後輩なのに何となく呼び捨て出来なくて、君付けで呼んでしまう。
　いや、怖くはない。怖くはないよ！？　先輩として言いたいことはガツンと言ってるしね！
　そもそも、なんで僕に懐いて（？）くるのかってとこからして謎なんだよ、この後輩。
　誰に会っても、特に先輩に会った時は元気にあいさつ！　ってわけでもないようだし。
　それに尾平君は後輩とはいえ、家が近いわけでも、部活や委員会が同じわけでもなく、接点なんてほとんどない。
　クラスメイトの萩本と同じ部活なんだよな。いや違う、同じ委員なんだっけ？　とにかく萩本の関係者だ。
　萩本を訪ねに尾平君がウチの教室まで来た時、たまたま入り口近くにいた僕が呼んでやったことがあった。
　たったそれだけ。その時だって会話らしい会話なんかしていないはずだ。
　なのに、なんでかあれ以来、ちょくちょく声をかけられるようになった。
　廊下で会って『オレ次、調理実習。ハンバーグ作るんです。先輩ん時は何作ったんですか？』とか。
　帰りがけに『今帰るとこ？　だったら途中まで一緒しよ。部活休みだったんだよね』とか。
　まるで前から親しかった先輩後輩みたいなノリで話しかけられたら、なんとなくスルーもしづらい。
　しかも気がつけばだんだん言葉づかいもフランクになっていた。僕じゃなくて、後輩の。

「あのさあ……」

　それはともかく、共通の話題がほとんどないから会話も大して続かないんだよ。
　尾平君は僕が黙っててもあんま気にしてないっぽいけど、僕は気にする。
　いやそれよりもっと気になるのは……。

「前見て歩いてください、尾平君」

　だから何で人の顔そんなに見てるんですか。
　僕の顔なんて見て面白いものでもないだろうに。

「こっち見てないのに何でわかったの？　先輩、頭の上にも目がついてんの」
「そうだよ。実は僕には、つむじにも目があるんだ」
「マジで？　触ってもいい？」
「駄目です」

　冗談に決まってるだろ、本気に取るなよ！
　伸びてきた手を察知して、反復横とびの要領でよける。
　道幅そんな広くないからステップ踏むような感じ？
　さっきから僕は通学路で何やってんだろう……。

「あのね、尾平君。顔をじっと見ちゃいけないって聞いたことない？　サルの顔だって直視するなって言うだろ。警戒されるんだよ」　
「先輩、サルじゃなくて人間じゃん」
「いいんだよ。同じ日本に暮らす霊長類の仲間って意味では同じなんです」
「どんだけおおざっぱなの、それ」

　頭上でくすくす笑う気配がした。
　おまけに、先輩はサルって言うよりもリスって感じだよな〜なんて呟かれる始末。
　自分でもムチャクチャ言ってるのはわかってますよ。
　いっそリスだったら冬眠できて、冬は学校来なくてすんで楽だったのに。

「……ってか先輩。警戒してるんだ？　オレのこと」

　やけに近くから声がすると思ったら、さっき離れた距離分をあっさり詰められていた。
　これ、歩幅の差は一歩半じゃないな。二歩は確実にありそう。

「先輩さ、たまに敬語？　デスマス調になるよね。オレ後輩なのに。あれって、警戒の表れだったんだ」
「それは……」

　ぶっちゃけその通りなんですよねー、とは言えないよないくらなんでも。
　もっとぼかして言うべきだったか。
　ここは先輩として適当なフォローを、フォローを……ってこんな寒かったら上手い言い回しも見つからないっての！
　早くあったかい教室に行きたいってその一心なんだよ僕は。
　それ言うなら、尾平君が丁寧語使ってないことに対してはどうなんだって話じゃないのか？
　って言っても、部活の先輩後輩じゃないんだから上下関係がどうのとか言わないし、実際大して気にしてなかったりするんだけどさ。あんまりフツーにタメ口きかれると、まあいっか、って感じになっちゃって。
　そんな風にフレンドリーな割には謎の威圧感があって、どっちが先輩なんだよって言葉づかいになってしまう……。
　それをそのまま言うわけにもいかず口ごもってると、後輩は気にした風もなくさらりと言った。

「ま、わかってたからいいんだけど。それでもやめる気ないし。慣れてくださいね、山代先輩」

　何故最後だけ丁寧語……？
　思わず顔をあげたら、予想外な表情で後輩が僕を見ていた。
　機嫌を損ねて、怒ってるかと思ったのに。
　なにその、不敵な言葉に反してやけに甘ったるい笑顔は。
　見せる相手間違ってますよ尾平君……？
　とっさに首のマフラーを鼻の上まで引き上げて、歩く速度を速めた。
　
「せんぱーい、それじゃまた顔見えなくなっちゃうじゃん？　駄目だよ、隠しちゃ」

　隠してない。これはあくまで防寒対策なんです。
　マフラーもコートもいらない尾平君と違って鍛えてない、寒さに弱い生き物なんだよ僕はっ。
　人のせいいっぱいの早足に楽々と追いついてくるな！
　前言撤回。
　やっぱこの後輩怖いよ……！？
　

Fin.