25pieces

　　聖夜　　

　ふっと目を覚ましたら、枕元に誰かの気配がした。
　一人暮らしのアパートに、自分以外の誰かがいるはずない。
　だとしたら、幽霊か、空き巣か。それとも――――。

「サンタクロース……」

　夢うつつの状態で蓮見が呟いて寝返りを打つと、その何かがひょいと頭をあげた。
　床に座った誰かが、ベッドにもたれて頭をのせていたらしい。

「あ、起きた？」
「日比谷……」

　そこにいたのは同じ大学の友人だった。学部も、今年はゼミも同じで割と仲がいい。
　心霊現象でも不審人物でもなかったことにはホッとしたが、どうして彼がここにいるのだろう。
　蓮見が疑問を口に出す前に、日比谷は枕元に白い袋を置いて言った。

「はい、それ。プレゼント」
「プレゼント……？」

　ぺらぺらの白いビニール袋には、蓮見もよく知っているドラックストアのロゴマークがついていた。
　中には、青いラベルがついた茶色い小瓶が数本入っているのがのぞいて見えた。
　寝起きのせいだけじゃなく、ぼうっとする頭で考えてみても何故これがプレゼントなのかわからない。
　怪訝な顔をしているのがわかったのか、日比谷が尋ねてきた。

「メールしただろ。覚えてないの」
「メール……？　ってか、日比谷、何でここいんの……？」
「おっと、そこからかですか。蓮見からメールもらって、３０分前に来たんだよ。フツーにお前がドア開けて入れてくれたんだけど。その後、急に倒れるみたいにお前寝ちゃって。なんか少し熱があったみたいだったから、ベッドまで運んだ」

　いやーびっくりした、と言われて蓮見もうっすらと思いだした。
　朝から少し寒気がしていたのだが、昼になって段々ひどくなってきて。
　ヤバイなー、本格的に風邪引いたかなと思い、何か腹に入れてから寝ようとしたのだ。
　風邪のひき始めは、栄養を取ってあったかくして寝るのが一番だと祖母も言っていた。
　大学は冬休みに入ってるし、バイトも今日は休みを取っていた。
　一日中アパートにいて寝ていても、何の問題もなかった。ある一点を除いて。

「あー……。思い出した……。俺、メールした……」

　何か腹にいれようにも、アパートにはろくな食べ物がなかったのだ。
　探せばカップめんくらいはあったはずだが、探す気力が今はない。それにお湯を沸かすのも億劫だった。
　せめて水分補給くらいはしておこうと、しゃがみこんでアパート備え付けの小さな冷蔵庫を開けて見るも、ひんやり冷えていた飲み物はよりにもよって発泡酒の缶だけ。
　流石に今はアルコールを取ろうと言う気分にはなれない。
　仕方なく水道の水で我慢するかと立ち上がった拍子に、ズボンのポケットに突っこんだままだった携帯が落ちて、それで―――。
　
「件名なしで本文に一言、『栄養ドリンク』って。栄養ドリンクがどうしたよって返信しても反応ないし。だから様子見に来たってワケ。これじゃなくて、違うのが良かった？　適当に選んじゃったけど。オレ、こういうの飲んだことないんだよな」
「や、栄養ドリンクなら何でも……つか、ごめん。俺、パシらせるつもりはなくて」

　慌ててベッドから起き上がろうとしたら、手振りで止められた。
　そうかといって寝たまま話すわけにもいかなくて、蓮見は半身だけ身を起こして頭を下げた。

「いーよ。別に気にしなくても。具合悪かったんだろ？　ちょっと寝たらだいぶ顔色よくなったじゃん」
「そうじゃなくて……。よかったのか？　その……今日、アレじゃん。クリスマスイブ……」

　日比野は女の子に結構モテる。こんなイベント日を一緒に過ごす女の子がいないことはないだろう。
　もしかしたら誰かと一緒にいるところを、邪魔してしまったのかもしれない。
　変なメールで呼びだしてしまったのは蓮見の方だが、そうだったら申し訳ない。
　自分はもう大丈夫だから行ってくれと言おうとしたら、またも先に口を開かれた。

「オレ、今フリーだもん。暇だからへーき」
「嘘。意外……」
「意外って。傷つくー。メール一本で駆け付けた友達にそんなこと言う？」
「あ。ごめ……、そんなつもりじゃなくて。えっと、彼女いるって思ってたから」
「いたけど、別れたの。……そういう蓮見は、どうなんだよ？」

　苦笑して答えた日比谷は、すぐに真面目な表情で問い返してきた。

「俺は……」

　予定だけなら、蓮見にもあった。
　バイトを休みにしていたのだって、本当はあの人と一緒に過ごすために空けていたのだ。
　何と答えるか迷って、結局正直に答えた。

「俺も。同じ。いたけど……別れた」
「なんだ。蓮見も一緒か。まあ相手いるなら、真っ先にそいつ呼ぶか……」

　呼べば来てくれただろうかなんて考えるのは、今さらだ。
　わかっていても、まだ少し考えてしまう。
　ここ数日間、バカみたいにぐるぐる同じことを考えて眠れないでいた。
　これじゃ、風邪だって引こうと言うものだ。
　
「……なあ、その相手って。サンタクロース？」
「えっ……？」

　堂々めぐりしていた思考の隙間に言われて、蓮見はきょとんとした顔で日比谷を見返した。

「起きた時、言ってただろ。サンタクロースって」

　そう言われてみれば、起きぬけにそんなことを口走ってしまった気がする。
　さっき目を覚まして人の気配を感じた時、あの人がいるんじゃないかと一瞬思ったのだ。
　そんなはずないのに。別れようと言ったのは蓮見からだし、あの人も安心したように頷いたのに。

「……うん、そう。サンタクロースに振られたんだよ」

　口に出すと、不思議と少しだけすっきりした。

「仕方ないよな。俺、もうガキじゃないし」

　水を飲もうとして、床に落ちた携帯を拾った時。
　指は自然と覚えている操作をしてあの人のアドレスを呼びだしていた。
　まだ間に合うんじゃないか。自分の方を選んでくれるんじゃないか。
　未練がましくそう思った。だけど―――。
　
「サンタさんはイブにはちゃんと、子供のとこ行かないと駄目だもんな」

　送信する前に、全部消した。
　メールの本文も、アドレスそのものも。ついでに着信も拒否にして、携帯を放り投げた。
　それだけで力尽きてしまって、もう水を飲もうという気も起きなくなった。
　それに今水なんか飲んでも、あっという間に涙になって出ていきそうだ。
　もっと他の、何か身体に吸収されそうなものがいい。
　手を伸ばして携帯を拾い上げた。
　画面にはぶつかったはずみで、誰かのアドレスが呼びだされていた。
　そこに友人の名前を見つけて、気づいたらメールを打っていた。
　しばらくしたら、日比野が来て―――そこから先はよく覚えていないので、眠ってしまったのだろう。

「ほんと、ごめん。あんなわけわかんないメール、日比野に送りつけて。迷惑かけた」
「いいって。来たかったから、来ただけだし。それに……ごめん。引っかけるようなこと言って。オレ、知ってたんだよね。蓮見が誰と付き合ってたか。さすがに名前までは知らないけど」

　気まずげに頭をかかれて、蓮見は驚いて目を瞠った。

「なんか真面目そうなサラリーマンと一緒にいるとこ、見かけたことあるんだよな。アイツだろ？　付き合ってたヤツ。あの時の蓮見、見たことねえくらい嬉しそうな顔してたもん。年もだいぶ違ってたし、友達って雰囲気でもなかったし……第一あの近く、ホテルしかないし」
「そ、そっか……見られてたんだ。失敗したな。それさ、もう終わったことだから。悪いけどそのまま胸にしまっといてくれる？　俺もキレイさっぱり忘れるつもりだし」

　見られていたなんて迂闊だったが、その相手が日比谷でよかった。
　交友関係は広いが、日比谷はこう言うことを誰かれ構わず言い触らしたりするような人間ではない。
　蓮見の方から言いだすか、今日のような事でもなければ、気づいていたことも言わなかっただろう。
　頼めばきっと、見なかったことにしてくれるはず。

「そりゃ他のヤツに言ったりはしないけど。胸にしまいこんだままってのは、ちょっと難しいかも」

　だが返ってきた言葉は予想していたものとは、少し違った。
　日比谷は立ち上がってベッドの上に片膝を乗せ、身を乗り出すようにして蓮見をのぞきこむ。

「オレあの時からずっと、蓮見のこと気になってしょうがねーもん。あの男と一緒にいるんだろうなって思ってた蓮見から、謎のメール来て速攻様子見に来ちゃうくらいには。それにさあ……そんな顔して、無理に忘れようとしなくてもいいんじゃねえの」

　そんな顔って、どんな顔だよ。
　そう言いたいのに、日比谷の言葉はすとんと胸に落ちてきた。

「いつまでも忘れられないのは困るけどね、オレが。……とりあえず今は、ハイ、これ」
　
　日比谷はすっと身を引くと、半ば存在を忘れかけていたビニール袋からドリンクを２本取りだして、手早く蓋を開けた。
　その内の１本を蓮見の手に握らせ、もう一本を日比野が握った。

「思わずメールしちゃったくらい、飲みたかったんだろ。乾杯しようぜ乾杯！　蓮見が待ってたサンタが持って来たもんじゃないけど、効き目はそれ以上あるはずだから。……蓮見？」

　飲まないの？　と目で促されて、蓮見は慌てて頷いた。

「あ……飲むよ、もちろん。ありがと……えっと、メリークリスマス……？」
「メリークリスマス！」

　勢いに押されて、カチンとドリンクの瓶を乾杯させた。
　二人で向かい合って栄養ドリンクを飲むなんて。なんだか妙なクリスマスだ。
　けれど朝から感じていた気分の悪さは、早くもどこかに消えようとしていた。
　甘くて、苦くて、少し薬臭いドリンクが、身体の中に沁み渡っていく。　
　あれは弾みで打ってしまったメールだと思ってたけど、案外そうじゃなかったのかもしれない。
　意外と美味いなともう一本飲もうとした日比谷を、それは一日一本なんだよと言って止める。
　当日のリクエストを叶えてその上おまけに一緒に付き合うなんて、親切でおかしなサンタクロースがいたものだと思いながら。

　
Fin.