25pieces

  約束  

「あったかいヤツで、いいんだよな」

 振り返って、立花が確認する。
 僕がうなずくと、彼はピッと自販機のボタンを押した。
 すぐに、ガコンと音を立てて紙パックのコーヒーが落ちてくる。
 僕に手渡してから、彼は自分の分を購入した。
 冷たいイチゴミルク。お気に入りらしくて、いつも彼はそれを飲んでいる。

「ストローで熱いコーヒーって飲みにくくねえ?」
「最初はちょっと変な感じするけど、慣れたらどうってことないよ。ためしに立花も、少し飲んでみる?」

 紙パックにストローを差し込んで、さりげない風をよそおってたずねてみる。
 立花はちょっと考えるそぶりを見せてから、首を振った。

「んー……俺、ちょい猫舌だからなあ。缶でもあったかいヤツはすぐ飲めないし」
「そっか。それならやめといたほうがいいね」
「つーかさ。俺が佐々本に奢ったのに、一口もらったら意味ないって言うか……そうだ。俺のイチゴミルク飲む?」

 そう言って立花はストローから口を離して、僕に差し出してきた。
 反射的に受け取りそうになった僕は、直前で手をひっこめた。

「や……、せっかくだけど、やめとくよ」
「そう? ああ、そっか。これ飲んで、コーヒー飲んだらイチゴミルクコーヒーになっちゃってビミョーか」

 いやそういう問題じゃなくて……なんてことは、まったく気にした様子のない立花相手に言えるわけがない。
 友達同士で一口だけ回し飲みとか、そんなのいちいち意識するわけがないんだ。
 同じクラスで立花と親しい友人の岡田とだって、何でもないことのようにやってたじゃないか。
 岡田に自分のチョココロネを横からかじられてた時、立花は仕返しとばかりに岡田のクリームパンにかじりついてた。
 でもああいうやり取りは、僕には絶対無理だ。
 僕がそんなに甘党でもないって理由だけじゃなくて。潔癖症ってわけでもない。
 あれがハンバーガーでもサンドイッチでも無理。
 自分のコーヒーを立花に勧めるだけでも、内心すっごい緊張したのに。
 美味しそうにイチゴミルクを飲む立花を見てたら、そんな風に思うのは筋違いだってわかってるけど、なんだか恨めしい気持ちになってくる。
 夏休みの追加講習をきっかけに、立花と仲良くなれただけでも嬉しいって思ってた。
 教室の離れた席からこっそり眺めていただけだった一学期の頃を思うと、今の状況は信じられないくらい幸運なのに。
 近づけば、近づいた分だけ、改めて距離を感じてしまうようになった。
 いや、違うな。最初からわかってたことに、改めて気づいてしまっただけだ。
 僕は立花が好きだけど、立花は僕のことなんて――――。

「でさ、冬休みに……って、佐々本? 聞いてる?」

 怪訝な顔でのぞきこまれて、僕はうわっと叫んであとじさった。
 まだほとんど飲んでないコーヒーがストローからこぼれそうになって、慌てて口をつける。

「あ、あちっ!」

 そうだ、これホットだったんだ。
 何やってんだよ、僕は……。

「おい、大丈夫か? 舌、やけどしなかったか」
「う、うん。大丈夫」
「ごめんな。そんな驚かせるつもりなかったんだけど」
「や、僕がちょっとぼーっとしてたから……で、あの、何の話?」

 まだ心臓がドキドキしている。
 いきなりアップになるのは止めて欲しい……!
 
「佐々本、冬休みってウチにいる? ばーちゃんちに帰ったりとかする?」
「僕のとこは、もうどっちの祖父母もいないから、いかないけど……」

 何の話だろう。
 あったかいコーヒーを、今度は気をつけてゆっくりとストローで吸いながら僕は首をかしげた。
 イチゴミルクを飲み終わった立花は、自販機の横の屑かごに紙パックを放り投げてから言った。

「俺んち、遊びに来ない? 泊りで」

 人は驚きすぎると、言葉を失うものらしい。
 僕はストローに口をつけたまま、バカみたいに立花を凝視していた。

「神社の近くなんだよ、俺んち。歩いて行けるんだ。二年参り行かない? その後屋台で食い物買いこんで、俺んちで食おう。親は海外赴任してる兄貴んとこ行っていないから、気にしないでいいから。ひでーんだよウチの親。アンタはまた講習があるから家で留守番でしょ、って最初から除外してんだよ。ありえなくねえ?」

 ようやく頭が動き出した僕は、何とか言葉をひねり出した。
 イチゴミルクよりも甘い誘いに、手が思わず伸びそうになる。

「そ、それなら……講習受けなくてよくなったんだし、今から飛行機のチケットを取ってもらうとか」
「事前に取った格安チケットだから、今からだと取れても高いから駄目なんだと」
「そうなんだ……残念だったね」
「まあしゃーねえけど。夏休みあんなにガッツリ講習受けてたら、冬休みも同じって思われるのは。実際、佐々本に教えてもらわなかったら、冬休みも同じだっただろうし。そのお礼が、これだけってのはさ……」

 試験前、立花と放課後に残って図書室で一緒に勉強した。
 夏休みの追加講習の後、二人だけで数学のプリントをやったみたいに、僕の方から誘って。
(岡田も誘ったんだけど『馬に蹴られたくないから』とニヤニヤ笑って断られた。『後でノート見せて』ってちゃっかり頼まれたけど)
 どこを聞かれてもいいようにと事前に念入りに準備して挑んだため、僕の成績もかなり上がった。
 苦手教科でいつも後回しにしていた英語なんて、特に顕著だった。
 立花の成績も一学期に比べてだいぶ上がったようで、ずいぶん感謝され、お礼をしたいと言われたので、僕は学校の自販機のコーヒーを奢ってもらうことにした。
 学校の自販機だから値段は手ごろなんだけど、その辺のコンビニやスーパーでは置いてないんだよね。
 紙パックの割には美味しくて、だからそれで十分だって言ったんだけど……。

「佐々本には夏から世話になりっぱなしだからさ。屋台の焼きそばとお好み焼きがすげえ美味いんだよ。ああ、大晦日……元旦に泊りってのはムリ? だったら年明けてから、どっか佐々本の都合のいい日で」 

 やけに熱心に立花は勧めてくる。
 どうやら彼のお目当ては、お参りよりも屋台の食べ物らしい。
 楽しそうに語る彼を見てたら、うなずきそうになった。

「あの、僕は本当にこのコーヒーで、十分だから……。気にしないで。それ、岡田と一緒に行ってきたらいいんじゃない? あっ、最初から岡田も誘ってるよね」

 断らずに、誘いを受ければいい。何で断ってるんだよって、岡田に言われそうだな……。
 自分でも、少しそう思う。
 でも僕は、お礼が欲しくてやったんじゃないから。
 立花にとってあれは単なる試験勉強だったんだろうけど、僕にとってはそうじゃない。
 一緒にいるための口実だった。お礼と言うなら、もうすでに十分もらっている。
 それなのにこんな風に気を遣ってもらったら、嬉しいと言うよりも何だか後ろめたくなってくる。

「岡田? 誘ってないし、誘うつもりもないけど。新年早々見たい顔でもないし。つか邪魔だし」

 言葉だけ聞くと突き放してるみたいなのに、口調には気安さが滲んでる。
 誰が耳にしても、仲のいい友人について言ってるんだなって感じ。
 僕はそれがずっと羨ましかった。

「俺は佐々本と……って、ごめん。これじゃ、お礼がしたいって言うより、俺が佐々本と遊びたいってだけだよな」
 
 ぎゅっとつかまれたように胸が詰まった。
 屈託なく言われるたびに、余計に彼との温度差を感じる。
 ストローからまだ熱いコーヒーを勢いよく吸い込む。
 苦い液体がのどを焼いていき、身体は温まっていくのに、頭の中は冷えてゆく。
 前に一度、岡田にはめられるような形で、立花と二人で遊園地に行ったことがあった。
 足が宙に浮いてるんじゃないかってくらい浮かれて、その時はすごく楽しかった。
 なのに日が経つにつれ、楽しかった思い出は変わりないのに、それが虚しくも思えてきて。
 僕にとってあれはかけがえのない一日でも、立花にとってはたぶんそうじゃない。
 ただクラスメイトと遊びに行ったってだけに過ぎなくて……。

「本当に、気にしなくていいから。僕がやりたくてやっただけなんだから」

 なるべくさり気なく聞こえるように、やんわりと断った。
 彼と親しくなりたかった。でもそれは、友人になりたいってことじゃなかったんだ。
 だったらこれ以上、親しくならない方がいいんじゃないか。
 二学期が終わりに近づくにつれ、僕は次第にそう考えるようになっていた。
 我ながら、どうかと思うくらい後ろ向きだけど。
 僕は友達相手に恋なんてできない。

「……あー、俺、失敗した?」

 立花はそんな僕をどう思ったのか、どこか気まずげに笑った。
 かと思うと自販機の横の壁にもたれて、考え込むようにぶつぶつと呟く。

「いきなりウチに呼ぶって、警戒されても仕方ないか。でもせっかく家に俺しかいないっていう、この絶好の機会を逃すのも惜しいし」
「立花? どうしたの」

 せっかく誘ってくれたのを断ったから、友達がいのないヤツって思われたんだろうか。

「あのさ、佐々本。俺の勘違いだったら悪いんだけど、このままフェードアウトしようとか考えてない?」
「…………そ、そんなことないよ」
「今、間があった上に、言葉に詰まった。図星だろ」

 どうしてバレたんだろう。
 距離を置こうかと考えるようになったのは、最近のことなのに。

「なんでわかったんだって顔してる。わかるよ。試験前まではすごい楽しそうに話しかけてくれてたのに、この頃の佐々本は何か、笑ってるのに笑ってない感じがして。俺がバカだからいい加減佐々本も嫌になったのかなとも思ったけど、よく考えたらそれ最初からだしな。大体何で佐々本ってあんなに俺によくしてくれたんだろうって言ってたら、岡田のヤツが……」
「お、岡田、何か言ったの!?」

 僕が立花を好きなこと、岡田にはとっくにバレてると思ってたけど、さすがに本人には言わないだろうと思ってたのに……!

『特定の誰かに特別親切って。そんなの理由がないわけないじゃん。わかんない方がどうかしてるってハナシ。これ以上何か俺に意見求めんなら、アドバイス料よこせ。俺はお前にタダで親切にする理由なんてないもーん。自分で考えれば?』

「……って、言われた」
「そ、そうなんだ……」

 短い付き合いながらも、岡田がいかにも言いそうな台詞だ。
 最後の若干イラッとくる言いまわしなんか特に。

「それで考えてみたんだけど。佐々本って、俺が好きなんじゃないかなって。友達って意味じゃなく。なのに試験終わった辺りから何か変わったのって、もしかして進路希望調査があったのが関係してる?」

 何もかも図星だと、否定の言葉も出てこない。
 僕が立花とのことを考え直すきっかけになったのは、彼の言う通りだった。
 自分のことをバカだなん立花は言うけど、全然そんなことないじゃないか。

「僕と立花じゃ希望してるコースが違うから、来年は絶対同じクラスにはならないよね。校舎も違っちゃうし、今みたいに会うことも、姿を見ることも出来なくなる。だから、今のうちから慣れておこうって思って……」

 本音とは少しだけ違う言葉を口にする。
 友達のままだったら。クラスが離れたって、校舎が別棟になったって、会いに行けばいいだけだと思う。
 だけどそれは、僕には出来ない。
 去年同じクラスだった、ちょっと仲がよかった友人として扱われる、その当然のことがたぶんきっと辛くなるって、わかってるから。

「それで俺から距離を取ることにしたのか。よかった。何かやらかして嫌われたんじゃなくて」

 ほっとした顔をされて、僕は気まずいと言うよりも何だか腹が立って来た。
 知られたくなかったことを、よりによって本人に指摘されて。
 立花は理由が分かってスッキリしたのかもしれないけど、僕は……。

「わかったんなら、もういい? 安心していいよ。付きまとったりなんてしないから」

 空っぽになったコーヒーの紙パックをゴミ箱に捨てて、僕は彼に背を向けた。
 そのまま立ち去ろうとしたら、焦った声が背中を追いかけてきた。

「佐々本? 待てよ! なんでそうなるんだ!?」

 腕を掴まれて、仕方なく立ち止まった。
 振り返ると、立花はなんだか途方に暮れた顔をして僕を見ていた。

「また泣きそうな顔してるし。そんな顔するんなら、最後までちゃんと聞いてってよ。ってか、佐々本って俺を好きなんだよな? よく考えたらちゃんと返事聞いてねえし」
「……好きだよ。これでいい?」
「なんでそんな怒ってんの。俺が気付くの遅かったから? それは謝るけど、佐々本のことは夏休みの追加講習の時からずっといいなって思ってたんだ。それがどういうことなのか、深く考えてなかったんだけど。なのに俺がちゃんとわかった途端に、逃げなくてもいいだろ。しかもアプローチしようって時になって。それとも、もう遅い?」

 まくしたてるように言われて、僕はぽかんと立花を見上げた。
 僕を見る立花の目は真剣で、逃がすまいと掴まれた腕は痛いくらいだった。
 まさか。でも、それって……。

「……立花も、僕のことが好きってこと? 友達って意味じゃなくて……」
「そうだよ。って、俺、言ってなかった? うわゴメン。先にそっち言えって話だよな」

 立花は照れくさそうにこほんと咳払いしてから答えた。

「好きだよ。佐々本のこと。夏からこっち、好きだなあって思ってたのに、どう言う意味かなんて考えてなくてさ。それなのに、佐々本が離れていこうとしてやっと気付くとか、ホント俺、鈍くって……呆れた?」

 僕は黙って首を振った。
 そういうところ含めて、好きだって思ってて。
 そのくせそれが辛くなって、何も言わずに離れようと思った僕の方がずるいんだ。

「だったら、冬休みの件もオッケーしてくれる? 一人寂しく年末年始迎えてるから、佐々本の都合のいい時にいつでも遊びに来て。それとも、他に何か約束があったりする?」
「ないよ。あっても……立花の方を優先する」

 さっきはあんなに断ろうとしてたくせに、我ながら現金な台詞がするりと口を出た。
 だってもう、後で思い返す程に楽しい思い出が反比例して行くんだなんて、考える必要はなくなったんだ。
 じわじわと頬が熱くなってくる。

「それじゃ、約束」

 指きりの代わりだと言って、立花は顔を近づけてきて。

「イチゴミルクコーヒーになった」

 ぺろりと、唇を舐めた。


Fin.
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