25pieces

  まなざし  

 つぶらなまなざしが、じっとこっちを見上げている。
 それだけで俺はメロメロになって、抱き寄せられずにはいられなくなる。
 本当に、なんて可愛いんだろう。
 ああもう我慢できない……!

「ぎゃーっ! いたっ、痛いよ、クッキー!!」
「……お前、本当に学習しないな」

 ガチャリとドアの開く音がして、低い声と共にちっとも可愛くない、呆れたまなざしが俺に注がれる。
 クッキーは俺の顔に容赦ない猫パンチを食らわせた後、充の足にしっぽをからませて、するりと部屋から出ていってしまった。
 行かないで、クッキー……!

「なんでドア開けちゃったんだよ、充のバカっ! せっかく部屋に入ってくれたのに!!」
「ドア開けなきゃ、部屋入れねーだろうが。つか、なんでクッキー中に入れてんだよ」

 呆れたようなため息をついて、充はドアを閉めた。
 また部屋の中は、俺と充のふたりっきりになってしまった。
 それに気づいた俺はとたんに勢いをなくして、所在なく床に座って膝を抱えると、もごもごと言った。

「だってほら、俺、クッキーに会うの久々だし……」

 クッキーは俺と充が、道端で捨てられていたのを見つけて拾ってきた、茶ぶちの雌猫だ。
 俺の家はペット不可のマンションだから、庭付き一戸建てな充のとこで飼うことになった。
 なので、俺はたまにクッキーを見に充の家に遊びにきている。
 名前の由来は、うすい茶色のぶちが、クッキーみたいで可愛かったから。
 充はクッキーよりもせんべいに似てるって言ったけど、猫とは言え女の子にせんべいはないだろ、せんべいは。
 自分があやうくせんべいになるところだったクッキーは、つぶらなまなざしで俺をじっと見上げてくるのに、俺が触ろうとすると逃げてしまう。
 つれない彼女だ。まさか、クッキーよりせんべいがよかったわけじゃないよな?

「先週も見に来ただろ」

 オレンジジュースの缶を俺に手渡すと、充は隣に座った。
 俺はひんやり冷たい缶に頬をくっつけて、充の顔をちらっと見て、そーっと充から離れた。ちょっとだけ。
 もちろんそれに充が気づかないはずはない。
 ペットボトルのお茶を飲みながら、充は苦笑する。

「………怖い?」

 咎めるふうでもなく尋ねられて、俺はゆるく首を振った。

「怖くはない、けど」

 怖くはない。
 けど、やっぱちょっと緊張するって言うか……。
 充の部屋に2人きりなんて、クッキー目当てで今まで何度かあったのに。
 そうだよ、クッキーがいないから。
 クッキーいない時って、俺今までどうしてたっけ……?
 たった1週間前のことなのに、その時どうしていたのか何故かよく思い出せない。

「まあ、意識してくれるのは嬉しいけど。してくれないと困るし」
「う……」

 ふっと笑って顔をのぞきこまれて、それだけで顔が熱くなる。
 1週間前には、充の前でこんな反応をするはめになるなんて、思っても見なかった。
 今も、見られてる、って思うだけで落ち着かない。

「にゃー。うにゃー」

 そんな俺の気まずさを救うように、閉めたドアの向こうからクッキーの鳴き声がした。
 俺は何か言われる前に、立ち上がった。
 クッキーは俺がドアを開けると、泰然とした様子で、部屋の中に入ってきた。
 そしてまっすぐに充に向かい、膝の上に座った。
 気持ちよさそうに伸びをして、目を閉じる。

「充、ズルイ〜!!」

 思わずさっきまでの気まずさも忘れて、俺はジェラシーのまなざしを充に向けて、叫ぶ。
 俺への仕打ちとあまりに違いすぎるんですけど、クッキー……!
 充はそんな俺にまたしても苦笑して、言った。

「んなツラしてないで、こっち来いよ。クッキーも、ちょっとなら触っていいって。な? クッキー」

 充がクッキーの背中を撫でて尋ねると、クッキーは目を開けてこっちを見た。
 つぶらなまなざしは、いいよ、と言っているように見えた。
 俺はクッキーに近づいて、充がしていたようにそっと優しく背中を撫でる。
 今度は、猫パンチは降ってこなかった。

「……なんでクッキーは、充には大人しく懐くのかなあ」
「お前は構いすぎなんだよ。向こうが寄って来るのを待つくらいで、ちょうどいいんだ。なあ、クッキー?」
「みゃー」
「ほら、クッキーもそうだって」
「う……」

 わかってるんだけど、こんなに可愛いんだもん、つい思いっきり行きたくなるじゃん……!
 抱きしめて頬ずりとかさあ……!!

「いくら好きだからって、急に来られると、どうしていいかわかんないんだよな? クッキー」

 充はそう言って、クッキーの喉元をくすぐった。
 本当は誰に向かって言った言葉なのか、わからないほど俺も鈍くない。
 昨日の今日……正しくは、5日前のことだし。
 また撫でようと思ってクッキーに伸ばしかけた手をひっこめて、俺はぎゅっと握った。

「えっと……あの、俺……ごめん。その、まだ、痛い?」

 充の首には、赤く、まっすぐ線を引いたような痕が3センチほど、薄く残っていた。
 5日前に、俺が爪でひっかいた傷だ。

「痛くないよ。それに、謝らなくていいって言っただろ。俺が悪いんだし。嬉しくて、浮かれすぎた。それより、あれで引かれたんじゃないかって、そっちの方が気になってるんだけど」
「えっ、や、それはないから! ただほんと、びっくりして、こ、心の準備が……!」

 1週間前、俺は充に告白された。
 友達だって思ってたから、すごくびっくりしたけど、イヤじゃなかった。
 そう言う意味で充が好きかって聞かれたら……正直、まだよくわかんないけど。
 ただ、充が本気なんだ、ってのはわかった。からかってるのでも、ふざけてるのでもなくて。
 だったら、応えたいって思ったんだ。
 何も告げなければ、このまま友達でいられたかもしれないのに、充はそうしなかった。
 それってきっと、すごく勇気のいることだ。
 断っても、きっと充は友達のままでいてくれただろう。
 だけど俺はもう、充の気持ちを知ってしまったから。
 何にもなかった顔で、今までどおり友達で、なんて俺には無理だし。
 でも、充が俺から離れていってしまうのはイヤだった。俺はこれからも充とずっと一緒にいたい。
 だから、充と付き合うことにしたんだけど………。

「充とキスすんのヤだったとか、そんなんじゃないから、ホントに!!」

 付き合うって言っても、すでに友達同士だったんだから、今までとそんなに変わるもんじゃないよな、と漠然と思ってた。
 いや、わかってるよ、俺も! 付き合ってるコイビト同士が色々やってるってことは!
 でも、俺と充だよ!? そんなこと、1週間前まではホント夢にも考えた事無かったし。
 だから、ちょっと、不意打ち過ぎて思わず手が出たって言うか……。

「にゃ、にゃあー!」

 俺の勢いにびっくりしたのか、クッキーが抗議するように鳴いて、充の膝の上から降りた。
 そしてとことこと歩いて行って、細く開いたままだったドアから、再び出ていった。
 縋るようなまなざしでその後ろ姿を見つめたが、クッキーは一度も振り返らなかった。
 相変わらずつれない。俺、名付け親なのに……。

「クッキーも行ったし、続きやるぞ」

 充は何事もなかったかのように言うと、立ち上がった。
 机の上の広げっぱなしのノートに手を置いて、こっちを見る。

「休憩時間とりすぎだ。合宿の前に、課題半分は終わらせたいっつったの。お前だろ、友晴」

 俺はなんだかちょっと釈然としない思いで立ち上がった。
 そりゃ、課題手伝ってくれって頼んだの、1週間以上前、告白される前だったけど。
 急にキスしようとしてきたくせに、何でこういうところは、いつもどおりなワケ?
 俺なんか、お前に告られてからこっち、ずっと頭ん中ぐるぐるしてるのに。
  
「ほら、早く。半分どころか4分の1も済んでないとか、信じられん」
「フツーだろ。すでに残りが4分の1な充の方が変わってんだって」

 椅子に座って言いかえすと、開き直るなと丸めたノートで充に頭をはたかれた。
 しょうがないなって顔で。
 さっきまでの微妙な空気はもうどこにもない。
 俺はそれにほっとしながら、机の脇に家庭教師ポジションで立ってる充を見上げた。

「……何?」
「あの……これから、よろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げた。
 今から教えてもらう、課題のことだけじゃなくて。
 もうちょっと、待ってもらえたら。きっと追いつくから。

「こちらこそ」

 正しく意味が伝わったのは、クッキーを撫でていた時より優しい、そのまなざしが伝えていた。


Fin.
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