25pieces

  夏期講習  

 夏期講習が終わって教室を出ていくクラスメイト達を、俺は恨めしげに見送った。
 そんな俺に追い打ちをかけるように、後ろから思いっきり肩を叩くヤツがいた。
 こんなことをするような心当たりは、ひとりしかいない。
 俺は確信を持って、振り返った。

「いてえぞ! 岡田!」

 予想に違わずそこにいた岡田は、ヒヒヒヒ……と嬉しそうに笑った。
(マジで、ヒヒヒヒ、と声に出して笑った。どこのアニメキャラだお前は)

「いやあ、悪いねえ、立花! おっ先〜!」
「悪いと思ってんなら、お前も一緒に残ってもいいんだぞ」
「冗談! 俺は赤点じゃないもーん」
「30点も32点も、大して変わらねーだろ!?」
「たかが2点、されど2点。その差が大きいのだよ……立花君!!」

 ふはははは……と憎たらしい笑い声を響かせながら、岡田は去って行った。
 友達がいのないヤツめ……!
 そんなやりとりをしている間にも、クラスメイトはどんどん帰って行く。
 夏休みだもんな! 夏期講習終わったらそりゃさっさと帰るよな! くそう、俺も帰りたいよ……。
 なんで数学だけ赤点取ったら追加講習なんだよ……。
 教室見渡しても、俺以外、誰も残って―――

「佐々本? え、嘘、お前も追加講習組!?」

 てっきりオンリーワンかと思って絶望しかけたら、教室にはまだ佐々本が残っていた。
 佐々本に帰り支度をしている様子はない。

「……う、うん」

 俺と目が合って、佐々本はちょっと目を伏せると、こっくりとうなずいた。
 ヤバイ、驚かせてしまったのだろうか。

「わり、大声だして。でも、佐々本って、中間じゃ数学、トップじゃなかったっけか……?」

 見習えよお前ら、佐々本は計算ミスで一問間違えてただけだぞー、って中間の時先生が言ったの覚えてるぞ俺。
 特に、俺と岡田は佐々本の爪の垢を煎じて飲んどけよ! って言われたし。(その時は、俺・36点、岡田32点だった)
 他の科目ならともかく(いや、佐々本はどの教科も俺よりはるかに上行ってるが……)、数学が赤点ってナイだろ。

「試験、受けられなかったんだ。熱出して、休んじゃって」

 そう言われてみれば、期末の最終日、佐々本いなかった気がする。
 そっか、休んでたから試験自体を受けてないのか。

「災難だったな。あ、けど、そういうのって、追試受けらんねえの?」

 受験だって、二次募集とかあるじゃん。
 佐々本の場合、俺と違って、不可抗力だしなー。それで追加講習ってあんまりって言うか。

「先生にも、言われたけど……僕は、追加講習の方が、よかったから」
「なんで? 追試なら1回で済むし、佐々本なら一発合格……」

 間違いなしだろ、と続けようとしたところで、教室のドアが開いて、数学の有田が入ってきた。

「ほらほら席につけー。ありがたーい追加講習を始めるぞ」

 俺はどこがだよ! と内心突っ込みを入れながら席についた。
 そして配られたプリントを見て、思いっきり顔を顰めるのだった……。
 

 時間内に終わらなかった分は、宿題として明日までにやってくるように厳命されて、その日の追加講習が終わった。
 通常の夏期講習分に加えて、夏休みの宿題もまだたっぷり残っていると言うのに……。
 たった2点の差で、岡田はこれを免れているのだと思うとやり切れない。
 中間の時は一応、俺の方が勝ってたのに……!

「あの……」

 もういいや適当に埋めてやれ、とヤケクソに思いながら帰り支度をしていると、背後から声がかけられた。
 この教室に残っているのは、俺以外にひとりしかいないわけで。

「何? 佐々本」

 当然、振り返った先にいるのも、佐々本だった。   
 佐々本は小さく口を開けて、また閉じて――何かよっぽど言いづらいことなんだろうか――を、繰り返した後、俺に言った。

「よかったら、一緒にやる? その、プリント……」
「え! マジで!?」

 それは願ったり叶ったりですけど!!
 俺は一も二もなく、その申し出に飛びつこうとした。
 が、ふと気付いた。それこそ、またしても当然のことに。

「あ〜、でも、佐々本はとっくに終わってるんだろ」

 爪の垢を提供する立場にある佐々本が、このプリントを終わらせていないはずがない。
 俺と違って、不可抗力で追加講習受けるハメになった不運な佐々本だ。
 学期中より早い時間とは言え、まだ夏休みだ。
 早く帰ってゆっくりしたいはずだ。
 俺だって、さっさと家に帰ってダラダラしたいし。 
 付き合わせるのはいくらなんでも悪いよなあ。岡田じゃないし。
 てかマジで、2点しか違わない岡田もこれやるべきなんだよ! なあ!?

「終わってるけど……、えっと、人に教えるのっていい復習になるから!!」

 やんわり断ろうとしたら、佐々本は何故か勢い込んで言った。
 同じクラスになってから1学期が過ぎたわけだが、佐々本のそんな様子を見たのは初めてで、俺はちょっと目を見張った。
 いやそもそも、佐々本とあんましゃべったことねえから、よくわかんねーんだけど。
 親切な上に、意外と熱い? のか、佐々本……。
 つい黙ってしまった俺をどう思ったのか、佐々本は急に勢いをなくして小さな声で続けた。

「もちろん、立花が、迷惑なら………」
「いや、どっちかっつーと、迷惑なの、佐々本だろ。早く帰りたくないの? せっかくの夏休みなのに」

 疑問に思って尋ねると、佐々本はますます小さな声で答えた。

「別に……家に帰っても、やることないから」

 それがなんだかあまりにもシュンとして見えて、これは断る方が悪いんじゃないかという気がしてきた。
 ここで、『いいよ俺、ひとりで何とかするし(ならないが)』とでも答えたら、何故かわからないが、ガッカリさせてしまうんじゃないかと言う……。
 まあ、佐々本が構わないんだったら、俺にとっては大変ありがたい話なんだし。
 どっちみち、このプリントは明日までにやらなきゃいけないわけだし。
  
「だったら、お願いしてもいい、かな」

 俺がそう言うと、佐々本はぱっと顔を輝かせた。

「うん! まかせて!」

 そして見たこともないくらい嬉しそうな顔で、頷かれた。
 

 教室にそのまま居残って、俺は佐々本からマンツーマンで数学を教わった。
 佐々本の教え方は丁寧で分かりやすく、しかも根気強かった。
 なんかもう、アホ過ぎてスミマセン……! って気持ちでいっぱいなのだが、佐々本はそんな俺をバカにしたりはしなかった。
 どこで俺が躓いているのかを遡って、そこから順を追って説明していく。
 ぶっちゃけ、数学の有田が教えるよりよっぽどわかりやすい。
 有田も、中学の数学、いや小学校の算数から遡っては教えてくれないからな……。

「終わった……。信じられねえ………」

 適当に数字を埋めてそれで終わらせるはずだったプリントは、ちゃんと途中の計算式まで記されて、解答が書かれていた。
 俺の数学のプリントとは思えない。

「ホント、ありがとな、佐々本。お前のおかげだよ!」
「立花は、苦手意識が先に立ってるだけだよ。数学なんて、公式さえ覚えていれば何とかなるから……」

 佐々本は、はにかむように笑って、謙遜した。
 頭良くてこの態度って……どこかの薄情者とは大違いだなマジで!

「イヤ、俺の場合は公式とか以前の問題だから! マジ、ありがとう、佐々本……!!」

 言葉だけじゃ、この感謝の気持ちは伝えきれない……!
 俺は佐々本の手を握ると、ぶんぶん振った。
 でもちょっと強く握り過ぎたのか、佐々本が顔を赤くしたので、俺は慌てて手を離した。

「ごめん! 痛かったか?」
「えっ……、いや、そうじゃなくて……。あ、あの、よかったら、明日からも、一緒に………」

 月曜から土曜まで、6日間続く通常の夏期講習の後に、同じ日数だけ数学の追加講習も行われる。
 だから、あと5日、追加講習も残っているわけだ。

「いや、今日のでなんとなくコツがつかめた気がするし。明日も付き合ってもらうのは、さすがに悪いから」

 いいよ、と俺は首を振った。
 今日、付き合ってくれただけで、大感謝だし………って。
 あれ? なんでそこで、泣きそうな顔!?

「……そうだね。立花も、家で落ち着いてやった方がいいよね。今日で、大体の基本は、飲み込めたみたいだし………」

 佐々本はそう言うと、すっかりうつむいて、黙り込んでしまった。
 表情は見えないけど、さっきまでの元気がなくなっているのはわかる。
 今なんか、気に障ること、言ったか? 
 俺は、沈黙の理由を必死に考えてみた。
 それはやっぱり、直前に言ったことだろうか。
 俺が追加講習後の、俺にしか得がない勉強会を断ったのが原因……?
 でも、それでなんで、佐々本が泣きそうになるんだ?
 俺があまりにバカ過ぎて心配で?

「あの、佐々本……?」

 俺は恐る恐る、佐々本に呼びかけた。
 のはいいが、やっぱり何を聞けばいいのかわからなかった。
 どうして泣きそうなんだ、ってさして親しくもないクラスメイトにずけずけ聞ける質問じゃないだろ。
 俺の勘違いだったらアレだし……。

「僕は……」

 らしくなく、静かに俺が戸惑っていると、佐々本は顔をあげた。
 よかった、泣いてない……。
 俺はほっとして、佐々本の言葉の続きを待った。

「立花がいるって聞いたから、追試を受けなかったんだ。有田先生が、追加講習は立花だけだって言ってたから」

 そういやそれ、理由聞く前に有田が来たから、聞きそびれてたな。
 すっかり忘れてた。
 なるほど、と言う事は、俺が追加講習受けるから、佐々本も追試ではなく追加講習を受けることにした、と……。

「……なんで?」

 やはり、俺の数学があまりに残念なので、哀れんでボランティア精神を発揮したくなったとか?
 あ、だったらついでに岡田も呼んでやればよかったな。あいつ俺と同レベルだし。
 イヤイヤ! あんな友達甲斐のないヤツ呼ぶことないよな!
 つか見てろよ、岡田! 2学期では大差をつけてやるからな……!
 俺は憎たらしい笑顔で去って行った悪友を思い出して、決意を新たにした。
 そんな風につい考えを違う方向に飛ばしていたら、佐々本は視線を反らして、囁くような声で言った。

「チャンスだって思ったんだ。立花と、ちゃんと話してみたくて……」
「俺と?」

 え、俺、なんかキッカケでもないと、話しかけづらい感じだった?
 確かに俺、今まで佐々本とほとんど口きいたことないけど。
 佐々本ってなんか物静かだし、逆に俺みたいなのとはあんま話したくないのかなーって思ってたんだけど……。
 ほら、俺は赤点スレスレな残念な頭だけど、佐々本は学年トップクラスの頭脳の持ち主だしさ。

「だったら、話しかけてくれればよかったのに。あ、もしかして、岡田がうるさくて、引いてたとか? 俺、いつもあいつとつるんでるからなー」

 あいつちょっとオーバーアクションだからな。
 生粋の日本人のくせして。
 中身は俺とどっこいどっこいなんだが、よく知らない佐々本にはとっつきにくかったのかもしれないな。
 そう、俺が納得しかけていると。

「立花って……岡田のこと、好きなの?」

 予想外すぎる問いが返ってきた。
 しかもやっぱりまた泣きそうな顔で。

「いやそれ冗談にしても、面白過ぎてあり得ないから。ってか、どっちかっつーと今は憎んでるねヤツを……! 32点なんて取るくらいなら、キリよく30点取って、俺と一緒に追加講習受けろっつの」

 あいつそういうとこ、昔から要領いいんだよなー。
 忌々しい野郎だぜ……。

「………ホントに?」
「ホントホント。こんなん、嘘ついても仕方ないだろ。好き嫌い言うなら、今この瞬間、俺は佐々本の方が断然好きだよ」

 一文の得にもならないのに、アホなクラスメイトに付き合って、夏休みの貴重な時間を費やしてくれるとか。
 マジで今度、爪の垢もらわないといけないかも……。

「………佐々本?」

 あれ? なんで今度は顔赤くなってんの?

「あ、あの……! 明日からも、その、立花と一緒に勉強したいんだ! 本当に暇でっ、むしろやることなくて、持て余してるくらいで……っ!」

 赤い顔のまま、佐々本は俺の右手をつかんで勢い込んだ。
 引き寄せられて、近い位置で視線がかち合う。
 すると佐々本は、急に力をなくして、手を離した。
 近づいた距離も離れていく。

「その……立花が、どうしてもイヤだっていうなら……無理にとは、言わないけど………」

 その様子が、追加講習後に一緒に勉強しようと言ってきた時の佐々本と、まったく同じで。
 ここで断ったら、どうしてかわからないけど、佐々本は凄く落ち込むんだろうな、と思った。
 思ったら、声が出ていた。

「イヤなわけないって。むしろありがたすぎて、涙が出そう。てか、マジでいいの? 本気にするよ」

 俺はさっきの距離まで近づくと、佐々本の顔を覗きこむように見て、笑いかけた。
 そうしたら、またさっきみたいに、嬉しそうに笑ってくれるんじゃないかと思って。

「も、もちろん……!」

 佐々本はちょっと泣きそうに顔を歪めたけど、すぐに俺が期待したような、はにかんだ笑顔を見せて、うなずいた。


Fin.      
戻る
Copyright (c) 2012 All rights reserved.