25pieces
後輩とストラップ
予備校を一歩出た途端に、熱気が押し寄せてきた。
盆も過ぎ、暦の上では秋になったが、暑さが和らぐ気配は全くない。
夏生まれの割には暑さが得意ではない瀬尾は、顔をしかめて歩きだした。
一刻も早く、涼しいバスの中に入ってしまいたい。
「センパイ〜っ!!」
予備校の入っているビルの隣の隣、月極め駐車場の看板の影から、見知った顔が飛び出してきた。
高い位置から、低いのによく響く声が降ってくる。
「ベンキョー、オツカレ様です、センパイ!」
相変わらず、あまり漢字が使われてなさそうな喋り方だ。
それなのに無駄にハキハキしている。
はっきり言って、暑苦しい。気温が0.5度くらい上昇した気がする。
瀬尾はちらりと目をやってから、そのまま歩き続けた。
慌てたような声が、後ろから追いかけてくる。
「ちょ、センパイ!? なんでムシするんですか!? まってたのにー!!」
コンパスが違うので、あっという間に追いつかれる。
どうせ一緒に歩くのなら少しでも陽射しを遮ろうと、今度は瀬尾が後ろになった。
「……センパイ? なぜ後ろに?」
「河合、もうちょっと右寄れ、右」
「右? このへんですか」
「そう。よし、その位置だ。うん、日陰になった」
「センパイ〜! ひどいです〜!!」
日は陰ったが、後輩がうるさくなったので瀬尾は仕方なくまた隣に並ぶ。
河合はぱっと顔を輝かすと、嬉しそうにくっついてきた。
暑苦しい離れろ、という言葉を瀬尾は辛うじて飲み込んだ。
「何しに来たんだよ、河合」
並んで歩きながら、隣に尋ねる。
「何ってセンパイ。今日、センパイのたんじょう日じゃないですか」
「ああ、そうだっけ」
すっかり忘れていた。
中学を過ぎた頃から家でも誕生日を特に祝わなくなったし、休みの間の誕生日と言うのは友人からも忘れられがちだ。
それ以前に、友人同士で誕生日を祝うようなこともしないが。
瀬尾本人もそう言ったイベントごとに関心が薄い。
次の日になってから、そういえば昨日一つ歳をとったんだっけ、という程度の感覚だ。
「よく知ってたな、お前」
感心したように瀬尾が言うと、河合が情けなさそうに眉を下げる。
「知らないわけないじゃないですか〜! オレたちつきあってんのに……!」
「でもまだ一ヶ月だろ」
瀬尾が河合と『個人的に』付き合うようになったのは、ちょうど夏休みが始まる前だった。
河合は瀬尾の後輩と言うよりも、どちらかと言うと瀬尾の友人、英田の部活の後輩だ。
英田の試合をたまに見に行くうちに、気がついたら懐かれていた。
夏前に3年は部活を引退し、友人を介しての付き合いだった河合とも自然に疎遠になっていたのだが、終業式に呼びだされて告白された。
『コウジツがなくても、これからもセンパイと会いたいんです』と言われて。
そして、夏休みが始まった。
「イッカゲツとかイッシュウカンとかそんなんカンケーないですっ!」
「そういうもん? 俺、お前の誕生日、知らないけど」
「オレのたんじょう日は、2月22日です。にゃんにゃんにゃんで、ねこの日です。覚えやすいですよね、ってコレ前も言ったんですけど……」
「そう言えば聞いた気もする」
「センパイ〜っ!」
嘘だ。
本当は、ちゃんと知ってるし、覚えていた。
でも、自身の誕生日は忘れてたのに、河合の誕生日を覚えていたなんて言うのは癪なので、そう言うことにしておく。
瀬尾は後輩を見上げて、で? と尋ねた。
「祝いに来てくれたのか? わざわざ」
「そうです。ホントは、日付かわったシュンカンに、おめでとうって言いたかったんですけど。おそい時間にデンワすんの、メーワクかなって思って……」
「まあ、そうだな」
「センパイ………」
あっさり瀬尾が答えると、河合はわかりやすくしおれた声を出したが、気を取り直したように続けた。
「……それで、ヨビコウおわるの、まってたんです。センパイ、おたんじょう日、おめでとうございます! これ、プレゼントですっ!」
打たれ強い後輩は、元気よくそう言って、さっと小さな包みを取り出した。
可愛らしい水玉模様の包装紙でくるまれたプレゼントを、瀬尾はありがとう、と受け取ってさっそく中を開けた。
「ストラップ……?」
それは、小さなペンギンの飾りがついた、青いストラップだった。
「はい。センパイ、前、ペンギンが好きだって言ってたでしょ? だからこないだスイゾクカンに行ったイトコにたのんで、買ってきてもらったんです。センパイのはイワトビペンギンで、オレのはジェンツーペンギンです」
確かに、以前そんなことをちらっと話したことがあるが、言われるまでこれもすっかり忘れていた。
河合は自分の携帯を取り出して、瀬尾にストラップを見せた。
同じ青いストラップで、ついているペンギンの飾りは違う。
「センパイ? もしかして、イワトビよりジェンツーのほうがスキ? だったら、とりかえっこしますよ!」
「いや……。それはいいんだけど」
ジェンツーも両目を繋ぐ白い模様が可愛いが、イワトビの黄色い飾り羽も同じくらい可愛いのでそれはいいのだが。
「携帯……持ってないんだけど、俺」
「でも、センパイもいつかはケータイ、買いますよね……? そのときにつけてもらえれば……ってか、なんでセンパイ、ケータイもってないんですか〜。もってくださいよー! オレ、センパイといつでも……はムリですけど、もうちょっとくらい、はなしたいです〜っ! ケータイごしにでもセンパイの声がききたいです〜っ!!」
そっちが本音か。
瀬尾はこっそり苦笑した。
本当は携帯をプレゼントしたかったのだろうが、それが無理だったので苦肉の策でストラップを選んだのだろう。
「なくても困らないしなー。どうしてもって時は、ばあちゃんのらくらくホン借りればいいし」
瀬尾が携帯を持っていないのに、深い意味はない。
別に家庭の方針とか、そういうのでもなく、ただ純粋に、特に必要だと思わなかったからだ。
それで友人との付き合いに支障が出たこともない。
学校に行けば会えるのだから、それで問題なかった。
瀬尾の友人は、携帯をしょっちゅういじってるようなタイプではないし、どちらかと言うと必要最低限しか使ってないヤツの方が多い。類友というヤツだ。
外で連絡を取り合う必要がありそうな時だけ、近所に住む祖母から一時的に借りて済ませている。
それだってめったになく、しかもそういう時も、使う時だけ携帯の電源を入れるタイプだ。そのくらい、瀬尾にとって携帯とは、今のところ特に必要のないものだった。
ちなみに、今年は受験だし夏休みだからって会えないぞ、というのはすでに付き合うことになった時点で言ってある。
「そういや、ばあちゃんお前のこと気に入ってたぞ。面白い子ね〜って」
「や、オレより、ゆかりさんのハナシのほうがおもしろいですよ! こないだ老人会のリョコウに行ったときのハナシ、ききました!?」
「ああ、あれね。あれはちょっと相手のじいさんが可哀そうな気もしないが、自業自得ってヤツだな」
「ですよね〜! ……じゃなくて! なんでセンパイとつきあってんのに、オレ、ゆかりさんのメル友になってるんですかあ……。センパイのむかしの写メおくってもらったのは、すげーうれしかったですけど」
「げ。何、ばあちゃんそんなの送ってんの? 消せよ、河合。プライバシーの侵害だろ」
「ヤです! ぜったいヤです〜! だれにも見せませんし、まちうけとかにもしませんから……!!」
消されると思ったのか、河合は携帯を慌てて背中に回して隠した。
その必死の形相に、瀬尾は笑って、しょうがねえなあと零した。
別に本気で消せと言ったわけじゃないんだけど、とは言わない。
「大学受かったら、バイトもしたいし。その時は必要になるだろうし、買うよ」
「えっ……! そんな先!? そんなあ………」
瀬尾はイワトビペンギンのストラップを手のひらにそっと握りしめると、本気でガッカリしている河合を見上げて、くすりと笑った。
まだ全然涼しくなっていないが、今度は自分の方から河合に近づく。
腕をつかんで、背伸びして。
「今、携帯買ったら、用もないのにお前を呼びだしちゃいそうだから、困る。勉強にならないだろ」
耳もとでささやいて、ぱっと、離れた。
いつでも繋がる連絡手段なんてあったら、きっと声を聞くだけじゃ我慢できなくなる。
第一、瀬尾は電話越しに話すのは好きじゃない。メールは、もっと苦手だ。
(お前の方から会いに来てくれるなら、そっちの方がずっといいし)
だったらやっぱり、携帯なんて、このまましばらく必要ない。
少し先に見えてきたバス停には、ちょうど行き先のバスが到着したところだった。
「じゃあな、河合。また、学校で」
バスまで、走った。
「えっ……センパイ!?」
まってください、という声を無視して、瀬尾はさっさとバスに乗り込んだ。
冷たい空気が身体を包みこんで、ほっと息を吐きだす。
空いていた窓際の席に座って外を見ると、呆然とこっちを見ている河合と目があった。
瀬尾は顔の横で、もらったばかりのイワトビペンギンの青いストラップを小さく振ってみせた。
冷房がきいていて窓は開けられないから、ガラス越しに声は出さずに、口を動かす。
すきだよ、と。
バスが動き出すと、瀬尾はイワトビペンギンの黄色い羽飾りをそっと撫でてから、予備校のテキストが入ったバッグの肩ひもに、落ちないように、丁寧にストラップをつけた。
Fin.
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