バッテリーSS(江藤&豪&巧)

そして始まる

「久し振りじゃな、豪」
「江藤………?」
「なんじゃ、呆けた顔して。もう、俺の顔、忘れたって言うのかよ?」
 

 ランニング途中に寄った、神社で、懐かしい顔に出会った。
 プラットフォームで別れた、あの日から、どれくらい、経ったのだろうか。
 一年―――、いや、まだそこまで、過ぎていない。
 それなのに、もうずいぶんと、会っていなかった気がする。
 十三歳、というこの一年は、瞬く間に過ぎた気がしていたのに、自分が思っていたのより、ずっと長かったのだろうか。

「相変わらず、でけぇな、永倉」
「江藤も…、背、伸びたな」
「お前ほどじゃないけどな」

 そう言って、笑った江藤は、顔立ちまでもが、以前より大人びて見えた。
 親元を離れて、広島の学校に行った江藤。
 豪の知らない日々が、江藤をそんな風に、変えたのだろう。
 懐かしいのに、知らない顔。
 豪は、不思議な気持ちで、江藤を見つめた。

「サワたちにな、お前、ここでランニングしてるて、聞いて。わざわざ来てやったんじゃ。ありがたく、思え」
「そうか。それは、どうも」

 だけど、憎まれ口を叩く姿は、昔と変わらなくて。
 苦笑しながらも、どこか、安堵する。
 走って、火照っていた身体が、春にはまだ早い、冷たい風が徐々に冷やしていく。
 それと共に、久し振りに会う友人への、くすぐったいような、温かい思いが、身体を満たしていく。

「野球、続けてるんだってな」
「ああ…」
「振りまわされてるんだって?あの、性悪ピッチャーに」
「性悪って、江藤…」
「わかってただろ。んなの、最初っから。でも、お前が選んだんだろ」

 ズバっと切り込まれた、直球に、豪は言葉をなくす。
 選んだ?俺が?
 違う、そうじゃない。
 捕まったんだ―――。

「つまんねぇ言い訳、考えてんじゃねぇよ、永倉」

 ポケットに手を突っ込んだまま、牽制するように江藤は続ける。
 風が、豪の頬をなぶる。

「野球、続けるって。決めたのは、お前じゃろ」

 そうだ。
 あいつとなら、最高の野球が出来る。
 最強のバッテリーが組める。
 そう思って、胸を高鳴らせたのは、他でもない、自分ではなかったのか。
 そしてそれは、まだ一年も経っていないのだ。
 それなのに、俺は―――。

「そうだ。巧と野球、したいと、思うたんは、俺じゃ」

 なのに、今。
 たったこれだけの台詞を言うのに、どうして胸が苦しいんだろう。

「だったら、最後まで続けろよ。中途半端な事、するんじゃねぇよ。野球やって、勉強もして、志望校入って、ストレートで医大受かって。医者になるんだろ。で、当然、甲子園にも行くんだよな。俺の分の土はいらないからな」
「おい、江藤……」

 流れるようにまくしたてた江藤に、呆気に取られる。
 ぽかんとした豪に、江藤はニヤリと笑って、付け加えた。

「それで、俺に言うんじゃろ?『江藤も野球、続ければよかったんじゃ』って」

 中学に入ったら、野球はしない。
 そう言った、江藤。
 だけど俺は、知っていたじゃないか。
 江藤も―――野球が、好きだってことを。

「ああ…そうだな」

 何と答えればいいのか、少し迷って、結局、ただ頷いた。
 それに、江藤が、満足そうに頷き返した。

「…ったく、情けねぇな、永倉。そんなんだから、サワにまで心配されるんだよ」

 大体俺は、こんなこと親切に言ってやるキャラと違うんだよ、と江藤は、照れたように頭を掻いた。
 わざわざ来てやった、というのは、もしかしたら、サワに頼まれたのかもしれない。
 豪と、巧の事を知っていて、今は遠くにいる友人。
 近すぎないから、言える事が、あるんじゃないかと。
 沢口はそう、思ったのかもしれない。

「マジ。情けないな、俺」

 心配をかけていると、わかっていたけど、何だか嬉しかった。

「まったくじゃ。…ああ、来たぞ。お前の、ピッチャー」

 江藤が振り向いた先に、石段を上ってくる、巧の頭が見えた。
 規則正しい、呼吸のリズム。

「あ……、えっと……」

 豪の隣りにいる人物に目をやった巧は、考えるように言葉を切った。

「江藤じゃ。久し振りじゃな、原田」
「ああ、ポケベル……」
「……相変わらず、ムカツクやつだな、原田」

 顔を顰めた江藤に、豪は思わず笑い出す。
 豪を、じろっと睨んでから、江藤は巧に人の悪い笑みを向けた。

「ベルが鳴っても、慌てんようになったか?」
「サイレンが鳴っても、慌てねぇよ」

 しれっと返した巧に、江藤は鼻白む。
 そんな二人のやり取りに、豪はますます笑った。

「ふん……それは何よりじゃ。よかったな、永倉。……そいじゃな」
「江藤、もう行くんか?」
「ああ、ホントは俺、すぐ帰らんといかんのじゃ。わずかな時間をぬって、会いに来てやったんじゃぞ」
「そっか。……ありがとな、江藤」

 ひらひらと、おざなりに手を振って。
 江藤は、石段を下っていった。

 

「何、話してたんだ?豪」
「気になるのか?」
「……別に」
「思い出話、かな」
「……ジジくせぇな」
「何だよ、ヒデぇな」

 思い出話。
 これまでの、じゃなくて。
 今から、始まる。
 いつか、思い出になる、話を。
 再び帰ってきた江藤に、聞かせてやる話を。
 次は、情けない、なんて。
 言わせないからな、江藤―――。


「野球、しようぜ、巧」
「ああ」

 振り返るのは、まだ早い。
 ここから始まる、俺の野球を。
 俺と、巧の野球を。
 見せてやるよ、江藤。
 必ず。


Fin.