バッテリーSS(青波&巧&豪)

距離感

 追いつきたい。
 追いついて、追い越したい―――。


「あの……原田くん。これ、お兄さんに、渡してくれる…?」
「いいよ。返事は、渡せないと思うけど」
「渡してくれるだけでいいから。…ありがとう」

 学校の廊下で。
 大人しそうな、見知らぬ少女は、青波に兄への手紙を託し、恥かしそうに、走り去って行った。
 その後姿を、黙って見送る。

「モテモテじゃの、原田」

 それを見ていた、クラスメイトが冷やかすのに、青波は苦笑する。

「違うよ。ぼくに、じゃなくて、兄ちゃん宛て」
「ああ、そうか。原田は、あの『原田巧』の弟じゃったな」
「……そうだよ」

 あの『原田巧』の、弟。
 巧が、甲子園で活躍するようになってから、青波は時々、そう呼ばれるようになった。

「モテる兄ちゃんを持つと、弟も大変じゃのう」

 知った風に言う、クラスメイトに、青波は笑って答える。

「そうだね……」


 野球部のグラウンドの隅で、青波が、どうしようかな、と思っていたら、向こうが気付いて、顔を上げた。
 青波は、小さくてを振る。
 近くにいた人――先輩、だろうか――に、話し掛けてから、その人――原田巧は、こっちに走ってきた。
 隣りにいた、大柄な少年と共に。

「どうした、青波」

 久し振り、もなく、ワケを聞く兄に、青波は、兄ちゃんらしいなぁ、と思う。

「久し振りじゃな、青波。見ん内に、また、大きくなったんじゃないか?」
「豪ちゃん。久し振り。元気?」
「おう。見ての通りじゃ」

 兄の友人の豪は、兄の素っ気無さを補うように、青波に声をかける。
 こんなところを見ていると、『女房』役なんだな、と思って、ちょっとだけ、おかしい。

「…あんな、お母さんたちから、さし入れ。豪ちゃんのお母さんのパウンドケーキに、ぼくのお母さんから、いなりずし」

 手に持った包みを、ひょい、と上に上げて見せる。

「それとな、これ。ぼくの、学校の子から、手紙……」

 何か言われる前に、ずい、っと巧に差し出す。
 案の定、巧は顔を顰める。

「青波。こんなん、もらってくるんじゃねぇよ」
「でも、兄ちゃん……」
「巧。青波に言っても、しょうがねえじゃろ。いいじゃねえか、そんだけ、注目されとるっちゅうことじゃ」
「別に、そんなん、どうでもいいよ」

 取り付く島のない様子に、青波は困ったように笑う。

「ほら、青波が、困ってるぞ」

 つつかれて、巧は、とりあえず、受け取った。

「読むだけ、だからな。返事は書けねえから」
「うん、いいよ、それで」

 ホッとして、青波は、食べ物の差し入れも手渡す。
 向こうから、巧を呼ぶ、部活の先輩の声が聞こえてきた。

「豪。これ、頼む」

 手紙と差し入れを、豪に手渡すと、じゃあな、青波、と簡単に言って、巧は走っていった。

「…ったく、しょうがねぇヤツじゃの。お前の兄ちゃんは」

 その様子を、豪は苦笑して見送った。

「うん…」

 青波も、笑って頷く。

「青波、ありがとうな。おばちゃんにも、お礼言うとって。おれの、母さんにも」
「わかった」

 そのまま行ってしまいそうだった豪を、青波は、何となく、呼びとめる。

「あの、豪ちゃん…」
「何だ?青波」
「兄ちゃん、元気しとる?」

 高校に入ってから、巧と豪はずっと、寮生活だ。
 家には、たまにしか帰ってこない。

「ああ、見たとおりじゃ……青波?」
「いいな、豪ちゃんは。いつも、兄ちゃんと、一緒で……」
「あの兄ちゃんといつも一緒なんも、結構大変じゃぞ」
「あはは、そうだね。…でも、いいな」

 今と同じ様に、野球が上手くても、昔は家に帰れば、いつもそこにいた。
 何かを、共にするわけではなかったけど。
 青波、と呼んでくれた。

「あの、手紙、な。ぼくの、知らない子からなんじゃ。…そんな風に、兄ちゃんは、知らん人からも、知られるようになって。そしてぼくは、『あの原田の弟』なんじゃ」
「…いや、なのか?」
「ううん。兄ちゃんが、凄いのは、ぼくが一番知ってるもん。嬉しいけど…でも、やっぱり、ちょっとだけ、悔しい」

 誇らしさと同時に感じる、焦り。いや、もどかしさ?

「どんどん、兄ちゃんが、遠くなっていくんじゃ…」

 近付きたいのに。
 近付いて、隣りに居たい。

「豪ちゃんが、うらやましい」
「はは、そうか」

 楽しそうに笑う豪が、ちょっぴり憎らしい。

「ぼく、豪ちゃんに、なりたかったな…」

 そしたら、きっと、ずっと、そばに居れる。

「…それは、困るな。巧も、寂しがるぞ」
「え…?」
「…試合。頑張ってたじゃろ、青波」
「知ってるの!?」
「見に行ったんじゃ。内緒じゃぞ」

 先週あった、部活の、野球の試合。
 青波も、レギュラーとして、参加した。

「そうか、兄ちゃん、見にきてくれたんだ…」
「巧は、あんなじゃから。青波は、物たりんかもしれんけど…」
「そんなこと、ないよ!」

 青波は、笑って言った。

「兄ちゃんのことは、豪ちゃんよりもずっと、知ってるんじゃから」
「そうか…」
「うん。だから、豪ちゃんには全部、渡せないんじゃ」

 そう言って、青波は、自分の首の、少し下、鎖骨辺りを指で示した。

「今度くる時は、虫除けスプレーも、差し入れしようか?」

 その言葉の意味を知って、豪は顔を赤くする。

「せ、青波……!!」
「じゃあね、豪ちゃん!たまには帰って来るように、兄ちゃんに伝えて!」

 慌てふためく豪を尻目に、青波は、グラウンドを後にした。


「豪ちゃんも……相変わらず、手が早いなあ」

 くすくすと、青波は笑った。
 最初から、そうだった。
 巧が、立ち止まる隙が、ないくらいに。

「兄ちゃんも、あれで意外に、押しに弱いんじゃから……」

 大丈夫かな、と笑いながら、青波は、バスに乗った。

「いつか、きっと。『あの、原田青波の兄』って、言わせてやるからね、兄ちゃん……」

 胸に、小さな決意を秘めて。


Fin.