バッテリーSS( 瑞垣&門脇)

Blue Sky

 向かい風に顔をしかめながら歩く。
 治りかけの、口の傷に、風がしみる。

「あ〜、煙草、吸いてぇな…」

 呟いて、瑞垣は、ポケットを探った。
 まだ何本か残った、煙草の箱に手が当たったが、こんな天下の往来で、いかにも未成年な自分が、歩き煙草をするわけにはさすがにいかない。
 小さく舌打ちして、前を向くと、嫌になるくらい、見慣れた人物が、走ってきた。

「おう。俊二…どっか、出かけてたのか?」

 トレーニングウェア姿の、そいつは。

「秀吾……」

 門脇秀吾。
 スポーツ推薦で、高校進学が決まった、幼馴染み。
 とても中学生の体格には見えない、天才バッター。

「自主トレーニング、か?精が出るな」

 皮肉で言ったのに、幼馴染みは、素直に受け取ったらしい。
 笑顔で、ああ、と答えた。

「休みの間に、なまったらいかんしな」

 その言葉に、それ以上の皮肉を言う気も、すっかりなくして、瑞垣は、ただ苦笑する。

「お前は?俊」
「ああ、俺?新田の、元キャプテンと、デート」
「え……っ」

 ぽかんとした、間抜け面をさらした、門脇に。

「試合の打ち合わせに、決まっとるじゃろ?本気にすんな」

ったく、誰かさんといい、このうすらバカといい。
 ろくろく、冗談も言えやしない。

「ああ…なんだ。だったら、最初から、そう言えや」

 うっすら、顔を赤くして抗議する幼馴染みに、阿保か、とは口にしないで、鼻で笑う。本気にするほうが、どうかしてるのだ。

「お前が言うと、冗談に聞こえんのじゃ、俊」
「だったら、本当にしてやっても、いいんだぜ?」
「えっ…、お、おい……」
「だから、何でイチイチ本気にするんじゃ、お前は」

 それ以上、不毛な会話を繰り広げるのもバカバカしいので、話題を変える。

「で…、調子は、どうなんじゃ?我が天才バッターくんは?」
「俊、その言い方、止めろよ」

 本気で、嫌そうな顔をしてから、門脇は、まあまあじゃな、と言った。

「推薦決まって。気が抜けたってのとは違うけど。何かこう、やらされてる…って感じが強かったけど。新田との…、原田との、試合は。やりたくてする、野球、って感じで。気合、入ってる」

 言葉を、選ぶようにして、言った門脇に、そりゃ結構、と答えた瑞垣は、ニヤリと笑う。

「そうじゃなくちゃ、つまらねぇしな。最後の、試合、なんじゃからな」

 最後の、を強調して言った瑞垣に、門脇は、少し、寂しそうに笑う。

「最後…か」

 ぽつりと、噛みしめるように、呟く。

「そうじゃ。最後じゃ。中学生活最後。で、俺とお前の野球も最後じゃ」

 ダメ押しするように、続けた瑞垣に、門脇は、どこか、痛みをこらえるような顔で、呟く。

「最後…なのか?俊」
「当たり前じゃろ。高校だって、別々なんじゃから」
「そういう意味と違う。……わかってんだろ、俊」

 ああ、わかってる。
 わかってて、言ってるんだよ、秀吾。
 だけど、そんな、当たり前のこと、わざわざ、口に出して、言ってなど、やらない。
 甘えんなよ、秀吾?

「どうしても……最後、なんじゃな」

 抑えても、抑えきれない、切ない、色を滲ませた目で。
 その言葉は、瑞垣に問うものというよりも、自分に言い聞かせるような、言葉だった。

「ああ、そうじゃ」

 だから、瑞垣は、はっきりと、言ってやる。
 くだらない、感傷なんか、捨ててしまえ。
 そう、引導を渡す、言葉を。
 今まで、ずるずる、続けてきた。
 断ち切りたかったのに、断ち切れなかった。
 それは、お前のせいじゃない。
 たぶん、誰のせいでもなく。
 でも、もう、それもいい加減、終わりにしないといけない。
 甲子園のヒーローを、笑って応援してやるような、幼馴染みでなんか、俺はいたくないんだよ、秀吾。
 だから、これで、おしまいだ。
 きれいさっぱり、終わりにするんだ―――。


「傷…。まだ、痛むか?」

 ふいに降りた沈黙を、誤魔化すように、門脇が、問うのに、瑞垣は、思いっきり、顔をしかめた。

「当たり前じゃ。請求書、まわさんと、割りに合わねぇよ」

 半分は、嘘だ。
 傷は、まだ、完全に、治ってはいない。
 だが、痛みはもう、かすかなものだ。
 だけど、瑞垣は、この傷が、治らなければいいのに、と、少しだけ、思っていた。
 阿保らしい、とは思う。
 証になるようなものが。
 思い出に…残るようなものが欲しい、と思うなんて。
 終わりにする、なんて言ってるくせに、まるで、未練たらたらではないか。

「え…、そうなんか、俊。どうしよう……」

 冗談がまるで通じない幼馴染は、本気で焦った様子を見せた。
 嘘だよ、と言ってやるのは簡単だったけど、そうはしなかった。
 その、代わりに、瑞垣は、ニヤっと笑った。

「どうせお前、金なんか、持ってねぇだろ?代わりに、原田からの、ホームラン…そうじゃな、三発。それで、ちゃらにしてやるよ」

 瑞垣の提案に一瞬、目を見張った門脇は、次の瞬間、ニヤリと、笑い返した。

「それだけで、いいんか?安いもんじゃな」
「おお、大きくでたな。その言葉、忘れんなよ?秀吾」

 青い空に、吸い込まれるような、ホームラン。
 悔しそうな、クソ生意気なピッチャーの顔。
 それを、じっくり、眺めてやる。
 一回じゃ、たりないから、最低、三回。
 それで、仕舞いだ。
 秀吾、お前との。
 野球は―――。

「俊も、煙草ばっか吸ってねぇで、ちったあ、鍛えとけよ」
「ああ。せいぜい、有終の美を飾ってやるさ」

 禁煙は、しねぇけどな。
 最後まで言葉にせずに、瑞垣は、清々(すがすが)しい…というより、清々(せいせい)した思いで、走り去る、門脇の背中を見送る。
いい試合に、しようぜ、と。
 春の青空の中。
 真っ白なボールが、高く上がる様、思う存分、見せてくれるんだろ?


 今はまだ、灰色に曇った、冬の空を見上げながら。
 確信にも、似た想いで―――。


Fin.