バッテリーSS( 瑞垣&青波)

Milky

 真冬の風と比べると、身を切るような冷たさは減ったが、口の端に染みる。
 受験が終わったからって、あまり羽目を外しすぎるなよ、と見当違いな事を言って、苦い顔をした担任を思い出して笑ったら、余計に染みた。

「……中途半端な、手加減しやがって」

 ここにいない人間に、悪態をつく。
 慣れた仕草でケータイを取り出し、見慣れたメモリーを呼び出す。

「遅れるじゃと?呼び出しといて遅れるとは、いい度胸じゃなあ、新田東のキャプテンは。いま来むと いいしばかりに長月の 有明の月を待ちいでつるかな、じゃ。あぁ、十五の貴重な一瞬が、一希くんを待ってる間に過ぎてしまう〜。この責任は……、あ?そう?わかった。おおまけにまけて、今回はそれでチャラにしてあげましょう。じゃ、そーゆーことで。早う来いよ?」

 ケータイを切って、もたれかかっていたコンビニの壁から身を起こすと、きょとんとした眼差しとかち合った。

「こんにちは。え……っと、瑞垣のお兄ちゃん」
「はい、こんにちは。原田の姫さんの弟くん。おつかい?エライねぇ」

 小さなコンビに袋を提げて店から出てきた青波は、うん、と頷いた。

「瑞垣のお兄ちゃんは、誰かを待っとるん?あ、お兄ちゃんや豪ちゃんたちと、野球しに来たん?」

 ぼくも行ってもいい?と、身を乗り出してきた青波に、瑞垣はわざとらしくため息をついた。

「残念じゃな〜。連れて行ってあげたいのは山々じゃが、おつかいの途中の少年を引っ張り出すなんて、そんな、ママを心配させるような事、申し訳なくって、水かきのお兄ちゃんには出来ん……!!」

 ああ、ホントに残念だ、と更に大げさに首を振る。

「えー!じゃあ、走って家まで行って、すぐ戻ってくるから、待ってて。な、お願い!」

 今にも走り出しそうな気配に、つい、ぷっと吹き出した。

「ホンマに、顔の割りに聞き分けの無い……。ウソウソ、今日花、お前の兄ちゃんとこの元キャプと、試合の話をしに来ただけじゃ。野球するのはな、この次」
「なあんだ……。今日は、しないんだ。試合って、市のグラウンドを借りて、するやつ?それ、ぼくも、見に行きたいな」
「そうか……それは、悪いなあ。お前の兄ちゃんが、横手打線に捕まって、バッタバッタと打たれて呆然と立ち尽くす様を、見せなきゃいけないなんて……」

片手で顔を押さえて、わざとらしいくらい弱弱しく呟くと、

「お兄ちゃんは、そんな簡単に打たれたり、せんよ。ぼくのお兄ちゃん、すごいんじゃ」

 言い返す、というよりは、むしろ当たり前の事を告げる口調で、青波は自然に答えた。


「これはまた……言うなぁ、姫さんの弟くんは。そんなに、お兄ちゃんが好きか?」
「うん」

 大きく頷いて、青波は笑った。

「ぼくな、お兄ちゃんが野球してるの見るんが、大好きなんじゃ。なんや、どきどきする」

 顔を上気させて、放たれた言葉に、瑞垣は目を細めた。

(どきどきする、か………)

 そんな風に思った事も、なくはなかったな、と。
 真っ白なボールが、高い高い空に吸い込まれてゆく。
 カラン、とバットを投げ出して、走り出す、背中。
 それが、こんなにも、間近でさえ、なかったら。
 今でも、そう思っていたのかもしれない。

「でな、勝ちたい、って思うんじゃ」
「兄ちゃんにか?」
「うん!いつか、きっと」

 迷いの無い、真っ直ぐな視線に捕まって、中途半端に開いた傷が、じくりと痛んだ。

「……勝てると、思ってんのか?」

 口をついた台詞が、小学生相手に鋭くなったのは、だから、そのせいだ。
 まだ癒えてない、傷がふいに染みたから。

「なんで、勝てないって、思うの?」

 逆に首をかしげて、問い返された。
 それがあまりにも、不思議そうだったので、瑞垣は堪えきれずに、笑い出した。

「はっ。あはは……っ!いやもう、この弟にして、あの兄あり、か?似てねぇ兄弟だと思ったのは、大間違いじゃな……!」

 その自信は、一体どこから沸いてきてるんじゃ、っつーの。
 ああ、ホント、さすが、姫さんの弟じゃ。

「どうしたの?ぼく、そんなおかしなこと、言った?」

 ツボにはまって笑い転げる瑞垣を、青波が驚いてみている。

 ―――なんで、勝てないって、思うの?

 ああ、そうだな。
 なんで、勝てねぇって、思ったんだろうな……。


「イテテ、爆笑したら、傷、開いちまったな」
「大丈夫?血が出てるよ」
「へーきへーき。こんなん、舐めてたら治るから」
「え、でも、口のはしっこじゃから、なめにくいよ?」

 青波はポケットからティッシュを取り出すと、伸び上がるようにして、瑞垣の口の端を押さえた。

「あとね、これ、あげる。口の中、血の味がして、まずいじゃろ?」
「いや、そんなに心配してもらわんでも……」
「小さな傷でもほうっておいたらおえん、っておじいちゃん言ってたよ」
「いやいや、ホント、お気遣いなく……あ。やっと、待ち人が来やがりやがったので、瑞垣のお兄ちゃんは行きます。ありがとな、弟くん」
「せいは。青波じゃよ、ぼく」
「……それじゃ、またな。青波」
「またね!瑞垣のお兄ちゃん!」

 バイバイと、手を振る青波の後姿を見送った頃、ようやく向こうから、新田東野球部元キャプテンが、息を切らせて走ってきた。

「ごめん!待たせた!」
「まったくじゃ。来ぬ人を まつほの浦の夕凪に 焼くやもしほの 身もこがれつつ、じゃ。待ちくたびれたわ!」
「マジ、すまんかった。ちゃんと、この借りは……って、瑞垣、何か食ってる?」
「ふぁ?キャプテンがあんまり遅いから、別のイイ人と逢引してたんじゃ。人気者は、どこ行っても、貢物が絶えねぇからな」
「えっ……、そうなんだ」
「って、だからそこで、マジに取るなよ、海音寺……」


 全く、新田東の連中は。妙なヤツばっかりじゃな……。
 けれど、口には出さなかった。
 言わなかった皮肉の代わりに、ミルクキャンディの甘い味が、口の中一杯に、広がっていた。


Fin.